33.悪役令嬢は新たな出会いを得る
「クラウディア様、申し訳ありません。こんな大事な日に、急な交代をしてしまって……!」
「支度はつつがなく済んでいるから大丈夫よ」
今日は王都へ帰還したシルヴェスターが、リンジー公爵家を訪ねる予定だ。
前夜から侍女たちはクラウディアのケアに奔走していた。
それでなくとも朝はヘレンがクラウディアを起こすのだが、今朝彼女の姿はなかった。
急用で遅れると伝えにきてくれた侍女が、そのまま代わりに支度を調えてくれたので問題はないものの。
でも、とクラウディアはヘレンに向かって小首を傾げる。
「そろそろ理由を教えてもらってもいいかしら?」
以前にも寝不足の理由を話してくれそうな気配はあったが、そのまま流れてしまっていた。
ヘレンに思い詰めた様子はないし、変更も許容範囲だ。
プライベートに口を出すつもりもなかったから今までは尋ねずにいた。
しかし話してくれる気があるなら訊いても差し障りないかと判断する。
「はい」
深く頭を下げていたヘレンが顔を上げる。
体を動かした拍子にメイド服のスカートが揺れ、そこへ視線がつられたクラウディアは目を見開いた。
スカートの裾から落ちまいと、健気にしがみつく白い毛玉の姿があったからだ。
「可愛い!」
「えっ、あ!? キャンディ!?」
クラウディアの視線に気付いたヘレンが毛玉を抱き上げる。
「申し訳ありません! すぐに戻してまいります!」
「待って、近くで見せてっ」
キャンディと呼ばれた白い毛玉は、生後二か月ほどの子猫だった。
人懐っこいようで、ヘレンの手からクラウディアの手へわたっても暴れる様子はない。
ただじっとしてはいられないらしく、クラウディアは忙しなく子猫の動きに合わせて手を動かすことになった。
「はぁああ、ふわふわぁー」
「クラウディア様も猫がお好きですか?」
「好きよ、飼いたいと思ったことはないけど……この小ささは反則ね」
長毛種らしく手触りも滑らかだ。
抜け毛も少なく、よく手入れされていることが窺える。
真っ白な綿毛の隙間から、名前の通りキャンディのようなオレンジ色の丸い目で見上げられると堪らなかった。
「ヘレンが飼っているの?」
「保護したのはわたしですが、今は使用人寮で飼っている感じです。今日遅れた理由もこの子です」
聞けば、目を覚ますと用意していたシャツが無残な姿になっていたとのこと。
運悪く替えのシャツは全て洗濯中だった。
「ここなら届かないだろうと椅子の上に置いていたんですが、最近脚力が増してきたようで……迂闊でした」
保護したときは生まれて間もなく、動ける範囲が限られていたから油断したらしい。
「同室の子が同じ背格好なのでシャツを借りたんですが……その、胸のボタンを飛ばしてしまって……」
ヘレンの胸は標準より二回りほど大きかった。
同室の子との間に険悪な雰囲気が流れたところで、ヘレンは遅刻を悟ったという。
よくよく見てみれば、今日ヘレンが着ているシャツは肩が余って大きそうだ。
「大変だったわね。同室の子とは仲直りできたの?」
「はい、次の休みにケーキを奢ることで和解しました」
「安心したわ。特注だとすぐに替えを用意できないのが考えものね」
公爵家では使用人の制服が支給される。
ヘレンの場合だと、既製品に手直しが必要なので特注となった。
「十分な枚数は支給されているので、本来なら大丈夫なんですが……最近は天気が悪かったせいで、乾燥が追いついてないんです」
「曇天続きだものね。……いい? あまりママを困らせちゃダメよ?」
後半は子猫に向けたものだ。
キャンディは、あどけなくクラウディアを見返す。
すると、まん丸おめめに自身の姿が映ったように感じられた。
「はぁああ、可愛いー! 今日はこのまま預かったらダメかしら?」
「お邪魔になりませんか?」
「シルがきたときだけ、ヘレンが見てくれたらいいわ」
子猫をソファに移動させると、探検だ!と言わんばかりに辺りのにおいを嗅ぎ回る。
ちょこまかと動き回る姿は見ているだけで癒やされた。
「寝不足の理由もキャンディなの?」
「はい、保護したときは今よりも小さく、二時間置きにミルクをあげる必要がありました」
他の侍女も協力してくれたものの夜間は頼みづらく、睡眠時間が削られたという。
「目が離せない時期で……今もそうですが、ここまで大きくなると体力がついて衰弱死する危険はないそうです」
「そういえば獣医は定期的に訪れるものね」
公爵家には馬用の厩舎がある。
他にも狩猟犬を飼っているので、獣医の訪問は頻繁だった。
「厩舎には猫もいますから」
「そうなの!?」
「飼料を食べるネズミ避けに飼われています。キャンディも大きくなったら厩舎か穀物庫へ行く予定ですが、先住猫との相性によるので、まだ確定ではありません」
庭園で猫を見かけた覚えはあるけれど、公爵家で飼っているとは思わなかった。
「ヴァージル様と違って、クラウディア様は厩舎まで行かれませんから、ご存じなくても不思議ではありませんよ」
乗馬は貴族令息の嗜みだ。
一人で馬を乗りこなす令嬢もいるが、クラウディアは常に補助を受けていた。
だからといって飼っている猫の顔ぶれも知らないのは許されないと奮起する。
単に可愛がりたいだけだが。
「今度お兄様に連れていってもらうわ」
「それがいいです。ヴァージル様も喜ばれますよ」
ヘレン曰く、ヴァージルはクラウディアに頼られたくて仕方がないらしい。
こんな些細なことでも喜んでくれるのかと頭を捻る。
「ヴァージル様もクラウディア様のことは目に入れても痛くないほど愛しておられますから」
「可愛がってくれるのは嬉しいけれど……」
(お兄様はヘレンと普段何を話しているのかしら?)
尋ねたい衝動に駆られたものの、やぶ蛇になる気がしてやめる。
子猫がソファから飛び降りようとするのが視界に入ったのもあって、すぐに意識はそれた。




