36.悪役令嬢は決意する
4/24:ヴェラルドの名前を「ラウル」に変更しました
天井から視線を戻す。
シルヴェスターは、クラウディアが話の内容を消化するまで待ってくれていた。
「ねつ造された証拠はどう扱われるご予定ですか?」
「まだ審議中だ。公表した場合、我が国はラウル及び王弟派の支持に回ることになるからな」
「中立という立場では……? あっ」
尋ねている間に答えが出た。
第三者として中立の立場をとったところで、ハーランド王国には何のうまみもない。
公表することで王弟派に貸しを作り、王位を継いだラウルに貸しを返してもらうほうが利になる。
クラウディアが答えに行き着いたことを察し、シルヴェスターは首肯する。
「何も見つからなかったと証拠を握りつぶせば、現状維持といったところだ」
日和見するか否か。
「私としては巻き込んだ対価を支払わせたい」
握りつぶす前に、王太子派に証拠を買い取らせる手もあるという。
王弟派、王太子派のどちらに対価を求めるのか、今も王城で会議が続けられていた。
「ラウルの人徳か、思いの外、王弟派の旗色も悪くないのが悩ましいところだ」
バーリ王国へ潜ましている諜報員の情報だと、ハーランド王国の人間が想像している以上に、国民のバーリ国王への反感は強いという。
王城へは毎日のように抗議が寄せられ、現場担当者は疲弊しているとか。
「バーリ国王は人の感情より合理性を優先させる。今回も非難に焦っているのは王太子派の貴族だけで、国王自身は気にしていないだろう」
問題が長期化すれば王太子派が有利だ。
国民の義憤が一過性のものである以上、動じないのもわかるけれど。
ハーランド王国が即決できない程度に情勢が読めないのは、バーリ国王にとって由々しき事態じゃないだろうか。
それこそハーランド王国がラウルを支持し、証拠を公表すれば王位を脅かされかねない。
「国王のあり方として間違っているわけではない。だが国民感情を過小評価し過ぎるのは、バーリ国王の欠点だろうな」
シルヴェスターの話が一段落したところで、侍女たちを部屋に戻す。
「次はディアの話を聞かせてくれ」
「わたくしもシルに相談したいことがあるの。それとは別に、気になることも耳にしたわ」
先日、ブライアンから聞いた話だ。
彼は化粧水と一緒に、情報も持ってきてくれた。
本人はただ目に付いたことをクラウディアに報告しただけだが。
「どうやらバーリ王国の行商人に、貴族が同行しているらしいのです。わざわざ変装までして」
「貴族という身分を隠して、我が国にやって来ているのか。変装はどうやって見抜いた?」
「靴です。行商をしている割りには、やたら靴が綺麗で目に付いたのだとか」
商会の仕事を手伝いながらも貴族であるブライアンには、その靴の状態に見覚えがあった。
「お帰りになる前に、我が家の執事とお兄様の靴を見比べてみてください。シワの深さや傷の違いが見て取れるはずです」
長距離を歩いたり屈んだり、動き回る者の靴にはどうしても深いシワや傷ができてしまう。
一方、優雅な所作を求められる貴族は、靴のシワが浅くなる傾向にあった。
「なるほど。王城でも情報を掴んでいるか確認しておこう」
その貴族には隠れて入国する理由があるのだ。
今の情勢を鑑みれば無視はできない。
「私に相談したいこととは?」
シルヴェスターに促され、お茶会で引っかかっていたことを打ち明ける。
クラウディアの話を聞き終えたシルヴェスターは、思案げに視線を横へ流した。
「ふむ、レステーア嬢か」
「やはり彼女の動向が気になります」
王弟派に時間がないと聞けば尚更だ。
ラウルとの時間を持たせようとするのも。
誘いを受けたときのレステーアを振り返れば、急いでいるが故の行動だと思えなくもない。
(でもラウル様と話す機会は必要だわ)
尋ねたいことがあった。
問題は、公の場では訊けない内容であることだ。
(果たして今のわたくしに聞き出せるかわからないけれど……)
好意を向けられてるといっても、娼婦時代とは共に過ごした時間に大きな差がある。
けれどこのまま何もしないで静観するのは耐えられない。
何故ラウルは臣籍降下することになったのか。
その一端を掴めれば、ハーランド王国の判断材料にもなるはずだ。
「シル、わたくし悪い女になるわ」
シルヴェスターが視察に赴いてから、ずっと考えていた。
悪の定義について。
領民に暴動を起こさせる工作には衝撃を受けた。
けれどハーランド王国とて、諜報活動はおこなっている。
自国を守るためなら、同様の工作だってするかもしれない。
綺麗事だけで国は守れないのだ。
異母妹を頭に浮かべる。
クラウディアにとって、フェルミナは悪だった。
フェルミナにとっては、クラウディアが悪だった。
国家間では、それが顕著になる。
どちら側の視点かで、正義と悪は簡単に入れ替わった。
明確に犯罪は悪だと謳うことはできる。
でも情状酌量の余地があったら?
二元論で語れるほど、世の中は簡単じゃない。
(完璧な淑女であることもそう。わたくしにとっての正義は、誰かの悪になり得る)
正義と悪が表裏一体というのなら、自分は自分のやり方で。
フェルミナとは違う、完璧な悪女を目指す。
「完璧な淑女はやめるのか?」
「いいえ、ハーランド王国の淑女であることに変わりはないわ」
「待て、何を考えている?」
クラウディアを窺う黄金の瞳に、微笑みを返す。
「ラウル様と二人で話す機会を設けてください」
「ならぬ! ディア、それは許せない」
シルヴェスターの激高した様子は、毛を逆立てた猫のようだった。
黄金の瞳が赤みを帯びたように感じる。
気迫に押さえ込まれそうになるものの、クラウディアも負けじと向き合う。
「密室で二人っきりになりたいわけではありません。第三者に聞かれない場で話がしたいのです」
「ダメだ」
「シル、わたくしなら聞き出せることがあるかもしれません」
「ダメだ、ディアが動く必要はない」
シルヴェスターが頭を振り、揺れる銀髪が光を散らす。
眩しい感情の発露に、クラウディアは少しだけ目を細めた。
「話をするだけです。接触はしません」
「だとしてもだ。君でなければならない理由があるのかっ」
「ラウル様は女性が苦手です」
「何……?」
流石のシルヴェスターもこれは勘付いていなかったらしい。
驚きで、張り詰めていた怒気が薄れる。
秘密を勝手にバラしたことを、クラウディアは心の中で謝った。
(ごめんなさい、酷い友人よね)
ラウルからの好意だけを理由にした場合、クラウディア似の女性を仕向けられる可能性があった。
そうなれば、どちらにとっても無益どころか、ラウルにとっては有害だ。
「ですからハニートラップは効果がありません。けれどわたくしなら大丈夫そうですの」
「ディア、頼むからこれ以上、私の心を乱さないでくれ」
クラウディアがラウルから好意を抱かれていると察したのだろう。
シルヴェスターの顔が歪む。
「君は魅力的だ。例外的にあいつが君を思っても不思議ではない。それを知ったところで、私が二人で話すことを許すと思うのか?」
「わたくしにしかできないことよ。シルが反対する理由を聞かせて」
「ディアを愛している。私以外の男と過ごさせたくない」
「本当にそれだけ?」
嫉妬だけが理由とは思えなかった。
情報の有用性はシルヴェスターが一番理解しているはずだ。
「……君を、政治に巻き込みたくない」
道具として使いたくない。
それがシルヴェスターの本音だった。
「王太子妃になれば、そんなこと言っていられないわ」
「なったとしてもだ。私はバーリ国王ではない!」
絞り出された声を聞いて、気付いたときには席を離れていた。
シルヴェスターの頭を胸に抱く。
撫でれば、絹のように滑らかな銀髪が指の間を通り抜けた。
気遣いが嬉しかった。
大切にされているのを実感し、同じ気持ちが募っていく。
「知っているわ、わたくしの愛しい人。これはわたくしのわがままよ。あなたの役に立ちたいの」
シルヴェスターの、国の役に立ちたい。
クラウディアにはハーランド王国の国民である自負があった。
「これでも公爵令嬢ですもの。政治の道具になる覚悟はあるわ」
政略結婚然り。
貴族令嬢には、常にそれが付きまとう。
令嬢が社交界の華であろうとするのも、家にとって政治的な利点があるからだ。
シルヴェスターもそれはわかっている。
この件は、本来令嬢が担う役割から外れるため反対されているのだ。
それでも。
「単に話をするだけよ。わたくしを信じて」
ハーランド王国の完璧な淑女は、バーリ王国にとって完璧な悪女になる。
クラウディアの決意は固かった。




