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26.王太子殿下は説く

 広場の風景に懐かしい記憶が蘇る。

 グラスターの町並みといい、目に映るものに変化はない。

 シルヴェスターが広場にやって来るのは、これで二度目だった。


 広場に常設されている石造りの演壇は、この時間帯に最大の効力を発揮する。

 一度目の訪問時、そこへ立ったのは父である国王だった。

 今回はシルヴェスターが立つ。


 厳重な警備に、広場へは既に注目が集まっていた。

 そこへ白い正装姿のシルヴェスターが姿を現せば、人が人を呼び、壇上に上がりきる頃には、広場は人で埋め尽くされる。

 歓喜からくる喧騒が、暴風のように吹き荒れた。

 しかし彼らの視線が一点に集中するにつれ、衣擦れの音すら聞こえなくなる。


 吟遊詩人の歌に、グラスターの夢、というものがある。

 広場に集まった人々は、正に今、その夢を見ようとしていた。


 壇上へ光が収束する。

 それがシルヴェスターの背にぶつかると、煌めきを残して霧散した。

 何回も何回も光がぶつかる内に、銀髪が、シルヴェスターが、光彩に包まれていく。

 眩しさの中、住民たちは光のスペクトルを見るが、何色か認識できない。

 ただ神々しかった。

 色はなく、輝きだけが記憶に残る。


 静寂が広場を支配していた。

 永遠にも感じられるような時間だった。

 けれど刹那でもあった。

 シルヴェスターは、それをよく理解していた。


「ここは懐かしい」


 穏やかでありつつも、はっきりとした声音が広場に響く。

 ハーランド王国はじまりの地。

 今は古いだけの町も、住民たちにとっては誇りだった。

 彼らの誇りに、そっと寄り添う。


「町並みを見れば、不思議と故郷に帰ってきたのだと実感する」


 シルヴェスターの生まれは王都だ。

 それでも、血が覚えているのだと説く。

 日差しで背中が熱くなり、自然と頬は上気していた。

 広場に並ぶ顔を見渡して微笑めば、直視してしまった人は息を飲む。


「決して忘れられない、忘れようがない記憶が、ハーランド王家の血に刻み込まれている。グラスターは、間違いなく私、シルヴェスター・ハーランドの故郷なのだと」


 通りの石畳も、市場の賑わいも、大きな鐘の音も、変わらないからこそ美しい。


「だからみなも忘れてくれるな。ハーランド王家にとってグラスターは故郷であり、何物にも代えがたい地であることを」


 尊びこそすれ、ぞんざいに扱うなどあり得ない。

 大切な場所なのだと、故郷というフレーズを繰り返す。

 現在の王都に住まいを移しても、心は故郷であるグラスターを忘れない、と。


 一言、シルヴェスターが口を開くたび、住民たちは高揚感に包まれた。

 広大なハーランド王国において、自分たちが住むグラスターこそが、王家と縁が深いことを実感する。

 何せ王太子自ら、親密に語りかけてくれるのだから。

 貴族であっても、一部の上級貴族しか話せない人が。

 平民で権力を持たない自分たちと目を合わせ、直に声を聞かせてくれる。

 他では考えられないことだ。

 誰もが口を閉じ、シルヴェスターの声に集中した。


「突然の来訪を許して欲しい。しばし王都の煩雑さを忘れ、この町の歴史に浸りたかったのだ」


 住民たちは、工作員が潜んでいたことを知らない。

 侵入を許してしまったのは失態でしかなく、秘匿するしかない事案だった。


「そんな中、聞き捨てならない話を聞いた。王家がグラスターを蔑ろにしている、という話だ」


 行政官は王命で派遣される。

 行政官を否定することは、派遣を命じた国王をも否定することになると、住民たちには思いだしてもらう必要があった。

 住民たちに王家を非難する意図はないだろう。

 しかし悪評が広まったことからも、住民たちの中で、王家との繋がりが希薄になっているのは自明の理だ。

 シルヴェスターの訪問が決まった理由は、ここにあった。

 今一度、深い繋がりがあることを思いだしてもらわなければならない。

 工作員に付け入られる隙など、あってはならぬのだ。


「事実無根も甚だしい! 誰が血に刻まれた故郷を忘れるというのか! 有能な行政官に任せこそすれ、圧制者を送るなどあろうはずがない!」


 穏やかな声音が一転し、シルヴェスターの怒りが露わになったことで住民たちは肩を震わせる。

 責められているのは誰か。

 それを理解する前に、シルヴェスターが平静を取り戻す。

 治まった怒気に、住民たちは心から安堵した。

 クラウディアなら、演説を単調にしないための技術だと気付いたかもしれない。絶妙な間合いは負い目を感じさせるには十分で、反感を抱かせるには不十分であると。


「だが誤解は生まれた。何故なのかと、私は行政官に問うた」


 けれど当の行政官もわからないという。

 何故か、と次は広場に集まった住民たちに問う。

 答えは出ていた。

 だとしても、発端である「見た目が気に入らない」という浅はかな理由を、住民たちが認めるはずがない。

 だからあえて原因不明のまま、話を進める。


「どこで誤解が生まれたのかはわからない。しかし彼が有能であることは事実だ。有能でなければ、グラスターという、王家にとって大切な地は任せられない」


 演壇の後ろに控えさせていた行政官を振り返る。

 そして麻のシャツを着た、不健康そうな男を手で示した。


「彼、ダニエル・イートンは、王家に実力を認められた行政官だ。しかし私には幾分自信のない男にしか見えない。みなにはダニエルが、悪人に見えるだろうか?」


 発端となった最初のイメージをここで払拭する。

 必要なのは、シルヴェスターと真逆の親しみやすいイメージだ。

 今度は名前を連呼し、個人に焦点を当てる。

 情動的共感は身近であればあるほど、湧いてくる確率が高い。

 誰だって何百万という数字を示されるより、個人のエピソードを語られたほうが共感しやすいだろう。


「少し周りを見て欲しい。みなの目には、知人ばかりが映るだろう」


 グラスターは、港町ブレナークの内陸に位置する、一区画に過ぎない。

 自然と、住民は顔見知りになっていく。

 そこへ入り込む工作員の手腕は見事だが、憎々しい限りだ。

 シルヴェスターの言葉に、住民たちは周囲を見渡す。

 小さな笑顔があちらこちらで生まれるのを見て、シルヴェスターは話を続けた。


「では次に、ここにはいない人物を思い浮かべて欲しい。集会や飲み会など、こちらが声をかけなければ来ないないような、人付き合いが下手なものだ。どうだろう、一人くらいは思い浮かばないだろうか」


 どこにでも、そういった人間はいる。

 またコミュニケーションに苦手意識を持っている人は案外多い。

 住民たちが誰かを思い浮かべたところで、シルヴェスターは白い袖を振った。


 今、ここにも! と。


「さぁ、ダニエルを見てくれ。頭に浮かんだ人物と似てはいないか? ダニエルは有能で立場もあるが、人付き合いが苦手だ。人前に出る服にも自信が持てなくて、とりあえず一番高い服を着るような男だ。もしかしたら誤解は、そういったところから生まれたのかもしれぬ」


 ダニエルは、特別な人間じゃない。

 知人の中に一人はいる、平凡な男なのだと告げる。

 麻のシャツを着て通りを歩けば、誰が行政官だと気付けるだろうかと。


 住民たちは見る。

 不健康そうな男に威厳などないことを。

 シルヴェスターの傍に立てば、それがより際立った。

 自然と行政官が持つ権威への反感は薄れ、ダニエルへ親近感が湧いていく。

 特別な場へ着ていく服に悩むのは、誰しも身に覚えがあった。


「けれど、これだけは誤解しないで欲しい。ダニエルは、もう港町ブレナーク、グラスターの一員だということを。住民の一人として、代表として、この町に住む人々が着るものに困らず、食べることに困らず、暮らすことに困らないよう尽力していることを!」


 彼は、と肩を窄めた行政官を前へ押しだす。


「この人付き合いが苦手な男は、見た目が悪い男は、みなの暮らしが良くなるよう、慣れない土地で誰よりも奮闘していることを!」


 シルヴェスターが行政官の容姿の悪さを認めたことで、目の下にあるクマや、痩せ細った体への印象は、ここで完全に好転する。

 自信なさげなダニエルに、親しみを感じはじめていた住民たちは、ある噂を思いだした。

 領民に圧政を敷き、自分だけは勢の限りを尽くす、悪徳領主の噂を。

 その領主の見た目は、豚のように肥え太り、これ見よがしに宝石で着飾っているという。


 一方、目の前に立つダニエルはどうだろうか。


 目の下にクマを作り、自分たち以上に痩せ細っている。

 着飾ったのは、役場へ挨拶にきたときだけだ。それも人前に出るからと、着るものに迷った結果だった。

 ガラガラと最初に築いたイメージが崩れ去っていく。

 残ったのは、右も左もわからない土地で、奔走する男の姿だった。

 クマは眠れていないからじゃないか。

 痩せているのは、食事もままならないからじゃないか。

 心配が募ったところで、優しい声が広場に響いた。

 凜と、清らかさを兼ね備えた声は、砂漠に降る雨のように、住民たちの心へ浸透していく。


「だからどうか、温かく見守ってやってくれないだろうか。飲みに誘ってやってくれないだろうか。会話が上手く続かなくても、肩を叩いて励ましてやってくれないだろうか。ダニエルは平凡だが、悪い人間じゃない。仕事ができることは私が保証する!」


 だから、どうか。

 心無い煽動に、のせられないでくれ。


「忘れないで欲しい。ダニエルはもう町の住民だ。住民が損をするような政策はおこなわない。この私が保証する。誰よりも私が、シルヴェスター・ハーランドが、故郷を傷付けさせぬ!」


 黄金の瞳は、真実、怒りに燃えていた。

 暴動を未然に防げなかったら、目の前に集まった人々が血を流していたのかもしれないのだ。

 鐘の音を聞いて、家路に急ぐ子どもたち。

 彼らには何の罪もない。

 無辜の民を罪人に仕立てる工作は、到底許せるものではなかった。


 シルヴェスターの内なる熱量にあてられ、住民たちは呆然と動きを止める。

 そして一拍の後に、咆哮にも似た歓声が上がった。


 王太子殿下、万歳! と。

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