第533話 第六回世界旅行、出発前夜
「いやはや、なんとも急展開だねぇ……。急転直下の急展開だよナナさん」
「そうですね……。まさかここまで急に世界旅行が決まるとは思いませんでした。人界の勇者様曰く、『急いで準備して、明日には出発すべし』とのことですが……」
「そうなのよ。ずいぶんと急かされて、僕も大急ぎで準備を進めているんだけれど……」
今日の昼にはジスレアさんと、『次の世界旅行は、だいぶ先のことになりそうですね』などと話し合いをしてから家に戻ったはずが……その直後にスカーレットさんからの伝言を受け取り、すぐさまジスレア診療所に舞い戻り、『明日から世界旅行ですね』なんて話し合いをすることになってしまった。
そして今は急いで旅の荷造りをしながら、ナナさんと今後のことについて相談をしている最中であった。
「ごめんねナナさん。ナナさんにはいろいろと迷惑を掛けてしまうと思うのだけど」
「いえいえ、お気になさらず。そんなことは慣れっこです」
「そうか、ありがとうナナさん」
ナナさんはニッコリと微笑みながら、力強い言葉を返してくれた。
……まぁ『慣れっこ』という言葉のチョイス自体には若干引っかかるものがあったけれど、迷惑を掛ける側としては強く出ることもできない。
「それで、マスターから私に頼みたいことがあるそうですが」
「うん、なにせ急に決まった出発だからね、やり残したことがいくつかあるんだ」
いろいろあるのよ。やりかけの案件とか、出発前にやっておきたかった案件とか、これからやろうと計画していた案件とか、その引き継ぎをナナさんにお願いしたい。
――というより、ナナさんにしか頼めない。込み入った事情もあるため、ナナさん以外いないんだ。ナナさんにお願いしたい。ナナさんに託したい。
「それで、そうだな……。ひとまずナナさんに――これを託したい」
「おぉう……これはまた……」
僕は部屋のマジックバッグから袋を取り出し、テーブルにどすんと置いた。
「置かれたときの音から大体は察しましたが……一応は聞いておきましょう。この袋、中身はなんですか?」
「お金だね」
「やはり……」
お察しの通り、お金である。そこそこまとまった額のお金を、大きな袋に入れて用意した。
「さらに同じものを、もう二つ用意してみたよ」
「おぉう……おぉう……」
どすんどすんと、さらに二袋ほどテーブルに追加した。
これだけあればなんとかなるだろう。なんとかなるはず。この世の中、お金があれば大抵のことはなんとでもなる。
「……で、なんなのですか? これでいったい何をしろというのですか?」
「んー、まずはこれで――ミコトさんの仕送りをお願いしたいんだ」
「ああ、そうなのですね……。つまりマスターが世界旅行中、ミコト様は村に滞在する予定なのですね?」
「そうなるね。さっきDメールで確認したら、今回もそのつもりって返事が来たよ」
であるならば――仕送りだ。毎月の生活費をミコトさんに渡してあげてほしい。
「ふむ……。ではこのお金は、追加の『アレク資金』ということになりますか」
「あー、まぁそうなるのかな……」
そういえば前回もそんな感じで仕送りを用意して、それで余った分を『アレク資金』とかナナさんが命名したんだっけか。
やっぱりなんとなく怪しいお金っぽいネーミングにも感じてしまうのだけど……うん、まぁ任せるよ。好きに呼んでくれて構わない。
「とはいえ、さすがにそれだけではありませんよね? さすがに多すぎます。マスターだって、それほどまでにミコト様を肥えさせたいわけではないですよね?」
「……もちろんだとも。他にもいろいろと入り用だと思ってさ」
「と言うと?」
「他に――アレクハウス増築の工事費だね」
「あぁ、ではフルール様へですか?」
「うん。もうある程度は前金で払っているんだけど、増築が完了したら残りを払ってもらえるかな」
「ふむふむ。かしこまりました」
もうちょいでアレクハウスの増築工事も終わるはずなので、完成したらフルールさんに……というか、結局僕は最後まで付き合うことができんかったなぁ。フルールさんに申し訳なく、僕としてもちょっと残念。
もう五ヶ月近く建築工事を手伝ってきたわけで、それだけの期間手伝いを続けたのに、完成を見届けられないとか……うわ、普通に残念だな。普通にかなり残念。
「あ、あと完成前にパンを発注しておいてね?」
「パン?」
「パン祭りをやってほしいんだ」
「パン祭りと言うと……え? 上棟式ですか? 家の増築で上棟式をするのですか?」
「うん、一応やっておこうかなって」
フルールさんとの話でも、確かそんな予定になっていた気がする。
どうやら僕は参加できなさそうだけど、僕の代わりにナナさんがパン祭りを取り仕切ってくれないだろうか。
「まぁいいですけどね……。パン祭りはマスターにとっての生きがいらしいですから」
「別にそこまでじゃあないけれど……」
「その役目を代わりに託されたことを、私としても誇りに思うことにします」
「そう……。うん、じゃあまぁそうして……」
僕の代わりに、誇りを持ってパンを撒いてあげて……。
「だけどこう考えると、結構イベントあるよね。むしろアレク資金足りなかったりする?」
「……十分足りますよ。十二分に余るくらいですよ」
そうなのかな? どうなんだろう、ちょっと不安。
後でももう二袋くらい用意しておこうか? 足りなくて困るということもあるまい。
「あ、それと、これまた面倒な案件がひとつ残っていてだね……」
「はぁ、なんでしょう?」
「お酒だね。超ユグドラ――」
「はい?」
「えぇと……世界樹の酒。世界樹の酒の準備が進んでいないんだ」
これがねー。これが全然なのよ。一応僕もいろいろと調べて、お酒造りの工程は掴めたし、計画もある程度固まったのだけど、準備自体はまだまだ手付かずの状態だ。
「世界樹の酒と言うと……ああ、ユグドラシル様にお酒を造ってもらおうという計画のことですか」
「そうそう。そのこと」
「『ユグドラシル様が素足で踏んだぶどうを飲みたい』というマスターの計画のことですね?」
「違う」
……いや、確かにおおまかな流れは間違っていないのかもしれないが、それはなんか違う。ニュアンスがだいぶ違う。
「もしくは、『ユグドラシル様が噛んだ穀物を原料に、お酒を造って飲みたい』というマスターの計画のことですね?」
「違う」
別に僕は口噛み酒なんて――というか、それは誰にも話していなかったはずだ。
こっそり頭の中で想像はしたが、すぐさま封印した計画だ。だというのに、何故だナナさん。どうしてわかったのだ。やはり僕の娘を自称するだけのことはあるということか……。
「そうじゃなくて、普通にぶどうのやつね。ぶどうを原料にしたお酒」
「ですが、ユグドラシル様にぶどうを踏んでいただくことは間違いないのですよね?」
「む……。んん、それはまぁ……」
それはまぁ、そうなんだけどね……。いやでも、それは別に変な意味じゃなくてさ、なんというか、ありがたい感じがするじゃない?
いや、『幼女が踏んだぶどう』って部分じゃなくて、『神様が踏んでくれたぶどう』っていう、そこよ? その部分でありがたいお酒になりそうじゃない。
「えぇと、とにかくそんな感じで、お酒を造りたいんだけど……でも、こっちは全然計画が進んでいなくてさ。原料のぶどうや、お酒を造るための設備の調達すら終わっていない現状なんだ……」
「はぁ、仕方がないですね。マスターの世界旅行中に、私がしっかり『超ユグドラ汁』を完成させておきます」
「…………」
それも言ってないはずなんだけどなぁ……。『超ユグドラ汁』なんて名称は、誰にも伝えたことがなかったはずだ。
確かに先ほど『超ユグドラ』まで口を滑らせてしまったが、そこからすべてを察したのだろうか……。
「それで、他には何かありますか?」
「んー……いや、そんなところかな。もうないと思う」
「そうですか。まぁ出発後でも何か思い出したことがあったらDメールでお伝えください。私が上手く対処します」
「そっか、ごめんねナナさん。ありがとう。本当にありがとう」
うん、なんだか今までのやり取りから、ナナさんが全部しっかり僕の希望通り対処してくれそうな気がしてきた。それくらいナナさんは僕のことをわかってくれていそう。そんな信頼感が生まれてしまった。
「ありがとうナナさん。ナナさんのおかげで、安心して出発できるよ」
「何よりです。ではマスターも、気を付けていってらっしゃいませ」
「うん、いってきます。頑張ってくるね」
うむうむ。気持ちよく出発できそうだ。心残りもなく、後顧の憂いもなく、安心して出発できそう。
「ちなみに、明日は何時頃に出発なのでしょう?」
「ん? 明日?」
「明日です。やはり夕方頃ですか?」
「明日は出発しないよ?」
「は?」
あれ? えっと、そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔をされても……。
「え? 明日ではないのですか?」
「うん、出発は一週間後」
「はぁ……? え、どういうことですか? 人界の勇者様からは、『明日には出発すべし』と……」
「あー、それは確かにそうなんだけど、ジスレアさんと相談した結果、一週間後にしようって……」
ジスレアさんと話したら、『急すぎる。どれだけ相手の都合を考えないのか。一週間後とかでいい』なんてことを言っていた。
……まぁその昔、ジスレアさんも僕に同じことをしたけどね。唐突に『明日から世界旅行へ行こう』みたいなことをジスレアさんから提案された記憶があったりする。
さておき、とりあえず今回は一週間後と決まった。第六回世界旅行は一週間後。少なくとも明日ではない。
「なんなのですか……」
「なんなのって言われても……」
「何が出発前夜ですか。全然先じゃないですか……」
「えぇ……? 出発前夜だなんて、僕は一言も……」
「出発前夜っぽい雰囲気を出していたじゃないですか。出さないでくださいよ」
「そんな無茶苦茶な……」
んー、でも確かにちょっと余裕がない感じで荷造りとか引き継ぎとか始めちゃってたかな? 案外余裕はあるのよね。普通に一週間あるのよ。
やっぱりスカーレットさんの伝言の影響かねぇ。伝言の勢いに押されて、僕も少々焦って行動してしまった。
「もう本当に……。うっかり旅立ちシーンを演出してしまったではないですか」
「そんなことを言われても……。というか、実際に一週間後には旅立っているんだから、演出したってよくない?」
「先ほど私が言った『いってらっしゃい』を返してくださいよ」
「いいじゃないか、別に今くれたって……」
一週間後には貰えるはずの『いってらっしゃい』なのだから、ちょっと早めだったとしてもいいじゃないか……。
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