第155話 お疲れ様でしたー
「なるほど、髪の毛に蘇生薬を……」
「そうなんです。決して僕の個人的な趣味とか、そういうんじゃないんです」
僕はユグドラシルさんに、髪の毛を収集したい理由を根気強く説明した。
ユグドラシルさんには理由をきちんと説明することができるので、正面から正直にお願いしてみたのだけど……あんな感じになるんだね。
ある意味シミュレーションできてよかった。僕はもう二度と女性に正面から『君の髪の毛が欲しいんだ』などとお願いしない。そう心に決めた。
「しかしじゃ……何故わしが手伝わねばならんのじゃ?」
「その、僕一人でそんなことをやっているのがバレたら、変質者だと思われちゃうじゃないですか……」
「まぁそうじゃろうな」
「さすがにそれはキツいです」
さっきのユグドラシルさんみたいにドン引きされるのは困る。
僕が本当に変質者で、自分の性的欲求を満たすために変態行為に勤しんでいるのならば、その反応は甘んじて受け入れよう。
だけど、僕は変質者ではないのだ。それなのに変質者扱いはキツい。
「というわけで、ちょっと手伝ってもらえたら嬉しいんですが……」
「うーむ……」
「基本は僕が集めるので、ユグドラシルさんは後ろに付いてきてくれるだけでいいんです。お願いできませんか?」
「うーむ……」
◇
「じゃあ行きましょうユグドラシルさん」
「うむ」
なんだかんだ言いつつ、手伝ってくれるユグドラシルさん。
三回くらい頼んだら、『仕方ないのう……』と承諾してくれた。さすが慈愛に満ちたユグドラシルさんだ。頼めば結構なんでも聞いてくれる広い心がある。
ふと、ディアナちゃんに『なんでもかんでも世界樹様に頼るのはよくない』などとご高説を垂れたときの記憶が甦ったが――その記憶には、そっと蓋をした。
まぁ今回は仕方ない、仕方ないんだ。ユグドラシルさんに頼む他なかったんだ。
「では今から髪の毛の収集を開始するわけですが――」
最初のターゲットは父だ。
今現在、僕とユグドラシルさんは木陰に潜んで、庭にいる父の様子をうかがっている。
「手始めに、家族枠の父です。おそらくですがリストの中で、最も容易い相手かと思われます」
「父親に対して『手始め』やら『容易い相手』と言うのもどうかと思うが……」
「まぁまぁ。とりあえず手筈通りにお願いします」
「うむ……」
「では――ミッションスタートです」
僕とユグドラシルさんはお互いに頷き合ってから、庭にいた父に突撃した――
「父ー父ー」
「うん? アレク? あ、ユグドラシル様、いらしていたんですね?」
「うむ」
「というか……えっと、その椅子は何?」
僕とユグドラシルさんが抱えていた椅子に違和感を覚える父。
そりゃまぁ違和感しかないだろうけど……僕はその疑問に答えることなく、言葉をかぶせる――
「父、髪の毛重くない?」
「は?」
「ちょっと重い感じがするんだ」
「え? ちょっと言っている意味が……」
「なんかちょっと重たい印象。もう少し軽い感じにしようよ」
とりあえず椅子をその辺に置いてから、僕はそれっぽいことを言う。
「アレク? いったい何を言って――」
「わしも、重い印象を受けたのう」
「えぇ……ユグドラシル様もですか?」
困惑する父に対して、ユグドラシルさんが畳み掛けた。
当然ながら、事前に用意していた台詞だ。
……どうでもいいんだけど、ユグドラシルさんは案外自然な演技をする。もっと棒読みな感じになるかと思ったけど、さすがユグドラシルさんだ。
「ユグドラシルさんもこう言っているしさ、少し切ろうよ」
「え、切るの? え、アレクが?」
「さぁさぁ」
「ちょっと……」
困惑しっぱなしの父を押しやり、置いた椅子に座らせた。
「前、失礼しまーす」
「え、何これ?」
「大ネズミの皮だね」
切った髪が衣服に落ちないための布――ケープの代わりに、大ネズミの皮を父にかぶせた。
こんなところで大ネズミの皮が役に立つとは思わなかったな……。
それから僕はハサミを取り出して――
「じゃあいくよー?」
「いや、いかないでほしいんだけど……」
エルフらしく長めな父の髪、その先端を摘んで、ハサミでチョキンと切った。
「うん。軽くなった」
「え? もう?」
「お疲れ様でしたー」
「いや、別に疲れてないけど……」
「僕もそう思う」
そう思うけど……こういう場面では、『お疲れ様でしたー』は、決まりなんだ。
僕もその決まりに従って、大ネズミのケープを父から外しながら『お疲れ様でしたー』と声をかけた。
できることなら『後ろ、こうなってます』と言いながら、三面鏡で後ろ髪を父に見せたいところだったが、残念ながら三面鏡がないので、そのシーンはカットだ。
「じゃあ父、お疲れ様でしたー」
「うむ。お疲れ様でしたー」
ユグドラシルさんにも『お疲れ様でしたー』の決まりは伝えていたので、二人で『お疲れ様でしたー』と父をねぎらう。
「う、うん。お疲れ様でした……」
始終困惑しっぱなしだった父も、律儀に『お疲れ様でした』を返してくれた。
お疲れ様でしたー。
◇
「ミッション成功ですね」
「ひどい茶番じゃった……」
自室に戻ってきて、作戦の成功を喜ぶ僕とユグドラシルさん。
まぁユグドラシルさんは呆れているだけで、あんまり喜んでいない気もするけど……。
「とにかく、髪の毛は無事に回収できました。紙をお願いできますか?」
「えーと、これじゃな」
ユグドラシルさんが『父』と書かれた紙を取り出し、裏返してからテーブルに置いた。
僕はその紙の上に、握ったままだった父の髪を落として、紙を折りたたむ。
つまり、神が用意した紙の上に髪を……。神の紙に髪を――
「アレク?」
「いえ、なんでもありません。これで父の髪は収集完了です。ありがとうございました」
「うむ」
「この調子で、どんどん収集していきましょう」
「この調子でか……」
この調子で――とは言ったものの、むしろ本当に大変なのはこれからだと思う。
今回は相手が父だったから、ユグドラシルさん曰く『茶番』でもなんとかなった。
なんせ相手は実の父だし、男性だ。たとえ髪の毛収集がバレたとしても、変態扱いはされなかっただろう。
だが、これからは違う。これからは一歩間違えれば変態の烙印を押されかねない、そんな綱渡りの戦いが待っている。
ここから本当の戦いが始まる。――ここからが本当の地獄だ!
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