第391話 ユグドラ汁
みんなに見送られながら、ゆっくりと村の中を進み、ようやく僕達は村を抜けた。
「お疲れ様です、ユグドラシルさん」
「うむ、疲れたのう……」
「モモちゃんも、お疲れ様」
「キー……」
ユグドラシルさんも大ネズミのモモちゃんも、かなりお疲れのご様子。
まぁね、確かにちょっと大変だった。手を振り続けて腕もだるいし、声を出し続けて喉もつらいし、ずっと笑顔なもんで、顔とかむしろ引きつるし。
「いやしかし、ユグドラシルさんのおかげでお祭りも大層盛り上がりました。ありがとうございました」
「……改めて考えると、それもどうかと思うのじゃがな」
「はい? 何がですか?」
「アレク出発祭は、お主の旅立ちを祝う祭りなのじゃろう? わしがモモに運ばれながら歓声に応えるのは、何か少し違うのではないか……?」
「なるほど」
一理ある。
あんまり深く考えてなかったな。盛り上がればいいやって、安易に考えていた節がある。……たぶん村人達も。
「とはいえ、ああして大勢の村人が喜ぶ姿を見られたのは、わしとしても悪い気分ではなかった」
「お、そうですかそうですか」
それならよかった。村人も喜んで、ユグドラシルさんも喜んでくれたのなら何よりだ。結果的に素晴らしいお祭りになったね。
「……まぁ、一部の村人からは不満を向けられたが」
「え、そんなことがありましたか?」
まさかそんな。心優しい慈愛の女神ユグドラシルさんに、不満をもつ人なんて――
「『ずるいずるい』と駄々をこねる娘とかのう……」
「あぁ……」
まぁ、その娘さんはね……。
どうもユグドラシルさんが羨ましかったみたいね。自分は付いていけないのにユグドラシルさんが同行するのが不満らしく――その不満を肩パンという形に変えて、僕に見舞ってきた。
「あとは……何故か簀巻きにされて、『ムームー』言っていた娘とかな……」
「あぁ……」
まぁ、その娘さんもね……。
つい最近アレクルームの件で、村を巻き込む大騒動を起こしてしまったばかりだから……。
その罰で外出禁止をくらい、今日の見送りだけは特別に許可されたらしいが、例によって簀巻き状態という制約をかけられてしまっていた。
「突然隠密化したのは、なんじゃったのか……」
ひとしきり僕とユグドラシルさんに『ムームー』言っていた娘さんは、何故かおもむろに隠密化を始めた。
だんだんと消えていく過程を見たのは初めてで、『おー、消えてる消えてる』などと、ちょっと場違いな感想を抱いてしまった。
娘さんが何故隠密化を始めたかは、あんまり考えたくない。
というか、簀巻き状態ではどうにもならんだろうに……。
◇
兎にも角にも村を脱出した僕らは、その旨をDメールでナナさんに送った。
それからしばらくして、村から出てきたジスレアさんと合流。
いよいよこれから、本格的に世界旅行の開幕だ。
僕はモモちゃんに騎乗し、ジスレアさんとユグドラシルさんと共に、人界を目指して歩き出した。
そして、森の中を進むこと十五分ほど――
「今日はここまでにしよう」
「…………」
ジスレアさんの宣言に、ユグドラシルさんがもにゅもにゅとしている。
まぁ、確かにあんまり進んでないね……。
「えぇと、でも仕方ないですよ。もう日も暮れてきましたし、これから野営の準備もしなきゃですから」
「むしろ、いったん村に戻ってもいいような距離じゃが……」
まぁ十五分だしねぇ……。
とはいえ、あれだけ盛大に見送られた後で、すぐさま村に戻るってのはきつい。経験者だからわかる。あれはきつい。
それに、もしも村に戻って翌日再出発なんてことになったら、あるいは二日続けてのアレク出発祭が開かれてしまうかもしれない。それもできたら遠慮したい。
「まぁまぁユグドラシルさん。とりあえず野営の準備を始めましょう」
「うーむ……」
「ではさっそく、僕はテントの設営に取り掛かります」
森の中、ある程度開けた場所を探し、僕は自分のマジックバッグからテント一式を取り出して地面に並べる。
それでテントの…………うん? えーっと……。
「どうした?」
「もはや記憶が曖昧です」
前回の世界旅行から、かれこれ一年が経過。テント設営の仕方も忘れてしまった。
はて、どうやるんだっけか? えーと、確か……ペグ? うん、ペグ。
「キー」
「あぁ、そうだったそうだった。ありがとうモモちゃん」
モモちゃんはしっかり覚えていたらしい。さすがモモちゃん。賢い。
というわけで僕はモモちゃんと協力しながら、テントを組み立てていく。
「じゃあ私は夕食の準備」
「はい。お願いします。――あ」
「うん?」
「これを使ってください。ミコトさんからのいただきものです」
僕はジスレアさんに、ミコトさんから貰ったトード肉を渡した。
ちょっとレアなダンジョン産トード肉だ。今日はこいつを食材にしてもらおう。
「トードかな?」
「そうです。今朝ダンジョンで獲れたやつだそうで」
「うん。それじゃあ今日はトードのスープにしよう」
そう言って、調理の準備を始めたジスレアさんだが――
「ユグドラシル様」
「む?」
「せっかくだし、一緒にどうですか?」
「ふむ。夕食の準備か?」
「そう」
手持ち無沙汰のユグドラシルさんを見つけ、そんな提案をするジスレアさん。
ほほう? ユグドラシルさんの料理とな?
「しかし、わしは料理なぞほとんどしたことがないが」
「大丈夫。私も不得意」
それは、大丈夫と言っていいのだろうか?
まぁ僕だって不得意だし、全部任せている僕が文句を言える立場ではないけれど……。
「材料を鍋に入れて煮るだけ。大丈夫」
「ふーむ。ではやってみるか」
「ありがとう。じゃあ鍋に水を――」
「む。水なら出せるぞ? わしは『水魔法』が使える」
ほー。ユグドラシルさんは『水魔法』スキルを持っているのか、初耳だ。
なんだか『水魔法』使える人って周りに結構いるよね。やっぱり便利だから、みんな覚えようとするのかな?
『水魔法』取得へ向けて日々訓練している僕としては、ちょっと憧れる。僕も早く覚えたい。
「鍋に注げばよいのじゃな? どのくらいじゃ」
「適当に」
「ふむ」
そんな会話をしつつ、ユグドラシルさんは『水魔法』スキルで生み出した水を、お鍋にじゃぶじゃぶと注いでいく。
ユグドラシルさんが生み出した水。つまりは――
ユグドラシル水か……。
案外楽しげに夕食の準備を進めるユグドラシルさんを横目に、ついそんなことを考えてしまった。
いや、よくないな。こんなことを考えるのは、きっとよくないことだ。だいぶ気持ち悪い思考だと思う。
ついつい『ジスレア水とユグドラシル水は、どっちが美味しいのだろう』なんてことも考えてしまったりしたが、これもよくない。とても気持ち悪い。
「キー?」
「あ、ごめんねモモちゃん」
いかんいかん。作業の手が止まっていた。テント設営に戻ろう。
何やら調理班と設営班に別れたからな。調理班のジスレアさんとユグドラシルさんも頑張っていることだし、僕もしっかり頑張らないと。
……それにしても、ユグドラシル水ってのは、ちょっと語呂が悪いな。妙に長い名前になってしまっている。ジスレア水にくらべて、なんだかしっくりこない。
だとすると……ユグドラ水? ユグドラ水の方がいいかな? だいぶしっくりきた。
ただまぁ、さらに上を目指すなら――
ユグドラ汁。
……うん。語呂はいい。というか音だけなら普通に本名だし、そりゃあしっくりくる名称だ。
本人に聞かれたら、怒られるかドン引きされそうなネーミングだけど……。
「キー?」
「あ、すみません」
作業に戻ります。すみません。
◇
なんやかんやありつつも、僕とモモちゃんは無事にテントの設営を終え、調理班の二人もトードのスープを完成させた。
僕はお皿にスープをよそってもらい――
「どうじゃアレク」
「はい。美味しいです」
「お、そうかそうか」
僕の言葉に、ちょっと嬉しそうな様子を見せるユグドラシルさん。
うん、美味しい。普通によくできている。美味しいスープだ。
というわけで今日の夕食は、村から持ってきたパンと、ユグドラシルさん達が作ってくれたスープ。
パンとスープだ。パンと汁物。つまりはパンと――
ユグドラ汁。
結局はユグドラ汁。
パンとユグドラ汁が、今日の夕食。
「美味しいです」
「うむうむ」
「とても美味しいスープです――変な意味じゃなくて」
「うむ。……変な意味?」
普通に美味しいスープだっていう、ただそれだけなのです。
どうか、どうかそこだけは誤解なきよう……。
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