35.悪役令嬢は王太子殿下と宥め合う
4/24:ヴェラルドの名前を「ラウル」に変更しました
切なげに黄金の瞳を揺らされても、クラウディアにはどうすることもできない。
指先を握っていた手が解かれ、今度は指同士を絡められた。
「慣習など、なくなればいいものを」
「王族派に聞かれたら支持を失いますわよ?」
「せめて特例を認めるべきではないか? やはり改革は必要だな」
「志はご立派ですが、動機が不純過ぎます」
そもそも婚約者の内定が下り、婚約期間を設けない時点で特例だ。
「ディアならわかってくれると思ったのだが」
「お気持ちはわかりますけれど……昂ぶりを抑えられないなら、お兄様をお呼びしましょうか?」
「必要ない」
シルヴェスターの目が据わるのを見て、苦笑が浮かぶ。
求められるのは嬉しい。
けれど今は理性的であるべきだ。
「視察はいかがでしたか?」
クラウディアの意向にシルヴェスターも納得はしているらしく、溜息をつきつつも話題にのる。
「問題なかった、と言いたいところだが」
続く言葉を待つ。
シルヴェスターは逡巡した後、絡める指に力を込めて言った。
「ご令嬢が聞けば、ショックを受ける内容だ」
「心構えはできています」
二度目の人生だ。多少のことでは動じない自信がある。
そして視察前、考えが至らなかった反省もあった。
(シルの見るもの聞くものを、わたくしは共有したい)
隣で彼を支えられる人間になりたかった。
だから意を決して頷く。
どれだけ衝撃的な内容であっても、ちゃんと心を立て直せると。
青い瞳に宿る光を見て、シルヴェスターは優しく目を細めた。
「怖かったら言えばいい。私が慰めるから、一人で抱え込む必要はない」
「はい、胸をお借りしますわ」
あぁ、好きだな、とふいに実感する。
この人が好き。
胸の中で淡い光が躍って、耳が熱くなる。
(大好き)
声には出さなかったけれど思いは伝わったようで、白磁のようなシルヴェスターの目元にも熱が宿った。
熱情とはまた違う、自分を優しく包み込む慈しみを感じる。
――この瞬間が永遠に続けばいい。
本気でそう思いはじめたところで、こほん、とシルヴェスターは居住まいを正した。
「いつまでもこうしていたいが話を進めよう。工作の実行犯は捕まえられた。しかし毒をあおられて、証言は得られなかった」
毒、という単語に、娼婦時代の記憶が蘇る。
同僚を助けられなかった悲しい思い出が。
「その方は亡くなったのですか?」
「しばらく息はあったようだが、何が解毒剤になるのか医師にもわからなくてな」
もしかして、と考えが過るが、安易に言い出せる内容ではない。
(彼女があおったのと同じ毒なら、解毒剤はわかるけれど……)
何故知っているのか問われたら、答えられなかった。
そもそも実行犯が飲んだ毒が、バーリ王国のものだとは限らない。
「だがアジトはわかった。……外してくれ」
後半は待機している侍女や護衛騎士に向けられたものだ。
万が一にも、これ以上は聞かせられないらしい。
婚約前の男女が二人きりになるのは、褒められたことではない。
しかし条件付きで短い時間なら許された。そのあたりを心得ているヘレンが薄くドアを開けておく。
全員の退室を確認してから、シルヴェスターは口を開いた。
「そこで見つかったのが、ラウルの署名入りの指示書だ」
「えっ……? えぇ!?」
突然出てきた名前に、理解が追いつかない。
工作員がバーリ王国の人間なら、解毒剤が同じである可能性は高いけれど。
「ありえませんわ!」
後生大事に指示書を持っているなんて意味がわからない。
工作活動に詳しくないクラウディアでさえ、証拠を残す危険性は理解できる。
何より。
「ラウル様はそんなことしません!」
彼が争いを好まない性格なのを知っている。
たとえバーリ国王の命令だったとしても、他の手段を探るはずだ。
下手をすれば戦争になりかねない指示書に署名するなど、絶対に考えられなかった。
思わず激高したクラウディアの熱を、シルヴェスターの視線が冷ます。
「何故言い切れる? と尋ねたいところだが、あいつの性格を考えればディアの気持ちもわかる」
「……すみません、取り乱しました」
「構わない。私が慰めると言っただろう? お茶会は成功したと聞いている。特にディアが開催したお茶会は大成功だったとな。名前を呼ぶほど親交があれば、あいつの性格は容易に掴めるだろう」
言葉ではクラウディアに寄り添いつつも、シルヴェスターの声には棘があった。
理由は明白だ。
シルヴェスターも自覚しているようで、長い息を吐き出す。
「いつもの嫉妬だ。話の腰を折るつもりはないから、気にするな」
「気にします。わたくしが愛しているのはシルだけなのですから」
「うむ……あとでまた言ってもらおう。この話には続きがある」
あと、とは。
少し不穏なものを感じながらも、話の続きが気になった。
クラウディアの促す視線を受けて、シルヴェスターが頷く。
「証拠とされる指示書は、ねつ造された可能性が高い」
「偽物、ということですか」
「工作の指示書など、本来なら目を通した時点で燃やすものだ。最初から怪しいものでしかなかったが……これで誰が得をすると思う?」
ラウルが命じたという偽の証拠。
反転して、それは彼の潔白を示すものになる。
「このことが公になれば、バーリ王国の王弟派はラウル様を陥れるためのねつ造だと声高に叫ぶでしょうね」
「そしてより一層、バーリ国王は民意を失う。あまりに都合が良すぎると思わないか」
――ラウルにとって。
頭が混乱してきて、クラウディアはこめかみを押さえた。
「結局のところ、ラウル様が画策したことだとシルはお考えですか?」
大体において、事件の犯人は一番得をするものだ。
「ラウルというより、王弟派を疑っているな。彼らには時間がない。まぁ、焦っているのは王太子派も一緒だろうが」
「どういうことです? バーリ国王が国民から反感を買い、王太子派が焦る理由はわかりますが……」
王弟派に時間がないとは?
ラウルが国外に追いやられているとはいえ、国民は同情的だ。
「このままラウルが諸国周遊を続け、年月が経てばどうなる? 人の義憤は長続きしないものだ」
人の噂も七十五日。
どれだけ衝撃的な知らせも、月日と共に薄れていく。
「ましてやバーリ国王の治世は安定している。変わらず穏やかな日常が続くなら、いくら血族意識の高いバーリ国民でも、同じ熱量を保ってはいられない」
「バーリ国王への反感は鎮静化し、ラウル様を擁護する声も小さくなると……」
「そうだ。想定以上に反感を持たれることになったものの、バーリ国王としては長期戦になればなるほど有利になる。逆に王弟派は、国民の厚い支持がある間にことを決せねば、あとはじり貧だろう」
「でもラウル様は」
「ことを決するつもりがない。だから余計、手段は選んでいられないのだろう。巻き込まれるこちらとしては甚だ迷惑な話だが」
口調は一定であるけれど、シルヴェスターの圧が増す。
幾分低くなった声音は、クラウディアを萎縮させるのに十分だった。
「……すまない、君を怖がらせるつもりはなかった」
「気になさらないで。国民が被害を負うところだったのですから、シルが怒って当然です」
クラウディアとしても、決して許せる話ではない。
何故、関係のない人々が巻き込まれなくてはならないのか。
ラウルの意向を無視する王弟派の動きも理解できなかった。
(自分たちの利益追求しか頭にないのかしら)
天井を仰ぐ。
(どうしてこうなってしまったの?)
シルヴェスターの話を聞く限りだと、王弟派の手綱はラウルの手から離れてしまっている。
身の内にある負の感情を認めず、王位を継ぐ者として尽くしてきた結果がこれなのかと思うとやるせなかった。




