157話─取り戻した価値
その日の夜。エヴァは久しぶりに実家での憩いの一時を満喫していた。オペラ観賞から戻った母、マリーガの要望で一緒に風呂に入ることに。
「ふふ、久しぶりねぇ~。エヴァちゃんと一緒にお風呂に入るなんて」
「本当ね、ママ。いろいろあって溜まってたものが、全部お湯に溶けてくような気分だわ」
二十五メートルプールもかくと言わんばかりの広さを誇る湯船の中で、隣り合って湯に浸かる母子。エヴァそっくりの赤い髪を持つ、中年の女性……マリーガ。
グラキシオスからエヴァの里帰りの理由を聞き、娘と風呂に入ることにしたのだ。しばらく湯の温かさを堪能した後、髪を洗うため洗い場に行く。
「エヴァちゃん、久しぶりにママの髪を洗ってもらえるかしら?」
「うん、いいわよ。いつもみたいにやったげる」
湯に浸からないよう頭に巻いていたタオルを外し、椅子に座るマリーガ。彼女の身体は、激しい戦いで負った傷跡が無数にある。
身体の前にも後ろにも、びっしりと並ぶ痛々しい戦いの跡。マリーガにとって歴戦の戦士の証であり、エヴァにとっては敬意を呼び起こすものだ。
「エヴァちゃん、パパから聞いたわよ~。こっぴどく負けて、自分に自信が無くなっちゃったんですってね?」
「……うん。アタシ、生まれて初めて惨敗したわ。手も足も出なかった。本気の奥義も、あっさり弾き返されて……圧倒されちゃったの」
長く伸びた母の髪を洗いながら、エヴァはぽつりぽつりと話し出す。昔から、マリーガは良き相談相手になってくれていた。
エヴァが悩んでいる時、必ず良い方向に進めるように助言をしてくれる。父が発破をかけて動くきっかけを作り、母が道を示す。
厳しさと優しさ、飴と鞭。それぞれ違う形の愛を受けて、エヴァは育ってきた。そんなエヴァの話を、マリーガは黙って聞く。
「でも、ただ負けただけなら別によかったの。強くなってリベンジすればいいだけだから。でも……」
「でも?」
「突き付けられちゃった。アタシだけが、なんにも成長してないって。キルトにも、フィリールにも、アスカにも及ばない現実を」
キルトたちは、それぞれの抱える問題を乗り越え成長していった。だが、エヴァは違う。かつての彼女には、問題などなかった。
だから、成長する機会が無かった。ゆえに、彼女はネガに敗れ屈辱を味わったのだ。あの時からずっと、エヴァの頭の中で声がリフレインしている。
『そのガキに、君は倒されるんだよ? だって、弱いもん君。他の仲間はどんどんリジェネレイトして強くなってるのに、君だけそのままだし』
『じゃあね、クソ雑魚おばさん。そろそろ身の振り方を考えた方がいいんじゃない? そんな弱さじゃ、オリジナルの僕に捨てられるかもね! あははは!!』
もう一人のキルトからかけられた、心を抉る容赦ない言葉。それを浴びせられて自覚した、いつまでも成長しない自分。
自覚してしまった以上、エヴァは否が応でも向き合わざるを得ない。だが、それが一層みじめさを引き立て自己嫌悪を呼び起こす。
「……ねえ、エヴァちゃん。パパから聞いたわ。戦いしか取り柄がないのに、その戦いですら役に立てない自分に価値は無いって言ったそうじゃない」
「そうよ。アタシには戦い以外なにも無い。キルトみたいにいろんな物を作れる頭脳も、フィリールみたいに温もりを与えられる編み物も出来ない。アスカみたいに美味しいご飯も作れない。そんなアタシが、強さですらみんなに劣るようになったら……いる意味、無いじゃない」
髪を洗う手を止め、エヴァは嗚咽を漏らす。マリーガは後ろを向き、涙をこぼす娘を優しく抱き締めた。
「エヴァのおバカさん。確かに、あなたは戦った相手に心無い言葉を浴びせられたわ。でも、仲間はあなたを足手まといだなんて一言でも言ったのかしら?」
「! それ、は……」
「言われていないのでしょう? それにね、エヴァちゃん。あなたにも、戦い以外に優れているものがあるわ。あなたが忘れてしまっているだけよ」
道を見失い、暗闇の中でうずくまるエヴァを導くように優しく声をかけるマリーガ。節くれ立った指で娘の頬を流れる涙を拭い、微笑みを浮かべる。
「あなたはずっと、ひとりぼっちだったキルトちゃんを助けてあげていたわ。彼を愛し、支え続けてきた強い『母性』と『愛情の深さ』という取り柄が、あなたにもあるじゃない」
「母性と……愛情……」
「エヴァちゃんは気付いていないだけ。あなたの心には、他者を慈しむ美しさが眠ってる。それはとても素晴らしい、あなただけの取り柄なのよ?」
母の言葉で、エヴァは魔導学園時代を思い出す。ひとりぼっちだったキルトと出会い、彼の姉代わりをして愛を注いでいたことを。
『キルト、聞いて喜びなさい! 今日はあなたの誕生日だから、学園長に許可を取って授業を休みにしてもらったわ。さ、今から出かけるわよ! 最高のプレゼントを贈ってあげる!』
『わーい! エヴァちゃんせんぱい、ありがとー! ぼく、エヴァちゃんせんぱいだいすき!』
『ふふ、アタシもよキルト。大丈夫、何があってもアタシがあなたの隣にいてあげる。もう二度と、寂しい思いなんてさせないんだから』
『うん!』
今となっては、遠い日の思い出。だが、昨日のことのように鮮明に思い出すことが出来るかけがえのない日々。
(ああ、そうだ。戦いだけじゃない。アタシにも……他の誰にも負けない、誇れるものがあったじゃないの)
母の言葉と、キルトとの思い出。その二つが、ついにエヴァの心をへし折ったネガの言葉を消し去った。自分にも、キルトたちに負けない取り柄がある。
それを再確認し、心が晴れていく。迷いという闇の中から抜け出し、もう一度……誇り高き戦士、エヴァンジェリン・コートライネンとして立ち上がる力を得たのだ。
「……ありがとう、ママ。アタシ、なんで忘れちゃってたんだろ。こんな大切なことを」
「仕方ないわ、誰だって道を見失うことはあるもの。でも、忘れないで。本当に大切なものは、いつだって手の届くところにあるってことをね」
「うん、アタシ……もう忘れない。キルトのためにも、ウジウジし続けてらんないわ。再起するのよ! もう一度、今度こそ──!?」
両親の助けにより、かつての強き心を取り戻したエヴァ。そんな彼女の頭上に、白と黒の光に包まれたサモンカードが現れる。
驚いて母の腕から離れたエヴァは、両手を差し出してカードを受け取る。白黒の渦の中に、オレンジ色の指輪が浮かぶ絵が描かれたカード。
上部に記されている『REGENERATE─奮起』の文字を見て、エヴァは微笑む。ようやく、キルトたちに追い付くことが出来たと。同時に、彼らを追い越してやろうという闘志が湧いてくる。
「あらあら、何か降りてきたわね~。あら、綺麗なカード! 濡れちゃうといけないから、脱衣所に置いてきたらどうかしら?」
「そうね、そうするわ。ママ、ありがとう。父上とママのおかげで、アタシもう一度戦えるわ」
「ふふ、どういたしまして。それじゃあ、また髪を洗ってもらおうかしら。あんまり時間をかけると湯冷めしちゃうしね~」
「ええ、任せて!」
父と母。家族の言葉で無事再起を果たしたエヴァ。一方、その頃……。
「……なんとか逃げ切れたね。しつこく追ってきたけど、上手く撒けてよかったよ」
「ウォンのおじちゃん、大丈夫かなー」
『殺されちゃってないかな……心配だな……』
カイザレオンの群れから逃れ、雪原を脱したプリミシアと双子は夜の平原を駆けていた。自分たちを逃がすため、一人残ったウォンの身を案ずる。
「大丈夫、ウォンは強いからね。きっと無事だよ、ボクは信じてる」
「おい、ロコモート。右方……西の方角からヤベー気配が来てる。用心しな、多分敵だ」
メリッサたちと話していると、モートロンがプリミシアに声をかける。その直後、一行の数メートル前に一人の人物が現れた。
「うわっ!? あぶなっ!」
「ひゃー! 急ブレーキー!」
「ククク、こんな夜にどこ行くんだい? 帝都の方かぁ? なら、オレ様も連れてってくれよ。なあ、サモンマスターロコモート」
現れたのは、ウィズァーラ国王バルステラ。相変わらず正体を隠す装束を身に着け、急停車したモートロンの前に立つ。
相棒から降りたプリミシアは、鋭い眼光を目の前の敵に浴びせる。メリッサもサイドカーから降り、凄まじい気迫をバルステラにぶつける。
「正義のヒーローであるボクが、敵の君を連れてくわけないじゃん、バカなんじゃないのかな?」
「お前のこと知ってる! 悪い奴だってキルトさんから聞いたよー!」
『聞いたぞー! やっつけてやるー!』
「クハハハ、いいぜ? 『仕込み』も終わらせてきたしな、少し遊んでやるよ。さあ、お前らの手の内をオレ様に見せろ。そして……コレクションに加われ」
月下の平原で、戦いが始まろうとしていた。




