116話─エルミアの帰還
「エルミア・ディサンドス・パルゴ将軍。本日をもって、任期満了に伴い貴官を国境警備隊指揮の任務から解任する。これまでご苦労であった」
「ありがとうございます、総督閣下。これからは、のんびり羽を伸ばしたく思います」
キルトとウォンが話をしていた頃。デルトアとゼギンデーザの国境に沿って建設された要塞……『紺碧の長城』にて、そんな会話が行われていた。
長城を束ねる総督の執務室に、二人の男女がいる。片方、椅子に座っている壮年の男は国境警備隊を束ねる総督。
彼の前にいる、鮮やかなエメラルドグリーンの髪を持つ女性こそ、シュルムの妻エルミアだ。勇壮さを感じさせる、キリッとした目つきを和らげ笑っていた。
「済まないな、二年もここに駐留してもらって。さぞ家族が恋しいだろう、早く帰って元気な姿を見せてあげなさい」
「ええ、そうさせていただきます。早く義理の息子に会いたいですから」
「おお、そういえばそんなことを言っていたね。なんでも、皇后陛下の病を完治し、数度に渡って帝国の危機を退けた少年をパルゴ卿が養子にしたと」
「そうなんですよ、総督! シュルムから似顔絵が送られてきましてね、これがまあすっごく可愛いんですよ! あ、見ます? ほらこれ、女の子みたいに可愛いでしょ?」
エルミアは黒い軍服の胸ポケットから、折り畳まれたキルトの似顔絵を取り出し総督に見せる。まだ顔合わせすらしていない義理の息子の自慢をする彼女に、総督は苦笑いしていた。
「はは、息子が出来たのがよほど嬉しいと見える。ほら、いつまでもここにいないでそろそろ支度をしなさい。ミューゼンまでは馬車で十日以上もかかるからね」
「っと、そうですね。では荷物を纏めてきます。総督閣下、この二年……お世話になりました」
総督に促され、エルミアは執務室を後にする。といっても、すでに荷造りは完了している。昨夜のうちに全部終わらせたのだ。
着替えと日用品、自前の武器一式を詰め込んだトランクを持ってエルミアは長城のエントランスへと向かう。隣接するターミナルから馬車に乗り、帰るのだ。
愛する夫と娘、そして義理の息子キルトが待つミューゼンの街に。
「おじさん、割り増し料金払うから飛ばしておくれよ。朝までには二つ先の街に着きたいんでね」
「へえ、かしこまりました。しかし、そんなに急ぎでどこに行かれるんです? 将軍さん」
「そりゃあ決まってるさ、家に帰るんだ。この二年、もうずっと待ってたんだよ。この任務が終わるのを」
高級将官専用の馬車に乗り込み、早速出発するエルミア。夜通し馬車を走らせてくれという無茶な要求に文句一つ言わず、御者は馬を走らせる。
何故そこまで急ぐのか、と問われエルミアはうきうき気分で答える。この二年、彼女は内紛で揺れるゼギンデーザの監視に務めてきた。
時折流れてくる難民を受け入れたり、帝国軍や傭兵上がりの盗賊と戦ったりと北の動向に注視する退屈な日々を過ごしてきた。
「来る日も来る日も、雪原の監視してばっかり。いい加減飽きるってもんだよ、ホント」
「あはは、そりゃあ退屈でござんしょ。でも、よかったですなぁ。こうして任務が終わったんすから」
「まあね。ようやく北の内紛が終わって、脅威の芽が一つ潰れたってとこかな。ま、西と南は相変わらずだけどね」
窓の外の景色を見ながら、エルミアは御者を世間話を行う。将軍である彼女の元には、日々軍内の情報が入ってくる。
その中でも、特に気になる情報が二つあった。片方は、西に隣接するウィズァーラ王国のこと。もう片方は、南のレマール共和国。
(ウィズァーラ王が軍備増強をしてるだの、『紅壁の長城』で第二皇子の暗殺未遂が起きたのでだいぶ緊迫した状況になってるようだしねぇ。向こうの国はなに考えてるんだか)
ウィズァーラ王国は、現国王が即位してから攻撃的な態度を強めていた。度々デルトアやレマールにちょっかいをかけ、軍事的圧力をかけてきていたのだ。
それだけなら問題はなかったのだが、危うく戦争になりかける事案が起きた。西の国境に築かれた『紅壁の長城』の総司令官を務めるデルトア帝国第二皇子、グラインの暗殺未遂事件だ。
(こぅちにまわってきた情報だと、ウィズァーラの間者が紛れ込んで暗殺しようとしてたみたいだが……気になる記述があった。サモンマスターなる存在とつるんでる疑惑があるとか、ね)
幸いにも、暗殺が成功することはなかった。だが、間者を捕らえることには失敗してしまったようだ。サモンマスターを称する者の妨害があったらしい。
だが、それ以上の情報を知ることは出来なかった。エルミアより上の権限を持つ、大将や提督クラス以外は知る必要がないと制限をかけられたのだ。
「ま、いいさ。なんかあったら駆け付けりゃいいだけだし」
「なんか言いましたかね?」
「いや、なんでも。お、雪がやんできたね。この分なら、馬車の歩みも予定通りに行きそうだ」
「へえ、そうでござんすね。じゃ、このまま進みますよ」
「ん、頼むよ。昨夜はあんまり寝てなくてね、少し寝させてもら……あふっ」
とりとめのない思索をやめ、エルミアはあくびをした後目をつむる。荷造りが忙しかったのと、二年ぶりの帰郷でワクワクして眠れなかったのだ。
夜のとばりが落ちるなか、彼女を乗せた馬車は街道を進む。キルトとの出会いの時が、すぐそこに来ていた。
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「ふっ、はっ! ていっ!」
一方、ネヴァルを看取り新たな力を得たティバは、一人山奥で修行をしていた。これまでの自分を見つめ直し、心にくすぶっていた怒りを乗り越え。
心持ちを新たに、今度こそキルトを打ち倒さんと心身を鍛え直している。今は、地面に設置した丸太に打ち込み稽古をしていた。
「ふう、とりあえず二千回はやれたな。また拳が血だらけになったな、治療を……」
「おや、こんなところにおられたのですか。いつまでも帰ってこないので、何をしているかと思えば修行ですか」
「! てめぇは……タイドウリョウイチとかいう奴か。タナトスの差し金だな?」
「まあ、そんなところです。おや? いつも一緒にいる方はどうされたのです?」
打ち込みを終え、怪我をした手を魔法で治そうとしていたティバ。そこに、どこからともなく泰道亮一が姿を現した。
どうやら、タナトスに命じられて帰ってこない部下を探しに来たらしい。相も変わらず、薄気味悪い微笑みを浮かべている。
「……ネヴァルは死んだ。オレを庇ってキルトに殺されたよ」
「ああ、なるほど。そういうことでしたか。それはお悔やみ申し上げますよ、ええ」
ネヴァルの死を知り、亮一はとりあえずそう口にする。が、口調からしてまるで悲しんでいない。あくまでそういうポーズを取っているに過ぎないのだ。
それを理解しつつも、ティバは鼻を鳴らすだけで済ませた。以前の彼なら、激昂して亮一に襲いかかっていただろう。
それだけ、ティバの精神は成熟してきているのだ。これには亮一も驚き、目を僅かに見開く。
「おや、てっきり殴りかかってくるものと思っていましたが。タナトスから聞いていたあなたの人物評と、随分違う反応ですね」
「ハッ、どうせタンキでガサツな野郎だって聞かされてたんだろ? ま、確かにそうだった。これまでは、な。でも、今は違う」
「ふむ、では何がどう変わったのか……私が確かめてあげましょう。あなたも、一人稽古だけでは張り合いがないでしょう?」
「……いいぜ、オレも今の自分がどう変わったのかを確かめたい。相手してもらうぜ」
ティバにそう告げ、デッキホルダーに手を伸ばす亮一。一見、彼の手伝いを買って出たように見えるがそうではない。
ここでティバを殺せれば、自身の使役するスレイブコレクションがまた一つ増やせる。仮に殺せないほど相手が強くなっていても、それはそれでのちの楽しみが増える。
そんな魂胆があっての発言なのだ。もっとも、ティバからすればそんなのはどうでもいいことだが。
「さあ、始めようぜ。オレも一回、お前の力を見てみたかったんでな」
「そうですか、ではお望み通りに見せてあげますよ。この私、サモンマスターグレイブヤードの力を」
誰も知らない山の奥にて、二人のサモンマスターの練習試合が始まろうとしていた。




