第162話 ギラついた目で虎視眈々と
再びジスレア診療所に戻ってきた僕とユグドラシルさん。
恥を忍んで、僕はもう一度ジスレアさんを呼んだ。
「すみません度々……」
「ううん。別にいいけど」
再び診察室の椅子に向かい合って座る僕とジスレアさん。
ちなみにユグドラシルさんは僕の隣に立っている。ベッドに腰掛けるのはやめたようだ。
「えぇと、とりあえずこちらを――おふ」
僕がジスレアさんにお金を払おうとしたら、ユグドラシルさんに脇腹を突かれた。
……びっくりした。
脇腹を突かれたこともそうだけど、普通にお金を払おうとした自分自身に、軽くびっくりした。
完全に無意識でマジックバッグからお財布を取り出していた。なんかもう条件反射みたいになっているな……。
ユグドラシルさんが突いて止めてくれなかったら、そのまま払っていた気がする。
そうしたら本当に、『今度は左足がこむら返りを』なんて言っていたのだろうか……。
「どうしたの?」
「いえ、なんでも、なんでもないです。……それでその、えぇと、最近は暖かく――おふ」
とりあえず季節の話題から入ろうとしたら、ユグドラシルさんに脇腹を突かれた。
さっさと本題に入れということなのだろう。厳しいなユグドラシルさん……。
いや、ユグドラシルさんに厳しく脇腹を攻められても仕方がない。
お金のことといい、季節の話題といい、ユグドラシルさんが『それはもうやるな』と言ったことを、立て続けにやってしまったのだ。
別にユグドラシルさんだってフリのつもりではなかっただろうに、伏線を回収するように、ついついやってしまった。そりゃあ厳しくされるのも仕方がない。
「……実はですね、ジスレアさんにお願いがありまして」
「お願い?」
「はい。それでここまで来たのですが、うっかり忘れてしまっていたんです」
「そうなんだ」
「それでお願いというのが――」
僕はマジックバッグから櫛を取り出して、ジスレアさんに見せる。
「これです」
「櫛?」
「そうです、櫛です。最近作ってみたのですが、やはりこういった物は、女性の評価が重要かと思いまして……それで、ぜひジスレアさんにも試していただきたいなと」
なんだか微妙に、うさんくさいセールスマンっぽい感じになっている気がするな……。
まぁいいや。実際にジスレアさんが気に入ってくれるようなら、新しく作ってプレゼントでもしてみよう。
「いいよ? 普通にとかしてみたらいいんでしょう?」
「そうですかそうですか、ありがとうございます」
「じゃあ、貸してみて」
「……え?」
……あ、そっか。そりゃそうか、普通そうなるよね。
うっかりしていた。ここで『じゃあとかして』となるのは母くらいなものだ。
というか母のときにそうなったので、この流れをうっかり失念していた……。
「あの、その……できたら僕がジスレアさんの髪をですね、櫛でとかしたいのですが……」
「アレクが?」
「はい……」
「アレクが……? なるほど……」
僕と櫛を見ながら、ポツリとつぶやくジスレアさん。いったい何が『なるほど』なんだろう……。
「そっか、そういうことか」
「……あの、ジスレアさん? いや、変な意味じゃなくてですね。この櫛はまだ試作品なので、僕自身がいろいろチェックをしながら――」
「うん。わかってる。大丈夫」
「え、いや、あの――」
「じゃあアレクが私の髪をとかしていいよ?」
「はぁ……」
許可を出してくれたのはありがたいけれど、本当にわかってくれていて、本当に大丈夫なんだろうか? なんだかとっても不安。
「それでは、少し失礼します。いえ、あくまで櫛のチェックというか、品質をテストするために――」
「大丈夫大丈夫」
そんなに『大丈夫大丈夫』言われると、やっぱり逆に不安。
とはいえ一応は許可してくれたので、そこはかとない不安を抱えつつも、僕は椅子に座るジスレアさんの後ろに回り込んだ。
「では始めますね? あくまで櫛のチェックですが」
「うん」
さて、それじゃあ髪をとかそう。とかしながら髪を回収せねば。
……なんか緊張してきたな。やっぱり母とは違う。ドキドキする。
――いや、ドキドキと言っても、僕はこれからジスレアさんにバレないように髪を回収しなければいけないわけで、バレたらどうしようというドキドキだ。
決して女性の髪をとかすことに性的な興奮を覚えたり、髪を収集すること自体に興奮を覚えているわけではない。そういう意味のドキドキじゃない。
――だからユグドラシルさん。変態を見るような目を僕に向けないでください。
◇
ジスレアさんの髪の毛は、無事に回収できた。
ジスレア診療所を後にした僕とユグドラシルさんは、とぼとぼと二人で村を歩く。
「……もう少し、どうにかならなかったのじゃろうか」
「……どうにかとは?」
「女の髪をとかしながら、ギラついた目で虎視眈々と髪の毛をくすねようと狙うお主の姿が、どうにも……」
だいぶ言い方が悪いな……。そんな目をしていただろうか……。
「仕方ないじゃないですか、緊張していたんですよ……」
「他に方法はないものじゃろうか……」
「他にですか?」
あるのかな? 少なくとも僕は、櫛作戦以外でジスレアさんから髪を回収する方法を思いつかなかったけど……。
「もっと正面から堂々と、『髪の毛が欲しい』とか」
「それをやったらユグドラシルさんはドン引きしたじゃないですか……」
「むぅ……」
軽く怯えながら後ずさるユグドラシルさんを見て、もう二度と女性に正面からお願いしないと僕は心に決めたんだ。
「頭を撫でるとかどうじゃろうか?」
「えー?」
なんだか無駄に難易度が上がっていやしないだろうか?
「んー、それも結局は、『頭を撫でつつ、ギラついた目で虎視眈々と髪の毛をくすねようと狙う』って感じになりませんか?」
「そうじゃのう……」
そりゃあ櫛以上に良い方法があるのなら、それでいきたいところだけど……あんまり思い浮かばない。
それに、家族枠の回収も終わり、『髪の毛が欲しい人リスト』も五人中三人がすでに終わって、残りは二人だ。このまま櫛作戦で押し切ってもいいような気がする。
「まぁとにかく、ジスレアさんも無事に回収完了です」
「うむ。そうじゃな」
「ユグドラシルさんもありがとうございました。――お疲れ様でしたー」
「うむ。お疲れ様でしたー」
毎度の挨拶をユグドラシルさんとかわし、健闘を讃え合う僕ら。
なんだかいつの間にか、この挨拶をするとミッション完了したって感じるようになってきたな。
「それで、次は誰じゃ?」
「そうですねぇ……レリーナちゃんにしましょうか?」
「あやつか……」
「どうしましょう? このままレリーナちゃんの家に寄っていきますか?」
「うーむ……」
「ユグドラシルさん?」
「うーむうーむ……」
何やらユグドラシルさんが唸っている……。
というか、レリーナちゃんの名前を出した瞬間からユグドラシルさんは渋い顔をしているようだが……。
「……うむ。明日にしよう」
「そうですか? 別に僕は構いませんが……」
ジスレアさんのときはあんなに積極的だったのに、レリーナちゃんにはずいぶん及び腰だ……。
「では明日もお願いします」
「……うむ」
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