156話─エヴァ、実家へ帰る
プライドをへし折られ、闘志が無くなってしまったエヴァは実家に帰省する。暗域第十五階層世界、ゼラルゴ。
序列第六位の魔戒王にして、エヴァの父グラキシオスが二百年近く前に新たな統治者となったエリアだ。
「あれ、お嬢! どうしたん、事前連絡も無く帰ってくるなんて。めっずらしー」
「久しぶりね。今、父上は屋敷にいるかしら」
「この時間は工房の方にいるかなー。毎日毎日、弟子たちに怒鳴ってるよ。あんだけデカイ声出して、よく声が枯れないなーって感心させられるよ。ふふ」
街から屋敷に向かうと住民たちが挨拶に来るため、エヴァはポータルを使い直接屋敷の中庭に向かう。今は赤の他人と話をする心の余裕が無いのだ。
中庭に入ると、庭の手入れをしていたメイドが声をかけてくる。媚びを売られるのが嫌いなエヴァに、友達感覚で相手してほしいと頼まれているためフランクな対応をする。
「そう、じゃあ工房の方に行くわ。教えてくれてありがと。あ、これお土産。みんなで食べて」
「おっ、お菓子の詰め合わせだ! ありがとうお嬢、後でいただくよ」
暗域に戻る途中、アジトに寄ってアスカが保管していたお菓子類をいくつかくすねてちゃっかり土産にしていたようだ。
アスカ謹製のお菓子詰め合わせをメイドに渡した後で、エヴァは屋敷の裏山に向かう。裏山の頂上には、鍛冶屋である父の工房があるのだ。
「炉に火を入れろ! 温度を下げるな、せっかくのいい金属がダメになる! オイコラ新人! ボケーッしてないでふいごを動かせ!」
「ひいっ! すみません親方ーっ!」
「……相変わらずね、ここは。いつ来てもみんな忙しそう」
屋敷の裏口と直結している専用のロープウェイに乗ること五分、山頂にある工房にたどり着いたエヴァ。中に入ると、むわっとした熱気に出迎えられる。
同時に、グラキシオスの怒鳴り声が響き渡る。鼓膜が破れそうな声量に、彼の弟子はみな雷が落ちたかのようにビクビクしていた。
「ふぅ、まーた新人がおやっさんを……あれっ、お嬢!? いつからそこに!?」
「今来たところよ。毎日ご苦労ね、聞きたくもない怒鳴り声を」
「コラー! なにサボ……ん、エヴァンジェリン! おめぇいつの間に帰ってきやがった!?」
工房の入り口付近で作業をしていた鍛冶師が呟いていると、エヴァがいるのに気付く。次いでグラキシオスも娘に気付き、目を丸くする。
「ついさっきね。ただいま、父上」
「おう、よく帰ってきやがったな! お前一人か、いつも自慢してくる婿はいねえのか?」
「あ……うん、今日は一人で……ね」
「……なんぞワケアリみてぇだな。よーしおめぇら、一旦休憩! 水飲んで飯食って身体を休めろ! 休むのも仕事のうちだからな、炉がヤバくならない程度にサボれ!」
「へーい!」
いつもなら軽口を返してくるのに、元気の無い娘を見て何かあったことを悟るグラキシオス。一旦作業を止め、休憩を言い渡してからエヴァと共に屋敷に戻る。
自身の書斎にエヴァを連れて行き、テーブルを挟んで対面に座った。
「座れ、エヴァンジェリン。お前がそんなに落ち込んでる姿、今まで見たことねえ。まさか、例のボンに振られたのか?」
「違うわ。実は……」
てっきり、キルトと破局して元気が無いのかと思っていたグラキシオス。そんな父に問われ、エヴァは帰省した理由を話す。
キルトのクローン、ネガとの戦いに敗れたこと。それはもう酷い惨敗で、すっかり自信を無くし己の存在意義を見失ってしまったことを伝えた。
「なるほどなぁ、それでオメオメと逃げ帰ってきたってわけか。え?」
「なによ、そんな言い方しなくたっ……へぶっ!」
「じゃかあしい! オイコラエヴァ、てめぇそれでも俺の娘か!? たった一回こっぴどく負けたくれぇでなに不貞腐れてやがる! そんな軟弱な娘に育てた覚えはねぇぞ!」
娘を慰めるどころか、負けたまま逃げ帰ってきたことを咎めるグラキシオス。エヴァが反論しようとした瞬間、拳が彼女の顔面に炸裂した。
「情けねえ、本当に情けねえ。今は序列六位に落ちたたぁいえ、魔戒王である俺の子か? それでも。このフニャチ……いや、チ○ポはついてねえわ」
「いっ……たいわね! 嫁入り前の娘の顔ブン殴るなんて非常識じゃない! なにしてくれてんのよこのクソ親父!」
「ごふっ! ハン、口だけいっちょ前じゃあ意味ねえんだよこのじゃじゃ馬娘! 俺を論破してぇなら、ケンカで勝ってみやがれってんだ!」
傷心とはいえ、やられっぱなしで終わらせるほどエヴァは腑抜けていない。即座に身体を起こして、父のみぞおちに抉るようなボディブローを叩き込む。
その後はもう、口汚く互いを罵りながらの親子ケンカの始まりだ。机やソファー、果ては本棚までもが宙を舞い部屋中しっちゃかめっちゃかだ。
「ぜぇ、ぜぇ……。このクソ親父……相変わらず手加減ってものを知らないわね……」
「ハア、ハア……。フン、愛の拳に加減なんざいらねぇんだよ、バーローめ。ぐ、いてて……」
数十分後、やりたい放題して荒れ果てた部屋の中で脳筋親子が伸びていた。昔からずっとしてきた、ケンカという名の親子のコミュニケーション。
その中で、エヴァは如実に感じていた。グラキシオスの力が、以前ケンカした時より衰えていることを。
「……クソ親父。この前より、腕力とか体力が落ちたんじゃない?」
「……解っちまうか、お前にゃ。俺も年だ、ここ数百年でめっきり衰えちまってな……」
鍛冶の腕は落ちずとも、寄る年波には魔戒王でも逆らえず……年々、体力が衰えていっていた。その結果が、序列二位から六位への転落。
コーネリアスやクラヴリンといった、次世代を担う若き魔戒王たちに追い抜かされていっているのだ。もっとも、グラキシオス自身はそれを喜んでいるが。
「いつまでも若い頃みてぇにゃいかねえもんよ。コリ坊みてぇな若者たちが俺を追い越していくのは、喜ばしくもあるが……寂しくもある」
「父上……」
「誰だって、いつかは引退して後進に託すもんだ。だが! エヴァンジェリン、今のてめぇにゃあ何も託せん!」
長く伸びた白い顎ひげを撫でながら、心境を語るグラキシオス。感傷的な気分もほどほどに、続いて娘に厳しい言葉をかける。
「お前を俺の後継者として次期魔戒王に推薦するどころか、ボン……キルトとの結婚すら認められねえな! てめぇみたいなフヌケと結婚させられるのが哀れだからなぁ!」
「なによ……一方的にそんなことばかり! アタシだって……アタシだって悩んでるのよ! 苦しんでるのよ! あんな無様に負けて……キルトに、合わせる顔がないのよ……」
勘当を言い渡さなかった分、グラキシオスとしてはまだ甘い対応をしていた。強さを至上のものとする闇の眷属からすれば、リベンジもせず尻尾を巻いて逃げるのは恥ずべきことなのだ。
エヴァ自身、言われずともそんなことは生まれた時から理解している。だが、今の心が折れてしまった彼女にとっては……どんな刃物よりも鋭利に突き刺さる、残酷な言葉でしかなかった。
「……お前がそんなメソメソ泣くたぁな。よっぽど追い詰められてるみてぇだな……しゃあねえ、説教はこれで終わりだ」
「う、ひっく、ぐす……」
「そうだ、泣けエヴァンジェリン。溜め込むな、全部吐き出せ。ぐちゃぐちゃになった感情をよ。そうすりゃあ、ちったぁ前向きになれらぁ」
「うう……うわああああん!」
自分の惨めさに耐えきれず、エヴァは泣いた。生まれて初めて、強い挫折を味わい心の底から悲しみ、悔しさにむせび泣く。
「エヴァンジェリン、泣きながらでいいから聞け。お前は自分で思ってるよりもずっと強い。この俺とマリーガの娘なんだからな」
「う、ぐすっ、ひぐっ」
「自分の中に眠る力を信じろ。お前はよ、自分にゃ戦うことしか能がねえと思ってるみたいだが……。俺から言わせりゃ、お前には無限の可能性があるぜ」
「やめてよ、そんな親の贔屓目な物言いは」
「贔屓なんかしてねえさ。お前は目を背けてるだけなんだよ。自分を見つめ直せ、眠れる可能性を呼び覚ますためにな」
床に突っ伏して嗚咽を漏らすエヴァの背中を優しく叩いた後、グラキシオスは指を鳴らして魔法を発動する。
荒れ果てた書斎を元に戻し、エヴァを残して部屋を出て行った。
「今日は止まってけ。久しぶりに自分の部屋でぐっすり寝りゃあ、案外いい方向に思考が向くもんだぜ」
そう言い残し、工房へと戻っていった。その道中、咳き込みながら荒い息を吐く。
「はあ……俺もそろそろ、引退を考えねえとな。あと千年くらいはやれると思ってたが、下手すりゃ百年も持たねえなぁ。やるせねえな、ホントに」
老いた身体に鞭打ち、足を引きずりながらロープウェイに乗り込む。その背中には、酸いも甘いも知り尽くした者の哀愁が漂っていた。




