27.王太子殿下は黙考する
シルヴェスターは姿勢を正し、正面で歓声を受けてから壇上をあとにする。
演壇を降りれば、恭しく頭を下げる行政官が目に入った。
珍しく不健康そうな顔に、血の気が戻っている。
「感服の至りでございます。ご支援ありがとうございました」
「必要なことをしたまでだ。あとはそなたにかかっている」
フォローはした。
けれど今後のおこない次第では水疱に帰する。
あとは行政官が、地道に住民たちとの距離を縮めていくしかない。
行政官は重々しく頷くと、部下に呼ばれてシルヴェスターの前を辞した。
引き続き、広場では地元の役人によって、最近頻出している詐欺について語られる。
それが工作員への対応策として、シルヴェスターが出した答えだった。
――身内を騙り、住まいを奪う詐欺が横行している。
だから手紙ででも、身内にしか通じない秘密の暗号を決めておこう。
住民たちは、役人からそう話される。
騙されれば、住む場所がなくなるぞ、と。
これで解決できるとは思えないが、王都でも同様に話を広めれば注意喚起にはなるだろう。
住民たちの経済事情を鑑みれば、借家であっても帰る家がなくなることが一番の痛手だった。
「シルっ、とても素晴らしかったです!」
興奮した様子で駆け寄ってきたトリスタンに頷きで応える。
神々しい登場から、未だ止まない歓声。
広場を席巻したシルヴェスターに、赤毛の幼馴染みは高揚が治まらないらしい。
それはトリスタンに限らず、演説を見守っていた護衛騎士たちにも言えた。
誰もが上気した顔でシルヴェスターを見ている。
普段行動を共にしてるものたちですらこうなのだから、シルヴェスターは改めて広場の効果を実感した。
グラスターの広場は、都市計画の時点で、光の通り道となるよう計算されていた。
決まった時間に壇上へ光が集まるよう、周囲の建物は特殊な配置になっている。
そうすることで会場となる広場からは逆光になり、壇上に人が立つと光を背負っているように見えるのだ。
日の光を利用した、神々しさの演出。
こうした視覚効果は、王城や上級貴族の屋敷にも取り入れられているが、どれも個人向けのもので、大勢に対し演出効果をもたらすのはグラスターの広場だけだった。
歴史背景もあるが、王家がグラスターを重宝する一番の理由はこれだ。
国内外に、王家が特別な存在であることを広めやすい。
吟遊詩人が謳う「グラスターの夢」は、王家のプロパガンダだった。
今日集まった住民たちも正に夢心地で、光に包まれたシルヴェスターを讃えるだろう。
いかに王太子が自分たち平民と違う崇高な存在か。それでいて、きまぐれな神とは違い、目の前で声が聞ける存在でもあるのだと。
流通の拠点である港町ブレナークは、情報の拡散にもってこいの場所だ。
そして人伝の話には尾ひれがつくものだった。
(効果的ではあるが、より一層気を引き締めねばな)
実際に会ってみたら前評判と違いがっかりした、なんてことはあってはならない。
父親の「勉強してこい」という言葉の真意はここにある。
人の期待に応えるということ。
グラスターでの演説は、自ら期待値を上げるような行為だ。
効果は抜群だが、諸刃の剣でもあった。
シルヴェスターは今まで以上に、期待に報いることを強いられる。
しかしこの重圧を乗り越えられなければ、国王になる資格などない。
平民の模範となる貴族。
その貴族を束ねる国王が、常人であることなど許されないのだ。
気付いたときには、無意識にハンカチを手に取っていた。
刺繍の凸凹に触れ、人知れず息を吐く。
(ディアに会いたい)
完璧な淑女と評される婚約者は、一番シルヴェスターと近い場所にいた。
親密という意味でもそうだが、公爵令嬢としても、発表されれば婚約者として人々の期待に晒される立場としても。
クラウディアは人目には凜々しく映る。
本人もそうであろうと努力していた。
けれど脆い部分があることを、シルヴェスターは知っている。
今でも義妹が怖いと泣く姿を思いだすたび、恐ろしいほどの激情にとらわれる。
もう過去のことだが、頭の中では何度も義妹を屠っていた。
そしてシルヴェスターにとっては、このクラウディアの弱い一面が救いになった。
いつでも美しく毅然として見えるクラウディアでも、常人と同じように悩み、涙することがあるのだと。
許された気がした。
彼女の前では、自分も常人であってもいいと。
ずっと次代の国王であることを望まれて生きてきた。それこそ息つく暇がないほどに。
グラスターに来る前から、シルヴェスターはずっと人の期待に応え続けてきていたのだ。
クラウディアになら、本来の自分を、シルヴェスターという個人を見せられる。
意図せず、行動を間違ったこともあるが。
(ディアも同じ気持ちでいてくれているだろうか)
愛しい。
クラウディアを思えば、律することに慣れた人形の様な心が自然と温かくなる。
自分も常人と変わらない一面があることを思いだせた。
(動じることなどないと、自負していた頃の自分がバカバカしい)
厳しい教育の末、感情を隠すことなどお手のものだ。
事実、クラウディアに会うまでは、どんな感情も制御できていた。
(けれどもう無理だな)
出会ってしまった。
クラウディアを知ってしまった。
男慣れしているようで、ダンス以外でシルヴェスターが腰を抱けば慌てる彼女を。
妖艶に微笑んでいても、間合いを崩せば、真っ赤になる彼女を。
私を思って、と離れた距離に不安を抱く、可愛い彼女を。
「予定はこれで全て消化したな」
一刻も早く王都へ帰り、クラウディアを胸に抱きたかった。
緩やかなクセのある黒髪の感触を楽しみたい。
手を出してしまいそうになる自分を、笑いながら叱って欲しい。そうすれば踏みとどまっていられる。
視察でやるべきことは終わった。
今まで以上に期待に応えろというのなら、やり遂げてみせよう。
立ち止まることが許されないなら、前へ進み続けるまでだ。
疲れたら彼女を思えばいい。それで全て乗り越えられる。
気持ちを新たに馬車へ乗り込んだところで、行政官が報告にやって来る。
顔から先ほどの赤みは消えていた。
内容は、市場で捕まえた青年についてだった。
「彼が工作員で間違いありませんでした。ただ残念なことに、尋問前に自死したとのことです」
「見張りをつけていなかったのか?」
「いいえ、見張りの前で突然痙攣しはじめました。医者によれば、拘束される前に毒を口に含んでいたのではないかと」
「尋問されるとわかって、毒を飲み込んだのか」
これではどこから送られた工作員なのか判断がつかない。
他国の可能性もあれば、王家に不満を抱く自国の不穏分子によるものかもしれないのだ。
けれど行政官はあたりをつけていた。
「バーリ王国のものと思われます」
シルヴェスターは頭痛を覚え、こめかみを押さえる。
よりによって、現在王都に滞在中のラウルの国の人間だという。
「間違いが許されないことはわかっているな」
行政官が有能であることは、他でもないシルヴェスターが知っている。
彼が進言したならば、相応の確証があって当然だが、聞き返さずにはいられなかった。
事の重大さを理解している行政官は、神妙に頷いてから答える。
「工作員が潜んでいた家で、証拠を見つけました。これなら、どこから侵入されたのかも説明がつきます」
示された証拠は複数あり、シルヴェスターは嫌でも納得せざるを得ない。
更なる報告を聞いたときには、天を仰ぎたくなった。
「王弟殿下のサインが入った、工作の指示書が見つかりました」




