32話─フィリールの秘密
予想外のことに、キルトたちは開いた口が塞がらない。何故に皇女様にビンタなどと、恐れ多いどころか実行すれば極刑ものの行為をせねばならぬのか。
困惑するキルトは、少し離れた場所にいる養父を見る。が、彼は顔を背けてしまった。周囲にいる貴族やその子息や子女も、みな同じ。
「……どうした? 何をためらって……ああ、私を殴ったら断頭台に送られてしまうと思っているのだね? 大丈夫だ、むしろ金一封が」
「いやおかしいでしょ!? どの世界に自分の娘殴られて褒美出す君主がいるのよ! ていうかあんた何でそんなに殴られたいわけ!?」
むふー、と何故か勝ち誇った笑みを浮かべるフィリール。そんな彼女に、ようやくエヴァがツッコミを入れられた。
「決まっているだろう? 私が被虐性癖者だからだ!」
「あー……うん、どちらかと言うと我が一発殴ってほしい側だな。この悪夢から早く覚めたい。な、キルト」
「え、あ、はい……あの、そろそろ手を離してもらっても……いいですか?」
一点の曇りもない、爽やかな笑みを浮かべながらフィリールはキルトを見上げる。頭と胃が両方レッドシグナルを発し、ルビィは苦しそうに顔を歪めた。
一向に手を離してくれないフィリールに、どうやってお引き取りしていただこうかキルトが考えていると……。
「フィリール、いつまでもワガママを言うんじゃなあない! デルトア帝国の名に泥を塗るつもりか!?」
「む……私個人の名誉だけならともなく、国の栄誉の問題となれば話は別だ。仕方ない、ここは退くとしよう」
「次があるみたいな言い方やめなさいよ! あんたみたいな変態に付き纏われたらキルトが変な方向に行っちゃうでしょうが!」
マグネス八世の助け船により、どうにか衆人環視の中でのSMプレイ敢行は避けられた。ホッとするキルトの耳に顔を寄せ、フィリールは彼にだけ聞こえるようささやく。
「……今夜十二時、街の西にある時計塔で待っている。『カードデッキ』のことで、話したいことがある……君一人で来てくれ。誰にも言うなよ?」
「──!?」
「では、私は父上の元に戻るとしよう。次に会った時には、キッツいのをお見舞いしてくれるのを期待しているよ」
驚いて固まるキルトにそう言い残し、フィリールはきびすを返して戻っていく。その姿は、凜としていて見惚れるほどサマになっていた。
……彼女がマゾヒストという事実を知る前であれば。その後、微妙な空気を払拭せんとキルトのお披露目式が行われた。
様々な思惑が交差するなか、キルトは皇帝や貴族たちに祝福され、無事シュルムの養子になることを正式に認められた。それから数時間後……。
「うー、寒い。えっと、ここでいいんだよね? 街の西って言ってたし」
あと数分で夜の十二時を迎えようとしているなか、キルトはフィリールに言われた通り一人でシェンメックの西にある時計塔に来ていた。
幸い、帝都にあるシュルムの別邸が時計塔に近かったためすぐに来ることが出来た。自分を抱き枕にしてくるルビィから脱出するのに、少々手間取ったが。
「! いた……皇女様だ」
「やあ、来てくれたね。よかった、すっぽかされたらどうしようかと……いや、放置プレイも興奮するな」
「あ、あはは……」
時計塔の真下に、兵士用の軽い鎧を着たフィリールが立っていた。彼女が持ち出した合鍵で時計塔の入り口を開け、中に誘われるキルト。
「外は寒いからね、ここなら多少はマシになる。……て、早速だが本題に入ろう。君は……『コレ』を知っているはずだね」
そう言うと、フィリールは懐からデッキホルダーを飛び出す。横を向いたヘラクレスオオカブトのエンブレムが彫られた、黄色のホルダーだ。
「皇女様、これをどこで……」
「フィリールでいい。そうだな、最初から話そう。二日ほど前のことだ、このデッキを……タナトスなる人物から受け取ったのは」
そう言うと、フィリールは語り出す。いかにして、自分がこのカードデッキを手に入れたのかを。
◇─────────────────────◇
「では、これにて本日の訓練を終了する! 各自、明日に備えて身体を休めるように」
「ハッ! 隊長、本日もお疲れ様でした!」
その日、フィリールはいつものように部下たちとの訓練を終えて修練場を後にしていた。部屋に戻って休憩したら、追加でランニングでもするか……と考えながら。
「筋肉が悲鳴をあげている……ふふ、心地いい痛みだ」
「ごきげんよう、フィリール殿下。お初にお目にかかる」
「! 貴様、何者だ! 賊ならば斬り捨てるぞ!」
筋肉痛を楽しみながら部屋に入ると、そこに見知らぬ人物がいた。フード付きの漆黒のローブを纏い、髑髏の仮面を身に着けた者……タナトスが。
フィリールは腰に提げていた木剣を構え、ジリジリと近寄っていく。対して、タナトスは慌てるでもなく平然と彼女を観察していた。
「私はタナトス。求める者に力を与えるためさすらう者だ」
「力を……? フン、世迷い言を。私に斬られるか、近衛兵に突き出されるか選べ。それくらいの自由はや」
「まあ待ちたまえ。私の話を聞いてからでも、判断するのは遅くないだろう?」
「!? 貴様、いつの間に私の後ろに!」
警戒心を強めるフィリールだったが、突如彼女の前からタナトスが消える。一瞬にしてフィリールの背後に回り込み、部屋の扉に鍵をかけてしまった。
「人払いの結界を張った。これで私の話が終わるまで、君は外に出られない」
「貴様の目的はなんだ? ……ハッ! まさか私に乱暴する気か! いいぞ、バッチコイ!」
「私の目的は一つ。君に『コレ』を受け取ってほしいのだよ」
「スルーされた! 屈辱……だがそれもいい❤」
勝手にマゾるフィリールを無視し、タナトスはデッキホルダーとサモンギアを取り出す。これまでのものとは違い、サモンギアはカブトムシの形をした勲章の形状をしている。
「む? なんだこれは」
「これは我々が開発した兵器……サモンギアという。このデッキホルダーに封印してあるモンスター、『インペラトルホーン』と契約しサモンマスターになってもらいたい」
「サモンマスター? ……ああ、話は聞いたことがあるぞ。確か、ミューゼンを守ったという少年……キルトがそう名乗っていたと。そして、彼の敵対者もまたそう名乗る者たちなのだということもな!」
この時点で、すでにフィリールはサモンマスターについてある程度知っていた。故に、飛び退いてタナトスから距離を取る。
「答えろ、お前はそれを私に渡して何をさせるつもりだ? 悪のサモンマスターとして戦えと言うのなら、ここで貴様ごと斬る!」
「いいや? 私は単にデータが取りたいのだよ。君がサモンマスターとして戦ってくれるなら、キルトの仲間になろうとも構わない」
「なに……?」
「だが、これだけは言っておこう。このサモンギアには、帝国を覇権国家へと押し上げるだけの力が宿っている。それを用いて、君が何をするも自由だ」
タナトスは暗に告げた。この力があれば、世界を征服出来ると。そうした野心が、フィリールの中に無いと言えば嘘になる。
だが、彼女はそれ以上に民を愛し、平和を願っていた。彼女が皇女の身でありながら騎士となったのも、自らの手で平和を守るため。
「そんなもの、私は受け取らぬぞ。私には騎士としての誇りがある。貴様のような得体の知れぬ者から授かった力など……」
「いいや、お前はもう逃れられない。選ばれたのだ、お前は。このカードデッキにな」
「待て、こんなものを押し付けて消えるんじゃない!」
「じきに、帝都へキルトがやって来る。彼に聞くといい。このデッキをどう扱えばいいかを。彼と共に戦うもよし、祖国の繁栄のために力を使うもよし。……戦え、それがサモンマスターの宿命なのだ!」
そう言い残し、タナトスは溶けるように消えた。気が付くと、フィリールの手にはデッキホルダーが握られ、胸にはサモンギアが装着されていた。
「……こんなこと、父上たちには相談出来ん。私は、どうしたらいいんだ……?」
望まぬ力を押し付けられ、途方に暮れてしまうフィリール。そんななか、彼女はタナトスの言葉を思い出す。
ミューゼンを守った英雄、サモンマスタードラクルことキルトが帝都にやって来ると。己の進むべき道を彼に問え、と。
「……いいだろう。タナトス、貴様が何を目論んでいるかは知らぬ。だが……私は悪には染まらんぞ、決してな!」
右手に持ったデッキホルダーを握り締め、フィリールはそう決意した。




