第719話 旅の終わり4
「よー」
「おや、クリスティーナさん」
声を掛けられて振り向くと、そこにはおずおずと扉を開けて部屋に入ってこようとするクリスティーナさんの姿が確認できた。
「勝手に入ってきちゃったけど、大丈夫だったか? 何度かノックしたんだけど……」
「あ、すみません、この部屋ノックわかんないんですよ」
「ノックがわからない……?」
なにせここは音楽室。中から外への音も漏らさないし、外から中への音も遮ってしまう音楽室なのだ。
「音を吸収するニスを壁に塗ってあるため、生半可なノックは消されてしまうのです」
「ノックの音を吸収するって、なんだそのニス……」
それはもはやニスではないのではないか――常々取り上げられる議題ではある。
「しかしなんでそんな細工を部屋に――あ、もしかして楽器の練習をする部屋だったりするのか?」
「そうですそうです。音楽室なのです」
ギターやらベースやらドラムやら、部屋に置かれた楽器を見て、そういう部屋だとクリスティーナさんも気付いたらしい。
「見ての通り、ここにはいろんな楽器が揃っているわけですが――どうです? そろそろクリスティーナさんも何かやってみませんか?」
「いやー、アタシは別にいいかなぁ……」
「パーティメンバーもみんなやっていますし、是非クリスティーナさんも始めてほしいんですけどねぇ。とりあえずビブラスラップとかどうです? たぶんそこまで難しくはないはずですよ?」
「ビブラスラップ? あー、たまにジスレアが叩いてるよな。……楽しいのか?」
「……ええまぁ、なんかずっとやっていますし、おそらく楽しいのではないかなと」
作った僕ですらよくわからん楽器だけど、きっと長く続けたら楽しさを見つけることもできるのだろう。知らんけど。
「で、そんな音楽室も、僕達の出発に合わせて引き払う予定だったのですが――クリスティーナさんのおかげで予定変更ですね」
「まぁアタシのおかげっていうのもおかしな気がするけどな」
「いえいえ、僕の希望を聞いてくれたわけですし、なんなら無理にお願いして申し訳ないと思っているところです」
出発を前にして、とあることをクリスティーナさんにお願いしていたのだ。
クリスティーナさんにお願いして――宿を移ってもらったのである。
元々クリスティーナさんは別の宿を借りて生活していたらしいのだけど、その宿を引き払い、こちらの宿に移っていただいた。そしてクリスティーナさんは、リュミエスさんの生活を近くでサポートしてくれるという。
いやはや、ありがたいね。本当にありがたい。ただただ感謝である。もう感謝してもしきれない。
「そうは言っても、アレクから生活費を出してもらってるしなぁ……。前も言った通り、別に大丈夫なんだけどな……」
「いやいやクリスティーナさん、それだけは譲れません。そこは是非貰ってください。何卒貰ってください。絶対に貰ってください」
「おぉ、わかったよ……。ありがたく使わせてもらうよ……」
以前話していたリュミエスさんの生活費のことである。一度は断られそうになった生活費だが、どうにかこうにか押し付けることに成功した。その後クリスティーナさんの引っ越しが決まり、ついでに引っ越し代等を押し付けることも成功した。
僕からすると、むしろ受け取ってもらえた点についても感謝だ。ただただ感謝。やはり感謝してもしきれない。
「まぁそんなわけで、今日は宿の下見に来たんだ」
「おぉ、そうだったのですね。どうです? いっそのこと、もう今日から住んでしまいますか? 全然構いませんよ? 六人一部屋ですが、まぁみんなで寝れないこともないでしょう」
「……いや、それはアレク達が出発してからにするわ」
「そうですか?」
ふむ。残念だな。川の字ならぬ、州の時で寝られるかと思ったのに。
「というか、アレク達が出発したらどうなるんだ? もしかしてリュミエスと二人で寝ることになるのか?」
「あー、どうなんでしょうね。とりあえず今後も二部屋借りる予定ですが、今まで通り音楽室や倉庫として一部屋使うのか、それとも一人一部屋にするか、そのあたりはリュミエスさんと話し合って決めてもらったらいいかと――」
「その話し合いができねぇから聞いてんだろうが……」
「まぁそうなんですけど……」
それを言うなら、別に僕だって話し合いができているわけではないですよ……。
「じゃあそうですね、実際に住み始めて二人きりになったとき、大体の雰囲気で察して行動してもらえたら……」
「難しいこと言うなぁ……」
なんだかんだクリスティーナさんもリュミエスさんと付き合いは長いですし、どうにか上手いことやってくださいな。
「ところでアレクの予定はどうなってんだ? 実際の出発はいつになるんだ?」
「ええはい。今後の予定として、とりあえず明後日が――掟の達成日なんですよね」
「お、そうなのか。ついに達成か。そりゃめでたいな。おめでとうアレク」
「ありがとうございます」
うむ。めでたい。長い時間を掛けて、ついに念願の掟達成だ。非常にめでたい。
「ちなみにですが、その明後日というのは――僕の誕生日だったりします」
「え? あ、そうなのか。それもめでたいな。おめでとうアレク」
「ありがとうございます」
うむ。めでたい。明後日で僕も二十一歳である。非常にめでたい。
「まったくの偶然なんですけど、掟の日数を計算したらそうなったらしいです」
「へー」
日数を厳密に正確に計算した結果、そうなったらしい。
そうなったと――レリーナちゃんが言っていたらしい。この前ジスレアさんがメイユ村に帰ったとき、教えられたらしいのだ。
こればっかりは普通にありがたい情報である。ありがとうレリーナちゃん。
「というわけで、どうせならその日に出発しようかなと思っています」
「ほー、誕生日で掟の達成日で出発日でもあるわけか」
「そうなのです。そんなトリプルのおめでたい日になるわけです」
盆と正月どころではないな。なにせトリプルだ。盆と正月と……あとなんかの日だ。節分だか七夕だかクリスマスだか針供養の日だか、適当に思い付くものを足してみてくれたまえ。
「そんな感じで、あまりにもおめでたいので――こんな物を作ってみました」
「うん? なんだ……?」
ちょうど作業をしていて、ついさっき完成した物を、クリスティーナさんに見えるよう手に持って掲げた。
「タスキです」
「タスキ……? ん、なんか文字が書いてあるな……本日の主役?」
「そうです。本日の主役タスキです」
大きく『本日の主役』と書かれているタスキだ。
「あとこれです」
「帽子……なのか?」
「パーティハットです」
紙で作ったカラフルな円錐形の帽子。いわゆるパーティハット。
「せっかくなので付けてみましょうか」
「おお……」
というわけでタスキを肩から掛けて、しっかり文字が見えるように調節し、頭には派手なハットをかぶった。
「どうです?」
「すげぇ浮かれてんなぁ……」
「ふむ」
まぁそうだな。やっぱりそういう印象を持つかな。
いやでも、もうそれくらいでいいんじゃない? だってこんなにもおめでたい日なのだ。浮かれて当然で、むしろ浮かれて然るべきなのでは?
「とりあえず僕はこの格好で、みんなにお祝いしてもらいたいのです。誕生日と掟達成日と出発日が重なったわけで――お誕生日会と掟達成記念祝賀会と送別会を開いてほしいのです」
開いてほしい。なにせトリプルだし、できたら盛大に開いていただきたい。
「あー、まぁアレクが望めば開いてくれるんじゃねぇか? 少なくともいつものメンバーは参加してくれるだろ」
「町を挙げて開いてほしいのですが」
「だいぶ大掛かりなもんを求めてんな……」
「故郷の村だと、僕が出発する日は一日中お祭り騒ぎなのですが」
「そうなのか……。なんつーか、すごいな。すごい村だな……」
とはいえ、さすがにこの町では厳しいかな。ラフトの町とメイユ村では状況が違うよね……。
メイユ村はこの町よりも小さくて、村人もほとんど知り合いだった。それに対し、この町は大きくて、僕もこの町では知名度もあんまりないだろうし……。知っていたとしても、仮面の半ズボンとしか認識されていない可能性がある……。
仮面の半ズボンを祝うお祭りに参加してほしいとお願いしたところで、果たしてみんな参加してくれるのだろうか……。
そして現れた仮面にパーティハットで本日の主役タスキを掛けた半ズボンを、果たしてみんなお祝いしてくれるのだろうか……。
next chapter:旅の終わり5
これにてアレク君(20歳)の冒険は終了です。
「おめでとうアレク君! 仮面にパーティハットで本日の主役タスキを掛けた半ズボンだとしても、とりあえずトリプルでおめでとう!」
――そう思われた方は、是非とも↓の評価をお願いします。
アレク君が浮かれつつ喜びます!




