第304話 ジスレアさんの水
「今日はここまでにしようか」
「あ、はい」
再び始まった世界旅行初日。今日の移動はここまで。ここをキャンプ地とするらしい。
「じゃあテントを建てる」
「はい。……見ていてもいいですか?」
「ん? うん」
というわけで、ヘズラト君と一緒にジスレアさんのテント設営を見学する。
なんだか懐かしい。前回の世界旅行でも見学させてもらい、『明日は僕とヘズラト君にさせてもらおう』なんてことを考えていた記憶がある。
まぁ結局、その翌日には自宅へ舞い戻ることになってしまったわけだが……。
あれから五ヶ月、もはやテントの建て方など忘れてしまった。
仕方ないので、改めて見学させてもらおう。そして明日こそは、ヘズラト君と二人で設営してみよう。
「――こんな感じ」
「なるほどなるほど。明日は僕がやってもいいですか? ヘズラト君と二人で」
「いいよ?」
「ありがとうございます。頑張ろうねヘズラト君」
「キー」
よしよし。頑張ろう。明日は頑張ってペグを打ち込もう。
まぁそこまで複雑な仕組みでもないので、たぶん大丈夫だろう。もしわからなくても、その都度ジスレアさんに聞けばいい。
なんだったら、ヘズラト君に聞けば教えてくれるんじゃないかな? ヘズラト君はえらく賢い子なので、もう普通にマスターしていそう。
「じゃあ次は夕ごはんだ」
そう宣言したジスレアさんは、マジックバッグからIHの魔道具と鍋を用意し、そこへ手をかざす。
そしてその手から――ダバダバと水が流れ始めた。
このようにジスレアさんは、『水魔法』が使える。
『騎乗』スキルやら『水魔法』スキルやら、旅に便利なスキルを各種取り揃えているジスレアさん。さすがは旅慣れていると評判のジスレアさんである。
それにしても、ジスレアさんの『水魔法』か……。
改めて考えると……なんだろうね、なんとも言えない。この気持ちをどう表現したらいいかわからない。
いや、別に汚いとかそういうふうに思っているわけではない。決して負の感情を抱いているわけではない。
だからといって、ことさら喜んでいるってわけでもないのだけど……。
ジスレアさんの水を喜んで飲むのも、なんか違うよね。それはそれで、やっぱりドン引きされるよね……。
「どうかした?」
「いえ、なんでもないです」
「そう?」
沸騰した鍋に肉やら野菜やらを無造作に投げ込んでいるジスレアさんに、僕は『なんでもない』と返した。そう返す他なかった。
ふーむ……。母やナナさんの水も未だに少し抵抗があったりするのだけど、赤の他人の水ってのもやっぱりねぇ……。
というか、母とナナさんとジスレアさんの水か……。
――味に違いってあるのかな?
……いや、うん。わかっている。今、相当気持ち悪かった。相当気持ち悪いことを考えてしまった。自分でもわかっている。
だけど、ちょっと気になる。どうなんだろう……。
違ったりするのかな? 多少は違う? まぁ例え違ったとしても、僕じゃあ判別できないかな? 前世で軟水と硬水の違いもわからなかった僕だしなぁ……。
いや、そもそも正確に判別できたとしたら、それもやっぱりちょっと気持ち悪いような――
「アレク? できたよ?」
「はぇ? あ、はい。ありがとうございます」
僕がろくでもないことを考えているうちに、夕ごはんが完成したらしい。
出来上がったばかりのスープと、村から持ってきたパンを渡された。
「ではいただきます」
「うん」
スプーンでスープをすくって、口に運ぶ。
「美味しいです」
「それはよかった」
美味しい。ジスレアさんが作ってくれたと思うと、美味しく感じる。
まぁ、もはや美味しくいただくことが良いことなのか悪いことなのか、それさえも判断がつかなくなってきた僕ではあるけれど……。
◇
どこかの家庭には、父親が『水魔法』を取得していて、父親が料理をしていたりする家庭もあるわけだ。
思春期の娘さんとかいたら、少し嫌がりそうな気もするよね。『お父さんの洗濯物と一緒に洗わないで』的な感じで。
――そんなろくでもないことばかり考えているうちに、夜になった。
そろそろ寝ようかという話になり、ヘズラト君はまたもや空気を読んで退出した。
そして僕達二人がテントの中に入ったところで――ジスレアさんは夜襲に備え、マジックバッグから世界樹の弓を取り出した。
――世界樹の弓を取り出した!
あぁ、良かった……。どうやらちゃんと持ってきていたらしい。一安心である。
これでちゃんと世界旅行が始まる。もう二日で帰宅なんてことも起きない。
というわけで世界樹の弓を確認し、一安心した僕は、テントの中でジスレアさんに――とある秘密を打ち明けた。
「ダンジョンが……?」
「そうなんですよ。実はそうだったんです」
ダンジョンのことである。Dメールのことを考えると、ダンジョン関連の事情はジスレアさんにも知っておいてもらった方が都合がいい。
「つまり、えぇと……世界樹様にダンジョンコアを貰ったの?」
「まぁ……神様に。神様に貰いました」
「それで、アレクがダンジョンマスターに?」
「そうなりました。例の『世界樹様の迷宮』ってダンジョンのマスターに」
「ナナもダンジョンマスター?」
「はい。二人でダンジョンマスターをやっています」
「そうか、なるほど……」
といったふうに、微妙に正確ではない情報を混ぜつつも、僕はジスレアさんに事情を説明した。
ジスレアさんは、僕の言葉にしばし考え込んでから――
「うん。なんとなく納得できる」
「あ、そうですか?」
「前々から、あのダンジョンはどこか変だと思っていた。アレクとナナがダンジョンマスターというのは納得できる」
「はぁ……」
あれ? なんか軽くディスられた? 気のせいかな?
「あの湖とか山のエリアも、二人で作ったの?」
「そうですね、二人で相談して作りました」
「あのワープする装置も?」
「はい。二人で相談しながら」
「あの変なトードも?」
「……あれはナナさんです。あれは全部ナナさん一人で作りました。僕じゃないです」
カラートードの奇抜なデザインに、僕が関与していると思われたくない。
あれは僕じゃない。あのセンスは僕にはないものだ。
「じゃあ、あれもかな? あの変なゴーレムもナナが?」
「……あれは僕が作りました」
奇抜なカラートードと救助ゴーレムを同列で語られるのは、なんだか少し釈然としない。
救助ゴーレムは、ダンジョンの安全を考慮して設計された重要なモンスターだというのに……。
「あのゴーレムは救助ゴーレムといいまして、傷付いた探索者を癒やしてくれるんです」
「そんな場面を見たことがないけど……」
「瀕死状態じゃないと活動しないので……」
「そうなんだ……。どうやって癒やすの?」
「傷付いた探索者の口に、頭の薬草を突っ込みます」
「それは……」
なんだか軽く引かれてしまった雰囲気だ。
まぁねぇ。救助方法としては、いささか乱暴な印象を受けるかもねぇ……。
……なんであのとき僕は、『救助ゴーレムに回復魔法を所持させる』って方法を思い付かなかったのか。
そうしたらもっとスマートに救助できただろうに……。
まぁ今さら変える気にもならないので、これからも救助ゴーレム君には薬草一本で頑張ってもらうつもりではあるが。
「それよりジスレアさん、僕が話したいのはDメールのことです」
「でぃーめーる。えっと、それでナナと連絡が取れるんだっけ?」
「そうです」
「それはつまり、教会にある『通話の魔道具』みたいな感じかな?」
「…………」
いや、まぁ連絡が取れるという意味では同じなんだけど……。
「それはちょっと……おこがましいです」
「おこがましい?」
「比べるのがおこがましいレベルです」
「そうなんだ……」
残念ながら、あれにはちょっと勝てない。……もうあれとか普通に電話だしね。
そんな通話の魔道具に比べ、句読点や記号が使えず、文末に『ダンジョン』の文字を強制的に追加されるメールとか……ちょっと勝負にならない。
「それは、今も連絡できるの?」
「あぁはい。では試しに連絡してみましょうか。『ダンジョンメニュー』」
というわけでダンジョンメニューを開くと――
「あ、ナナさんからメッセージが来ていましたね。『世界旅行、頑張ってください』的なことが書いてあります」
「へー」
「ではこちらからも、『世界旅行初日は、無事に終わりそうです』的なメッセージを返しましょう」
そんな文面を、メニューにポチポチと打っていく僕。
……メニューが見えないジスレアさんからすると、かなり怪しい動きだろうな。
「はい。送りました」
「返事はいつ来るのかな?」
「あぁ、それはナナさんが僕のメッセージにいつ気付くかなのですが、これがいかんせん――――あれ?」
「ん?」
「もう返事が来ました」
早いなナナさん。これはあれかな? もしかしてナナさんも僕と同じように、壁にダンジョンメニューを貼り付けていたのかな?
「ナナはなんて?」
「あ、はい。ナナさんは――」
「うん」
「えぇと…………『お疲れ様です。おやすみなさい』って書いてありました」
「へー」
まぁ、実際には――
『お疲れさまですおやすみなさいジスレア様が弓を忘れ明日帰ってくることを少し期待していますダンジョン』
などという文面が届いていたわけだが、これはちょっとジスレアさんには伝えられないな……。
というか、そんなことを期待しないでほしい……。
next chapter:少し本気でいかせてもらうよ?




