第341話 バックダブルフルフルダブルフル
6-1雪エリアにて、僕とナナさんはかまくらの中でくつろいでいた。
「あれは?」
「コーク900です」
「えーと……縦一回転と、横一回転半で900ってこと?」
「そうですそうです」
ちょうど競技を見やすい位置にかまくらがあったので、少し拝借して、二人で暖まりながら見物していた。
ちなみにヘズラト君は、かまくらの外にいる。
以前もそうだったが、雪が好きなヘズラト君は、かまくらでじっとしているよりも、雪を全身で感じたいらしい。そんなわけで今回も外へ送り出した。
時々ここからでも、元気に走り回っているヘズラト君の姿を確認することができる。楽しそうで何よりである。
「それにしても、僕が旅をしていた二ヶ月のうちに、とんでもないことになっているね」
「そうですねぇ」
「フリースタイルスキーだっけ? 誰がやり始めたのかな」
「私です」
「…………」
なんとなく浮かんだ疑問を口にしてみたところ、ナナさんから驚きの答えが返ってきた。
……いや、そこまで驚愕の事実ってわけでもないのかな。
なんだかナナさんはこの競技への造詣が深いみたいだし、それもありえることなのか……。
「なんというか、スキーも上手かったりするのですよ私は」
「そうなの?」
「なにせ私は『騎乗』スキルを持っていますので」
「あぁ、そういえばそんな話をしていたね」
旅に出る前、ナナさんはソリが上手いって話をしていた気がする。
なるほど、やっぱりスキーも上手かったのか。
「それで、なんとなく試してみたのです。斜面に小さいジャンプ台をこさえて、飛んでみたのです」
「ほー」
「コザックとか、ヘリコプターとか」
「おぉ……」
なんだろう。なんかもう名前に懐かしさすら覚える技だ……。
「そんなふうに遊んでいたのですが、それを見ていた皆さんも同じようにエアートリック始めて、気付けばこんな感じに」
「そうなんだ……」
ということはつまり、この二ヶ月でコザックからダブルコークまで進んだわけか。
それもすごい話だな。とんでもない進化のスピードだ。
その二ヶ月を見られなかったことは、あるいは少し残念だったかもしれない。そんな時代の変遷を、僕も間近で感じたかった。
「というわけでマスターもどうです? やってみませんか?」
「何が『というわけ』なのかわからないけど、とりあえず僕は飛んだりしないよ……」
少しの間見学していただけでも、豪快に失敗している人達をそこそこ見かける。
あれを見ていると、どうしたって躊躇してしまう。
僕にはそこまでの防御力がないからな……。肉離れ以上の洒落にならない怪我をする未来しか見えない。
「そもそも僕はスキーに乗ったことすらないから」
「おや? そうでしたか……? あぁ、生まれ変わってからの話ですか?」
「うん。前世ではあるけれど、今世ではまだないんだ」
どうなんだろうね。『器用さ』は高いし、案外上手に滑れるのだろうか?
……でも『素早さ』がないからな。スキーの操作が間に合わず、事故ったりしそう。
「とりあえず飛んだりはしないけど、一回普通に滑りたいかな。実はもうスキー板の発注もお願いしたんだ」
「というと、ジェレパパですか?」
「そうだね。ジェレパパさんに」
旅のお土産であるカークパンをジェレッドファミリーに届けた際、僕の分のスキー板も作ってもらうようにお願いした。
二ヶ月前には無限スキー板地獄を味わっていたジェレッドパパだが、最近はようやく落ち着いたのか、少し余裕もあるようだ。
「――あ、それでそのとき、ジェレッドパパさんに相談されたんだよね」
「相談ですか?」
「もっとスキーのスピードを上げたいとかなんとか」
お客さんから、そんな要望を受けているらしい。
そのときは『まぁそういうもんかな』『速く滑りたいのかな』くらいの認識だったが、実際に雪エリアを視察してみてよくわかった。
「確かにスピードがあったら、もっといろんな技ができそうだ」
「それはそうでしょうね。さらに進化のスピードも上がることでしょう」
「そうだよねぇ……」
現状でも、進化スピードはちょっと早すぎな気もするけど……。
「それで、どうやってスピードを上げるのですか? やはりここは――『ニス塗布』ですか?」
「そうね。ニスでなんとかならないかって、ジェレッドパパさんも言ってた」
「できるのですか?」
「んー。どうかな。そればっかりは実際にやってみないと――んん?」
ナナさんとぼんやり話しながらも、キッカーから飛び立つスキーエルフ達の演技はちゃんと見ていた。
その中で、何やら少し変わったエアーを見せるエルフがいたのだ。
寒さ対策なのか、厚着をして着ぶくれたエルフが見せた今の技はいったい――
「ねぇナナさん、今のは?」
「ダブルバイオ1260ですね」
また知らないワードが出てきた……。
「バイオ?」
「バイオ軸です」
なんなのだそれは……。
「うん? というか、あれって――母じゃない?」
「え? あ、そうですね。確かにお祖母様です」
着ぶくれのせいで気が付かなかった。今のダブルバイオ1260とやらを華麗にメイクしたエルフは、我が母だった。
「あ、こっち来た」
かまくらから見ていた僕らに気が付いたのか、スイスイと滑りながら、母がこちらへ移動してきた。
「二人とも来ていたのね」
「お疲れ、母さん」
「素晴らしいエアーでしたミリアム様」
「ありがとう」
僕らの賛辞を笑顔で受け入れる母。
……近くで見ると、すごい着込んでいるのがわかる。これだけ着込んで動きづらくないのだろうか。
「ただ、もっとスピードがほしいの」
「スピード?」
「ニスでなんとかならないかしら?」
「はぁ……」
まぁちょうどそんな話を僕とナナさんもしていたわけだが。
……もしかして、母もスキーのスピードアップをジェレッドパパに要望していた人達の一人だったりするのかね。
「お願い」
「え、いや、ちょっと待って、やってみるから。というか外に出るから待って」
いつの間にかスキー板を外した母が、僕達のかまくらにスキー板を突っ込んできた。危ない。危ないよ母。
「といっても、上手くできるかはわからないけど……」
「きっとアレクならできるはずよ、頑張って」
「うん……」
こんなことに信頼を寄せられても困るのだけど、まぁやれるだけのことはやってみようか……。
「それじゃあ――『ニス塗布』」
僕は渡されたスキー板の裏面に、『滑るように、たくさんツルツル滑るように』などと念を込めながら、『ニス塗布』を唱えた。
そんな感じで作業自体はサクッと終わったが……果たしてこれで本当にできたのだろうか?
「うん。一応やってみたけど」
「ありがとうアレク。じゃあ履いてみるわね――――あら」
再び母がスキー板を装着すると――母はツルツルと後ろへ後退していった。
「……これは、なかなかね」
「とりあえず滑るようにはなったのかな」
板をハの字にして後退を止める母。
この様子を見るに、そこそこ上手くいった雰囲気はある。
「さっそくもう一度飛んでみるわ」
「頑張って母。……あんまり無茶をしないようにね」
「ええ。ナッちゃんも見ていてね」
「はい。頑張ってくださいミリアム様」
「ありがとう。行ってくるわ」
そう言って、母はスキー板をハの字に開いたまま、スイスイと滑るように斜面を登っていった。
この急斜面を、スイスイと……。
「スケーティング走法ですね」
「あぁ、そんな名前なんだ。確かにスケートっぽい動きだと思った」
「ストックがあれば、もっと速く移動できるでしょうね」
そういえばみんなストック持ってないね。手ぶらでスキーをしている。
いずれみんなストックを求めて、無限ストック地獄が始まるのかな……。
「ストックを使ったV1スケーティング走法や、V2オルタネイトスケーティング走法を覚えれば、もっともっと速くなるでしょう」
「…………」
またナナさんが謎のワードを発言し始めた。
いったいナナさんはどういう人なのだ。どれだけウィンタースポーツに精通しているのだ……。
ナナさんに軽く疑問を抱きながらしばらく待っていると、これからジャンプに挑もうとする母の姿が見えた。
こちらへ手を振ってきたので、僕らも手を振り返す。
「さて、どうなるかな……」
「『ニス塗布』によるスピードアップが成功していたのなら、きっと今まで以上の演技を見せてくれることでしょう。期待してしまいますね」
「そうだねぇ。上手くいっているといいけど」
とはいえ、だいぶスキーの感覚も変わっただろうし、いきなり大技に挑むのも難しいんじゃないかな……。
僕とナナさんが期待だったり不安だったりを胸に抱きながら、母を見守っていると――
「お、滑り出した。……というか速いな」
「先程とは段違いですね。さすがですマスター」
「ありがとう……」
いやけど怖いな。今までだって見ていて怖かったのに、今までとは段違いのスピード。段違いに怖い。
むしろ不安が増した僕が見守る中、母はさらにスピードを増し、勢いよくキッカーから――
「……えぇ?」
「これは……」
今までとは違う。今までのとは全く違う飛び方だ。
母は背筋をピーンと伸ばしたまま飛び上がり、くるくると体を捻りながら宙返りをして、綺麗に着地した。そしてそのまま斜面を滑っていった。
なんだ今のは……。まるで器械体操の演技みたいな飛び方だったが……。
「――バックダブルフルフルダブルフルですね」
「フル……え?」
なんて? ナナさんがなんて言ったか全然わかんなかった。何? フル……何?
「フルとは、フルツイストの略です」
「フルツイスト……?」
「バックダブルフルフルダブルフル――後方三回転五回捻り宙返りのことです」
後方三回転五回捻り宙返り……。やっぱり体操っぽい。そんな感じがする。
いやしかし、そのフルフルなんとかってのはなんなんだろう。それもちゃんとした技名なのかな……。
そんなおかしな技名が付いた競技とか、本当にあるのだろうか……。
「すごかったですねマスター」
「あ、うん。すごかったけど……」
確かにすごかったけど、突然別の競技を始めた母も謎だし、その競技の技名も謎だし、普通に解説し始めたナナさんも謎でしかない……。
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