42話─ハプニングは唐突に
「……空に逃げたか。だがムダだ。エルフである俺から逃げることは出来ないぞ」
キルトたちが進むはずだった裏路地の突き当たりに、一人のエルフの男がいた。闇に紛れる漆黒の外套を身に着けたドルトだ。
外套の下には、黄緑色をした鎧を纏っている。そこかしこに巻き貝を模した模様が描かれた鎧の右腰部分には、ライムグリーン色のデッキホルダーが下げられていた。
「どこに行こうと、俺の『リレイコマンド』からは逃げられん。必ず射抜いてやる」
そう呟くドルトの目の前には、小さな丸い物体が漂っていた。彼が使ったサモンカード『リレイコマンド』によって作られた、狙撃中継衛星。
その名をバイナリースターという加速装置だ。この丸い物体を使い、ドルトは矢を様々な方向に撃っていたのだ。
「……済まない。俺もこんなことはしたくないが……妹の命がかかっている。ここで死んでくれ」
顔を歪ませながら、ドルトは左手に持った弓を構え矢をつがえる。弓の持ち手部分はアームガードで覆われており、そこにカードを挿入するスロットがあった。
バイナリースターを通してキルトの位置を確認しつつ、ドルトは矢を放つ。中継衛星に矢が触れると、加速しながら別の方向へ飛んでいく。
「次はどこから来るかな……?」
『キルト、後ろだ!』
「分かった! てやっ!」
一方、キルトは未だ敵のサモンカードの謎が解けず防戦一方な状態だった。彼の周囲には、ドルトの持つ『インビジブルコマンド』によって透明になったバイナリースターが四つ浮遊している。
「また防がれたか。まずいな……バイナリースターにノービジョンボディ、両方の維持にかなり魔力を使う。そろそろ仕留めないと、約束を果たせない……!」
状況だけを見れば、圧倒的に有利なのはドルトの方だ。だが、バイナリースターの複数展開、さらにそれら全てを透明にし続けるのには莫大な魔力が要る。
最初の魔力補給だけで、かなりの量を費やしてしまった。これが十分、十五分と長引けば魔力切れになり撤退しなければならなくなる。
「一度に複数の矢を射てば……いや、ダメだ。矢の生成にも魔力を使うんだ、ムダ使いは」
「そこのお前。こんな時間に何をやっている? そんな弓など持って……誰かを狙っているのか?」
ドルトが悩んでいた、その時。突如、背後から女の声が響く。ビクッとしながら後ろを見ると、そこには……地面の穴から、フィリールが顔を覗かせていた。
(しまった、逃走用の下水道から人が来るのは想定外だ! しかもこいつは、あの高名な姫獅子フィリール皇女じゃないか!)
万が一追い詰められた時に備えて、ドルトは下水道に逃げ込めるようマンホールがある裏路地に身を潜めていた。
もしキルトに存在がバレても逃げられるよう、あらかじめマンホールを外しておいたのだが……何故かそこからフィリールが出てくるという、予想外の事態が起きてしまう。
「怪しい者がシェンメックに入り込んだということで、下水道もチェックしていたのだが……貴様、ここで何をしている?」
「チッ、皇女自ら下水道の調査だと? そんなアンラッキー、そうそうあってたまるか!」
「!? うおっ!」
帝国騎士団や各ギルドへの連絡を済ませたフィリールは、ふとある可能性に思い至った。敵が下水道を拠点にしているかもしれない、と。
そこで、何人か部下を集めて独自に調査を始めたのだ。自分の実力に自信があったフィリールは、単独で調査を進めていたのだが……。
特に異変なしと判断し、手近なマンホールから地上に出ようとしたところ、たまたま蓋が開いている場所を見つけて出てきたのだ。
「危ないな、いきなり殴りかかってくるとは!」
「クソッ、こんなところで捕まってたまるか! 俺は妹を救わねばならないんだ!」
切羽詰まったドルトは、振り向きざまに弓の先端部分をフィリールの脳天に叩き落とす。はしごを登っている最中だったフィリールは手を放し、下水道に逆戻りする。
彼女を追い、ドルトも下水道へと飛び降りた。その際に、外套の内ポケットから小さな日記帳が落ちてしまったのだが……彼は気付かなかった。
「悪いが、口封じさせてもらうぞ。……あんた、デッキを持ち歩いてないのを見るに、まだ本契約してないみたいだな」
「!? 何故お前がデッキのことを……そうか、お前もサモンマスターなのか! 答えろ、こんなところで何をし」
「うるさい! 少し眠っていてもらうぞ!」
「はや──ぐふっ!」
クレイからフィリールのことを聞いていたドルトは、相手がデッキホルダーを持っていないことからまだ契約していないことを見抜く。
フィリールは驚くも、すぐに我に返り腰から下げたショートソードに手を伸ばす。が、剣を抜くよりも先にドルトが動いた。
一瞬で懐に飛び込み、みぞおちに拳を叩き込む。フィリールはいつものように快感を感じる間もなく、気を失ってしまう。
「危なかった……皇女が本契約を済ませ、変身済みだったら俺が返り討ちにされていたな。変身すれば、身体能力が上がる。元からスペックに差があるんだ、俺如きじゃ勝てる相手じゃない」
魔法で作り出したロープでフィリールを縛りつつ、ドルトは呟く。サモンマスターは変身することで、通常時の数倍の身体能力を発揮する。
一騎当千の騎士であるフィリールに、一介の冒険者でしかないドルトは本来ならば勝つことは出来ない。サモンギアの恩恵を、彼はひしひしと感じていた。
「クレイ殿からは、皇女に手を出すなと言われていたが……こうなってしまっては仕方ない、彼女のアジトへ連れて行ってワケを話そう……」
フィリールの乱入で、キルトを仕留めるという当初の目的を果たせなくなってしまったドルト。彼女に顔を見られている以上、放置は出来ない。
かといって口封じに殺してしまえば、帝国そのものを敵に回す。そうなれば、彼と妹に安住の地はなくなってしまう。それは本意ではないのだ。
「参ったな……あと少しというところで、どうしてこう邪魔が入るのか……いや、待てよ。皇女ならば……」
気絶したフィリールを担ぎ、歩き出そうとして……ドルトは何かを閃く。フィリールであれば、クレイの呪いが発動せず妹のことを話せるのでは、と考えたのだ。
「クレイ殿のところに行くのはやめだ。あんな奴のいいなりにならなくても、妹を救える可能性があるのなら……悪魔に魂を売り渡してでも、俺はそれに懸ける」
魔法でマンホールを元に戻した後、ドルトは下水道の奥へ歩いていく。彼女の部下に出くわしてしまわないよう、人の気配に注意を払いながら進む。
「ミーシャ。俺は例え外道に落ちようともお前の命だけは救ってみせる。そのためなら、俺は自分の命すら捨てられる」
そう呟きながら、ドルトは暗い下水道を進んでいくのだった。一方、取り残されたキルトはというと……。
「……攻撃が止んだね。逃げちゃったのかな?」
『恐らくそうだろうな。微弱な殺気が完全に消え失せた。今のうちに、あの裏路地の奥を調査しておこう』
「そうだね、何かしら痕跡が残ってるかも」
元いた裏路地に降り立ち、キルトは慎重に奥へと進んでいく。しばらくして、彼は行き止まりにたどり着いた。
当然、すでにドルトの姿はなかったが……代わりに、キルトは一冊の日記帳が落ちているのを見つけた。
「お姉ちゃん、これ……」
『日記、か? 大方、撤退する時に落としていったのだろうな。だが、これで敵の正体が分かるだろう。大きな収穫だな、キルト』
「そうだね。これの持ち主は、多分このマンホールから下水道に逃げたんだと思う。今から追っても、追い付くのは無理だね……今日は日記帳を戦利品にして、帰ろうか」
襲撃者は取り逃がしたが、その正体に繋がるものを手に入れられたことで手打ちにすることにしたキルトとルビィ。
二人がフィリールの失踪を知り、大騒動の渦中に飛び込むことになるまで……そう時間はかからないだろう。




