30.悪役令嬢は侍女と距離を縮める
「ふふっ、もうすぐ帰ってこられる殿下も気が抜けませんね」
先日、シルヴェスターから視察が終わった旨の便りがあった。
順調にいけば、あと二、三日で王都に着くだろう。
今しがた終わったばかりのお茶会のことをからかわれ、クラウディアはヘレンからそっぽを向く。
「何のことかしら?」
年上の彼女からしたらクラウディアとルイーゼのやり取りは、微笑ましい以外の何ものでもなかったようだ。
ちらりと視線だけ向けた先で慈愛に満ちた瞳を見つけ、クラウディアは余計気恥ずかしくなる。
「可愛らしいクラウディア様を知るのは、殿下だけではなくなってきていますから」
「ルイーゼさ……ルーと、シルは違うわ」
「えぇ、そうでしょう。友愛と恋愛は違います。けれど、どちらも尊いものですよ」
選ぶことが難しいほどに。
熱量は変わらないと、ヘレンは言う。
「きっと殿下がお帰りになられたら嫉妬されるでしょうね」
否定しきれず、返答に困った。
感情ののらない穏やかな笑みを浮かべるシルヴェスターが、ありありと想像できて。
ただでさえルイーゼとの仲は勘ぐられているのに。
(今までの所業が響いてくるなんて……反省しろということかしら)
けれどルイーゼは友人だ。
その事実がある以上、疑うほうがどうかと思ってしまう。
不満が顔に出ていたらしく、ヘレンがクラウディアの背中に手を添える。
「わたしは安心しています。大人びたクラウディア様にも、年相応の一面があって」
いつも気丈に振る舞う姿は頼もしくもあり、心配にもなると。
無理をして大人になろうとしているのではないかと。
「クラウディア様はもっと今を楽しまれるべきです」
恋愛も。
友情も。
立場的に難しいこともあるかもしれないけれど。
もっと、もっと、人生を楽しんでくださいと願われる。
「これからは、わたしよりご友人と過ごされる時間が増えると思うと、少し寂しいですけど」
きっと、ヘレンにとってそれは何気ない心情の吐露だった。
しかしクラウディアの胸には深く突き刺さる。
侍女は友人になれないと言われているようで。
振り返るなり、彼女の手を両手で握った。
「ヘレンは、ヘレンは! わたくしの友人で、お姉様だとも思っているわ! 仕事中は侍女でも、わたくしにとってかけがえのない人の一人よ!」
強く、強く訴える。
ヘレンはクラウディアの鬼気迫る様子に驚きつつも、目元を染めて微笑んだ。
「僭越ながら、わたしもクラウディア様を妹のようにお慕いしています」
温かく優しい眼差しに声が詰まった。
いつか病床で見た笑顔と酷似していたから。
感極まって泣きそうになるのを必死で耐える。
ここで涙を見せてしまえば、ヘレンを混乱させるだけだ。
喘ぐ口元を隠すため、彼女に抱き付く。
ヘレンはクラウディアを抱きとめると、甘えたの妹をあやすように緩やかなクセのある黒髪を手で梳いた。
「……いつまでもわたくしのお姉様でいてね」
「はい、いつまでも」
柔らかい声音に安らぐ。
気を抜けば、身も心もとろけてしまいそうだった。
腕に力を入れて、体を起こす。
吐息がかかりそうな距離で、視界に入ったヘレンのクマが気になった。
以前よりだいぶ薄くなっているけれど、完全に消えてはいない。
指の腹でそっと触れると、くすぐったそうにヘレンが体を揺らす。
「無理をしていない?」
「えぇ、これは」
寝不足の理由を話そうとしてくれたときだった。
別の侍女が来客を告げる。
しかしその侍女は、クラウディアとヘレンの抱き合う姿を見て顔を真っ赤にするなり、失礼しました!と踵を返した。
勘違いされたことを察し、二人で笑う。
ようやく完全に体が離れたところで、クラウディアはヘレンに注意された。
「わたしはクラウディア様の距離感を知っているので大丈夫ですけど、他のご令嬢と接するときは距離をお保ちください。シャーロット様のように驚かれますよ」
「そうね、気を付けるわ」
娼婦時代の感覚だと、どうも身近過ぎるようだ。
同性だから触れ合いが許されるとは限らない。
親しき仲にも礼儀あり、と心に留める。
「ヘレンも驚いた?」
「はい、初対面で抱き締められるとは思いませんでしたから」
「そ、そうよね……」
はじめて顔を合わせたときも、先程と同じく涙を隠すために抱き付いたのを思いだす。
事情を知らない相手からすれば、驚く以外にないだろう。
改めて反省するクラウディアの肩を、ヘレンがそっと撫でる。
「でも不思議と懐かしい感じがしました。望まれる喜びを知ったのも、そのときです。わたしが騎士だったら、剣を捧げていましたよ」
騎士には、主人に一生の忠誠を誓う儀式がある。
携える剣を主人となる者へ掲げ、誓いを立てるというものだ。
リンジー公爵家に仕える騎士たちも、みんな父親に剣を捧げていた。
剣を捧げた騎士は、主人が死ぬまで付き従う。
それだけの思いをヘレンが抱いてくれていることに、クラウディアは胸が熱くなった。
大切に思われている。
伝わってきた熱意に頬が火照った。
その熱を誤魔化すように立ち上がる。
「そろそろ行かないとブライアンに悪いわね」
ルイーゼとシャーロットとのお茶会のあとに、エバンズ商会との予定が入っていた。
侍女の告げた来客は、彼のことだろう。
予定にない来客なら、クラウディアの返答を聞くまで引き下がらなかったはずだ。
「彼なら何時間でも待ちそうですけど」
「ヘレンもそう思う?」
ブライアンを見て大型犬を連想するのは、クラウディアだけではなかった。




