19.王弟殿下は思い悩む
「レステーア、どういうつもりだ」
「どういう、とは?」
自室に帰るなり、側近を睨み付けた。
質問の意図がわかっているはずなのに、聞き返されるのが忌々しい。
淡い碧眼を細めて、綺麗な笑みを向けられるのも。
「からかってるのか? 相手はシルヴェスターの婚約者候補だぞ」
「初恋って、こんなに初々しいものなんですね」
「おいっ!」
クラウディアを悪く思っていないのは事実だ。
一番苦手なタイプにもかかわらず、彼女が甘えた声でラウルを呼ぶことはなかった。
それだけで好感が持てた。
同時に、保たれた距離に寂しさも感じてしまった。
でも、恋心とは違う。
違うはずだ。
「まだ数えるほどしか会っていないんだ。クラウディアも驚いたに違いない」
「そうですね、こんなに早く名前で呼ばれるようになるなんて、ぼくもビックリです」
「もてなしに報いただけだ」
お茶会の開催にあたり、クラウディアはコーヒー専門のカフェへまで足を伸ばしたという。
自らコーヒーを飲み、オーナーからバーリ人の嗜好について教わった話は、他ならぬオーナーから聞いた。
全て親任せにして、ドレスだけ着たがるご令嬢とは雲泥の差だ。
「クラウディア嬢は素敵な人ですよ、ラウル。あなたの選択は間違っていません」
「選んだわけじゃない」
「あ、恋に落ちたんでしたか」
「今すぐ口を縫い合わせてやろうか」
「ラウルは刺繍が得意ですもんね。そういえば、クラウディア嬢もお得意のようですよ」
刺繍は淑女の嗜みと言われるが、ラウルは縁があって習う機会があった。
腕前を披露したことはないものの、親しいものの間では有名だ。
「それを言うなら、ご令嬢のほとんどは得意だろう」
「口先だけじゃなく、実際にです。リンジー公爵も自慢にされて、シルヴェスター殿下も気に入っておられるとか」
「婚約者はクラウディアで決まりか」
「まだわかりませんが、その線が濃厚でしょうね」
家格や評判を鑑みても、クラウディア以外が選ばれる可能性は低いだろう。
シルヴェスターがどう思っているかはわからないが、ヤツは昔から感情が読めない。考えるだけ無駄だった。
「気落ちしないでください。決まっていない以上、まだラウルにも芽はありますよ」
「やめろ。第一、リンジー公爵家には何の利点もないだろうが」
王太子が生まれる前ならいざ知らず、今のラウルは国王にとって邪魔者でしかない。
いくら王族という身分があっても、公爵家が嫁に出したいと思える相手でないことは明白だ。
「利点はあるでしょう。リンジー公爵家は広大な農園を所有していますが、その領地は海に面していません。海路に融通が利く王族の力は欲しいはずです」
「だったら、ますますシルヴェスターとの婚姻が進みそうだな」
「諦めるんですか?」
「それ以前の話だと言っている。オマエはクラウディアに、火中の栗を拾わせたいのか」
「……クラウディア嬢を守りたいんですね」
「この話は終わりだ。クラウディアに協力するのはいいが、決して茶化すなよ」
「クラウディア嬢は聡明な方です。ラウルのようには、からかえませんよ」
「おいっ、誰か針と糸を持ってこい!」
口の減らない側近だ。
ラウルが用意された針に糸を通すと、わかりやすくレステーアは退散する。
そのまま布を手に取って、ラウルは刺繍をはじめた。
(恋に落ちた、か)
気持ちに答えが出せない。
ただ不思議と、青い瞳には安らぎを覚えた。
クラウディアの傍は居心地が良い。
お茶会の会場に並べられた、一人掛けのソファを思いだす。
あれほど心から楽しめたお茶会は、今までになかった。
女性が苦手だと、バレているのか勘ぐったぐらいだ。
(けど打ち明けたときは驚いていたな。無意識の内に感じ取っていたのか)
人が意識できることは、自分が思う以上に少ない。
レステーアもクラウディアの感知能力の高さを褒めていた。
人の機微に聡いのも、視線に敏感なのも、無意識下で拾う情報が意識にのりやすいんだろう。
観察眼が優れてるとも言えるが。
(有能な女性だ)
見た目も麗しく、社交界では完璧な淑女と評されている。
仮に、彼女への好意が親愛ではなく、恋なのだとしても。
(巻き込むわけにはいかない)
どれだけラウルが否定しても、未だ王位にと推す声は消えない。
それも王太子派が画策する動きを見せるほどだ。
何とか穏便に済ませられないかとラウルは動いているが、下手をすれば血を見ることになる。
(せめて、この出会いに感謝しよう)
おかげでクラウディアのような女性もいると知れた。
知っていれば、今後また別の機会が得られるかもしれない。
重ねて、自分に言い聞かせる。
不安定な現状を忘れるな、と。
「もし……もし、もっと早くに出会えていたら」
この気持ちに名前を付けられただろうか。
関係に、希望を持てただろうか。
自分の身の上を呪ったのは、ラウルにとって、これがはじめてだった。




