第544話 カークおじさん宅、滞在三ヶ月目
「そろそろ出発しようかという話を、スカーレットさんとしていたのです」
「ふむ」
「それが――一ヶ月ほど前のことです」
「…………」
不思議だ。スカーレットさんと二人で、『出陣です!』『おー!』みたいな掛け声まで上げていたはずが、気付けばそれから一ヶ月が経っていた。カークおじさん宅の滞在も三ヶ月目へと突入である。いったい何故こうなったのか。とても不思議。
というわけで、そんな不思議な現象について、カークおじさんに話を聞いてもらっていた。
「一応は僕達もこの一ヶ月の間に、出発しようという気概だけは見せていたのですが」
「気概……? 気概って言われてもな……。えぇと、それじゃあなんでだ? 実際には出発しなかった理由はなんなんだ?」
ふむ。理由か。それはまぁいろいろと理由はある。止むに止まれぬ事情により、出発することができなかった我らアルティメット・ヘズラトボンバーズだったわけで――
「例えば――今日はちょっと天気悪いなとか」
「天気て……。いや、でも確かに初日から雨とかは少しイヤかもなぁ。出発をズラしたくなる気持ちもわかるか?」
「他には――ちょっと寒いなとか」
「それは、出発してもいいような気がするけど……」
「ちょっと暑いなとか」
「季節の変わり目だからなぁ……」
「それから――ちょっと眠いなとか」
「それはどうなんだ……?」
「ちょっとお腹すいたなとか」
「何か食ってから出発したらいいだけじゃないか……」
うむ。何やらカークおじさんが軽快にツッコんできてくれる。
さておき、とりあえずそんな感じで、『いきますかー』『あ、でも雨振りそうかも?』『じゃあやめますかー』といった出発キャンセルを、僕とスカーレットさんは何度も繰り返していたのだ。
「あとは――手紙書いてなかったな、とか」
「手紙? あ、そういえば書いていたな。なんか大量に書いてた」
母とも約束した旅行中の手紙。メイユ村へ届くまで時間が掛かることもわかっていたので、今のうちに書いて郵送をお願いしておいた。さすがにこの段階で出しておけば、前回のように僕の方が先に帰還してしまうこともないだろう。
……いや、違くて。これはフラグとかそういうのではなくて。
「まぁ結局のところ一番の理由は、カークおじさん宅の居心地が良すぎるからなのですが」
「ん、そうか、そう言ってくれるのは嬉しいが……」
「勇者と至宝が愛する宿です。誇ってください」
「別に宿ではないけどな?」
「いやいや、ご謙遜を」
「謙遜ではないだろ……」
なんかねー、ちょうどいいのよ。家の雰囲気とか、部屋のサイズ感とか、とても落ち着くのよ。それでいてカークおじさんは優しいし、美味しい料理も作ってくれるし、どうにもこうにも素晴らしい宿だ。
一度泊まるとなかなか抜け出すことができない、もはや呪いの館のような宿である。
「正直俺としては、パーティメンバーの怠け癖とかだらけ癖とかが原因なんじゃないかって気がしてしまうんだが……」
「……ええまぁ、それはまぁ」
正直それもあるわな。実際この一ヶ月は怠けているだけだった。居心地の良いカークおじさん宅で怠けたいっていう、ただそれだけの可能性も確かにありえる。というか、たぶんそう。
「さておき、そんな感じで出発決定と出発延期を繰り返していた僕とスカーレットさんでしたが――いい加減にしろとジスレアさんに怒られまして」
「まぁな、確かにそろそろ出発した方が――」
「ジスレアさん曰く、出発しないのは別に構わないと」
「え? あ、それは別にいいのか……」
「ただ、出発しないのに出発すると言うのはやめろと注意されまして」
「ああ、なるほどな……」
旅の荷物管理をしているのはジスレアさんなので、それはまぁキレるわな。
一応は軽く荷物の確認なんぞもしてくれていたようで、それなのに度々出発を延期されたら、そりゃあキレる。
「そんなことがあったのですが、うっかりそれも忘れて『そろそろ出発ですかねー』なんてやり取りをジスレアさんの前でしてしまったのです」
「…………」
「それで、もう本当に出発しなければいけないことになりました」
「そうか……」
それが今日のことだ。今日は天気がよかったので、『出発日和ですね』なんて話をしていたら、『じゃあ明日』と言われ、出発が決まってしまった。
「もうちょっと居たい気持ちもあったのですが」
「あー、でもいいんじゃないか? 急に決まった出発かもしれないが、実際のところ、そろそろいい頃合いだろ」
「ですかねぇ」
……まぁ一ヶ月前の段階からいい頃合いだと思っていたのだから、そりゃあもう十分すぎるほどいい頃合いだろう。普通に遅いくらいである。
そう考えると、『急に決まった』とも言いづらいかな。もう一ヶ月前からずっと、決まったり決まらなかったりした出発だものねぇ……。
◇
いよいよ本当の本当に出発が決まり、僕達は荷物をまとめ、借りていた部屋を綺麗に掃除してから、みんなでカーク村を囲む柵の前までやってきた。
「ではカークおじさん、お世話になりました」
「ああ、またなアレク、気を付けてな」
「ありがとうございます。メイユ村に帰るとき、また寄らせていただこうと思います。――ではまた」
カークおじさんと別れの挨拶を交わしてから、僕はヘズラト君が引いていた人力車に手を掛け、荷台に乗り込もうと――
「待つんだアレク君」
「おぉう」
乗り込もうとした瞬間、横からスカーレットさんにベシッとブロックされてしまった。
「なんですかいきなり……」
「そもそもこれはなんなのか、私は何も聞いていないのだけど?」
「これ? あー、人力車のことですか」
そっか、今までずっとカークおじさん宅の倉庫にしまわれたままで、スカーレットさんには説明していなかったか。
「人力車? ふむ。人力車と言うのか。何やらヘズラト君がカークおじさん宅の倉庫から引っ張り出してきて、コロコロと運んでいく姿は見たのだけど、質問するタイミングを微妙に逃してしまい、ずっと聞けずにここまで来てしまったんだ」
「そうでしたか……」
ずっと『ヘズラト君は何を運んでいるんだ……?』って思いながら付いてきたのかな……。
「えぇと、要は小さな馬車ですね。今回の旅では鞍の代わりにこれを使い、ヘズラト君に引いてもらって進んでいます」
「ほー、なるほどなぁ、これでか、へー」
強い関心を抱いたようで、スカーレットさんはふんふん頷きながら人力車の周りを一周した。
そして、僕の方に振り向いて――
「私も乗りたいのだが?」
「え? あ、はい、それは別にいいですけど……」
「ん、そうか、ありがとうアレク君」
僕が答えると、スカーレットさんはわくわくした様子で人力車に乗り込んだ。
そして内部の様子を確認してから――
「お、手すりかな? これを掴めばいいのか」
「そうです。なにせ出そうと思えば、結構なスピードが出るもので……」
以前ディアナちゃんと一緒に森の中を疾走したとき、とんでもない恐怖を味わったもので……。それで急遽取り付けた手すりである。
「なるほどなるほど、ではヘズラト君、出してくれるかな?」
「キー?」
「あ、うん、進んであげて」
「キー」
どうしたものかといった雰囲気でヘズラト君がこちらに視線を寄越したので、僕は進むように答えた。
そうしてスカーレットさんを乗せたまま進む人力車。僕がぼんやり眺めていたら、ヘズラト君はスカーレットさんに急かされたようで、どんどんとスピードを上げ、遠く離れていった。
……うん、だいぶ遠くへ行ってしまった。……そして帰ってこない。
「……行かないのか?」
「追い付けんですよ……」
別れの言葉を交わした後だというのに、目の前でごちゃごちゃと始められ、所在なさげな感じで佇んでいたカークおじさんが、追いかけないのかと僕に尋ねてきた。
しかしあのスピードに僕が追い付けるはずもなく、僕も所在なく立ち尽くすしかなかった。
「どうしたもんですかね……」
「そうは言っても、このままぼんやり立ち続けても仕方ないだろ」
「ですよね…………カークおじさん宅に戻ってもいいですか?」
「えぇ……?」
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