25.王太子殿下は見破る
港からは距離があるため、潮のにおいも、波の音も聞こえない。
建国当初からの歴史を誇るだけあって、通りの石畳も、高くそびえる鐘塔も、目に入る建物は全て年代物だ。
ハーランド王家はここで名乗りを上げ、発展と共に、現在の王都へと居住を移した。
グラスターはこの歴史背景と地理の利便性から、バーリ王国を含む東側諸国との会合でもよく使われる。
ラウルとの顔合わせでは、シルヴェスターは当時王太子だった父に連れられて、ラウルは兄に連れられて訪問していた。
シルヴェスターたちは、馬車を一般的な外装のものに乗り換え、視察の準備に入る。
住民に、王太子がいるのを悟らせないためだ。
随行する護衛騎士も最小限に減らす。
代わりに視察場所である市場には、地元の警ら隊が目を光らせていた。
トリスタンが最終確認をおこなう。
「視察は全て馬車からで、降りるのは広場でだけですよ」
視察のあと、広場で演説することが決まっていた。
ただ、できる限り普段の生活が見たいので、演説については伏せられている。
会場の設営はおこなわれているため、近々催しがあることは住民たちにも伝わっているだろうが。
再度馬車に揺られ、市場へ向かう。
まだ夕暮れ前だけあって、外は明るい。
市場も混雑は落ち着いているものの、人通りが絶えなかった。
行政官が状況を説明する。
「暴動は未然に防げたため、企てがあったことすら、当事者以外の住民たちは知りません」
馬車から見える風景は、平和そのものだった。
人の顔には笑みが浮かび、足元は活気で土埃が立っている。
しかし水面下では、簡単に煽動されてしまうほど、住民たちは不満を抱えていた。
「よりによって王都で仕立てた服で、役場へ挨拶回りをするとはな」
「まさかそれだけで不信感を抱かれるとは思わず……申し訳ありません」
行政官の言い分もわからないでもない。
むしろ彼にして見れば、身なりを整えて礼節を尽くしたぐらいだ。
誰が、服に金をかけて鼻持ちならないという理由で、暴動が起こると予想できるだろうか。
住民の訴えはもちろん違う。
けれど発端は、そこだった。
新しい行政官は王都かぶれで、点数稼ぎのためだけに赴任し、町のためを考えていないと悪評が広まったのだ。
それを工作員に利用された。
「貴族や金持ちの商人を相手にするなら、間違いではないのだがな」
彼らは身なりで相手を評価する。
しかし役場で働いているのは地元住民だ。
他の領民と比べて裕福であっても、彼らに王都で服を仕立てる余裕はない。
加えて、行政官の風貌が悪く作用した。
目の下にクマがある不健康な顔は、とても善人には見えない。
悪徳行政官の烙印が押されるまで、時間はかからなかった。
「人は見た目で、相手の人となりを判断する。特に初対面では、それしか判断材料がないからな。そなたも立場ある身だ。人心掌握の技術を学べ」
どれだけ固定概念を否定したところで、他者の考えは変わらない。
それを逆手にとって利用するのが、人の心を掴む技術だ。
今、行政官は地元住民が愛用する、素朴な麻のシャツを着ている。
シャツに限らず、身に着けているもの全てが、地元で買えるものだった。
これだけでも、地元に馴染む努力をしていると印象づけられる。
ちなみにシルヴェスターの服装はいつも通りだ。
行政官とは違い、王族はどこへ行っても、王族であることを求められるため、常に同じ姿勢を保つことが大事だった。
「酒が飲めなくても酒場へ行き、理由をつけて酒を奢ってやれ。できた溝は少しずつ埋めていくしかない」
単に酒を奢るだけでは傲慢に映る。
しかし理由があれば、懐が深いと受けとめられた。
これは軍の高官がよく使う手だ。
本来なら、近しいものから助言されるだろう。
けれど事務能力が高いこの行政官は、人付き合いが苦手なようだった。
「肝に銘じます。重ねて不勉強で恐縮ですが、事前に流した悪徳領主の噂には、どのような作用があるのでしょうか?」
「強いて言うなら心証の操作だな」
シルヴェスターの視察が決まったと同時に、港町ブレナークにはある噂が流された。
領民に圧政を敷く領主が税を搾取し、指より大きい宝石をつけ、豚のように肥え太っているという内容だ。
行政官とは、真逆の悪人像を広めようというのである。
「だがこれは目に見えて効力を発揮するものではない」
あくまで噂の一つでしかないからだ。
噂を聞いただけで行政官と結びつけるものは、ほぼいないだろう。
ましてや人物像が違うからといって、行政官が悪人ではないと考えるものは皆無に等しい。
「単体では、ただの噂に過ぎぬ。そこが肝心なのだがな」
「関連するものと組み合わせることで、効果があるということですか?」
「その通りだ。といっても組み合わせるのは噂を聞いたものたちで、我々ではない」
人の手に委ねる分、結果を予想するのは難しい。
ただ間接的に誘導することはできた。
シルヴェスターはそれを演説でおこなう予定だ。
計画を聞き、行政官は神妙に頷く。
行政官が顔を上げたのに合わせて、ゴーン、ゴーンと鐘の音が聞こえた。
市場では買い物に来た青年が、大きな音につられて鐘塔を見上げている。
連鎖的にシルヴェスターとトリスタンも、馬車の中から鐘を目で追った。
グラスターで一番の高さを誇る鐘塔は、港町ブレナーク全体へ音を響かせる。
「あの鐘も建国当時からあるのだったな」
「はい、今のは夕刻を告げる鐘で、遊びに出ていた子どもたちは、これを聞いて家へ帰ります」
行政官の説明通り、走って家路につく子どもの姿が見える。
外で働いている大人たちは片付けに入り、家では晩ご飯の準備がはじまるのだという。
古くからある鐘は、住民たちの生活に根付いていた。
シルヴェスターにとっては、広場へ向かう時間を告げていた。
「工作員は新参者だったな?」
「はい」
脈絡なく投げかけられたシルヴェスターの質問に、行政官は首を傾げながら答える。
しかし質問の意図を理解すると、すぐさま部下に檄を飛ばした。
「あの男を直ちに連行しろ!」
あの男とは、シルヴェスターよりも先に鐘塔を見上げていた青年だ。
突然慌ただしくなった現場に、トリスタンが目を白黒させる。
「シル、どういうことですか?」
「周囲のものたちをよく見ろ。私たちを除けば、誰も鐘塔を見上げてなどいない」
鐘は毎日、決まった時刻に鳴る。
音を聞いて行動こそすれ、誰も物珍しげに見上げたりはしない。
慣れているからだ。
「地元住民にとっては、鐘が鳴ったな、ぐらいの認識でしかないのだ」
「なるほど……! 僕たちがつられたのも、珍しいからですもんね」
王都では、これほど大きな鐘の音を聞くことはない。
耳に馴染んでいれば、反応せず聞き流しただろう。
といっても青年が、単に見上げただけの可能性は十分ある。
偶然シルヴェスターの注意を引いたに過ぎないのだ。
あとは行政官に任せればいい。
けれど感じた違和感から、間違いはないだろうと判断する。
「隠れて脱出はできなかったのか……」
安全が確保されている上での、無謀な工作だと思ったのだが違うようだ。
ただ怪しまれず留まっているところを見るに、他にも協力者がいるのかもしれない。
または行政官によるローラー作戦が及んでいないだけか。
鐘の余韻がなくなる頃には、シルヴェスターを乗せた馬車は、広場へと向かっていた。




