第739話 三人で温泉
「――さておき、ジェレッド君はジェレッド君で嬉しかったりもする」
温泉にて、もしかしたらディアナちゃんが来たんじゃないかと無駄に慌てふためく僕だったが、実際に現れたのは、まさかのジェレッド君。
僕としては肩透かしをくらう形になったけれど、それはそうとしてジェレッド君に会えたこと自体は嬉しかったりもする。
「こうして会うのも、なんだかずいぶんと久しぶりじゃない?」
「ん? そうか? 別にそんなこともないだろ」
「僕の印象だと、もうかれこれ何年もまともに会話していなかったような……」
「なんでだよ……あ、もしかしてまたか? アレクってたまにそんなことを言い出すよな……」
実際にはもっと頻繁に会っているはずなのに、何故か長い間顔を合わせていなかったような、全然ジェレッド君の出番がなかったような……時折そんな錯覚に陥ることがある。
「なんとなくだけど、最後にジェレッド君と会ったのは――十七歳の夏」
「そんなに前なのか……。四年前て……」
「ジェレッド君と一緒にダンジョンへ行って、パリエアコンのチャレンジをしていた記憶がある」
それが最後だ。ジェレッド君との最後の記憶。
「だからなんで……というか、パリエアコンってなんだ?」
「突進してくるボアを『パリイ』で上空に打ち上げて、そこへ『レンタルスキル』の『エアスラッシュ』を叩き込むというコンボ。それが――パリエアコン」
「あー、あったな……。そういえばそんなことやってた気がする。確かあのときは失敗したんだよな」
「そうだね。惜しくも成功には至らなかったんだ」
「ちなみに今はできるのか?」
「……依然として、惜しくも成功には至らず」
「四年間、ずっと惜しいのか……」
いやでも、たぶんもうちょいだと思うんだ……。
なんなら『パリイ』で天高く打ち上げた後、数多の『エアスラッシュ』を打ち込んで、落ちてくる前にズタズタに切り刻むという必殺技のビジョンまで……いや、やめよう。まだ一度の成功すらないのに、今の段階からハードルを上げるのはよろしくない。
「それはそうと、温泉入るんだろ? とりあえず行こうぜ、このまま話してたら風邪ひいちまう」
「あ、そうだね。そうしよう」
確かにジェレッド君の言う通りだ。僕は備え付けの手桶を持ち、湯船に向かった。
……というか、この手桶もフルールさんが作ってくれたものなのかな。何気にありがたい。細かいところまで行き届いている。さすがのフルールさんだ。フルールさんの仕事ぶりには感服するばかり。
「さてジェレッド君、湯船に浸かる前に、まずはかけ湯をしないとね」
「かけ湯?」
「足先から体の中心まで順番にお湯を掛けていって、温かいお湯に体を慣らすと同時に、体を綺麗にするんだ」
まぁ体を綺麗にして湯船を汚さないという意味では、かけ湯だけではなく、しっかり髪や体を洗ってからの方がいいという話もあるけれど……。
難しいところだね。温泉ってわりと刺激が強いみたいだし、浸かる前にしっかりゴシゴシ洗っちゃうと肌にダメージを与えるって話も聞くからねぇ。
「へー、そういうもんなのか。詳しいんだなアレク。温泉エリアには、よく来たりするのか?」
「今日が初めてかな」
「…………」
初めてのくせに、何をえらそうに長々と蘊蓄を垂れ流しているのか……。そんなジェレッド君の表情である。
いやでも、前世ではもちろん入ったことがあるし、たぶん間違ったことは言っていないはずだから……。
◇
なんやかんやありつつ、かけ湯をしてからゆっくり湯船に入り、湯の中に身を沈めた。
「うあー」
思わず声が漏れる。気持ちが良い。これは大変に気持ちが良いものだ。
「いやー、いいなー温泉。これはハマってしまうかもしれない」
これから毎日来てしまうかもしれない。こんなに良いものを今まで放置していたなんて、僕はいったい何をやっていたのか。
「おー、いいよなー。俺もよく来るんだ。なんだか入っただけで疲れも取れるし、怪我もすぐ治るような気がする」
「ほー?」
そうなんだ。そんな温泉の効能があるのか。すごいね。それは素晴らしいことで……いや、でもちょっと気になる話だ。なにせこの温泉は、ただの温泉ではなく、ダンジョンの温泉だから……。
果たしてナナさんがどんな設定を行ったのか、単純な疲労回復とか新陳代謝程度では済まない可能性が……。なんかやばい効能とか、面白い効能をぶち込んでいる可能性も……。
「どうかしたか?」
「あ、ううん、なんでもないよ?」
妙に深刻な顔をしているとこを見つかってしまったらしい。
ちょっと話題を変えようか。
「それよりさ、もうしばらく浸かったら、次は背中の流しっこでもしようかジェレッド君」
「いや、しねぇけど……」
「…………」
……話題転換に失敗したらしい。とりあえず話題を間違えたらしい。
でも、そんなにバッサリ断らなくてもいいじゃないかジェレッド君……。それくらい別にいいじゃないかジェレッド君……。長い付き合いの幼馴染なんだし、ここらで裸の付き合いもしてくれたっていいじゃないかジェレッド君……。
◇
さておき、温泉は良い。温泉素晴らしい。
温泉の素晴らしさに感銘を受けたので――
「キー」
「せっかくなので召喚してみました」
「おぉー」
――ジェイド君である。
大シマリスのジェイド君を召喚してみた。
こうして初めて温泉エリアにやってきて、僕は温泉を堪能していたわけだが――そこでふと、『そういえばジェイド君は温泉に入ったことがあるのだろうか』と気になったのだ。
僕的には大満足で、今まで入ってこなかったことを後悔しているくらいの温泉だ。もしもジェイド君がまだなのであれば、是非ともジェイド君にも温泉を楽しんでいただきたい。そう思って、ついでに召喚してみた。
「……だけど、こっちのお風呂に呼んだのはどうだったのかな」
「うん? 何がだ?」
「何の気なしに男湯に呼んじゃったんだけど……」
「なんかまずいのか?」
「正直なところ、ジェイド君が男性なのか女性なのかって、よくわかってないんだよね……」
それなのに男湯に呼んでしまった。これはどうなのか……。
「男性、女性っていうか……シマリスだろ?」
「シマリスだって性別はあるでしょうよ」
「それはそうなんだろうけど……」
「ジェイド君にだって性別は……まぁ実際あるかどうかもわかっていないんだけどね」
「どっちだよ……」
ジェイド君のステータスにも性別欄ないからねぇ……。
「でも、だからこそ心配なんだ。あるいは今日ここで男湯に入ったために、ジェイド君の性別が男性に傾いてしまうかも……」
「そんなことがあるのか……?」
「わかんない……。わかんないけど、もしもそうなったらまずいかも……」
いつかジェイド君が進化して……もしも人間形態への変身なんかが起こったりしたら……そのときジェイド君が、男性になってしまう可能性が……。
正直僕的には、男性より女性の方が……。
――とか、そういうわけではなくて、僕の軽率な行動でジェイド君の性別が決定してしまうことを危惧している。それはあまりにもジェイド君に申し訳ない。そこはジェイド君自身の選択であるべきだ。そんな大事な選択に僕が介入するのは間違っている。僕はそう思っただけなのだ。それだけだ。
「というわけで可能性を揺り戻すため、後でジェイド君には女湯にも行ってもらおうかな」
「そうか……」
「あー、でも女湯に行くのなら、ジェイド君って名前はちょっと不自然だよね。別の名前のときがいいかも」
「そうか……」
何やらジェレッド君の返答が雑になってきている点は若干気になったが、とりあえず僕の方針は決まった。
ジェイド君には、トラウィスティアさんとかモモちゃんのときに女湯に行ってもらおう。
「というか、今ちょうどディアナちゃんが女湯にいるんだし、今からでも行ってもらったらいいかも」
そんなことを思って、ジェイド君へと視線を移すと――
「すごいぼーっとしてる……。気持ちいいのかな」
「そんな雰囲気だな」
お湯に浸かったまま、大変リラックスした様子で目を細めてじっとしているジェイド君。
とりあえずこの様子を見る限り、連れてきてよかったなって思った。
「もしかして、将来はカピバラなのだろうか……」
人間化という進化の前に、カピバラへの進化の方が近そうなジェイド君であった……。
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