17.悪役令嬢はやり過ぎる
シャーロットが自身のコンプレックスについてとつとつと語る間、クラウディアは彼女の背中を撫で続けた。
ボディタッチに癒やし効果があることを、経験上知っていたからだ。
案外、娼婦に癒やしを求める客は多い。
そんなときは長身で大柄な客ほど、頭や背中を撫でてあやすと喜ばれた。
(シャーロット様には、成功体験がないのね)
大きな胸にまつわる嫌な記憶しかないから、それがコンプレックスになる。
難しいのは、彼女の母親が言うように男性の興味を引いても、シャーロットには成功体験にならないところだ。
そのことに味方であって欲しい母親が気付いていない。
「胸のせいで男性にはいやらしい目で見られるし、女性には嫌われるし、もう全然良いことがないんです」
シャーロットはすっかり肩を落としてしまっている。
丸まった背中には、悲しみが満ちていた。
コンプレックスのせいで胸だけじゃなく、自分にまで自信が持てなくなっているのだ。
「悩ましいわね」
一朝一夕で解決できる問題ではない。
それでもクラウディアは、シャーロットの悩みに付き合うことを決めた。
彼女は何も悪くないのに、このままでは男性恐怖症にだってなりかねない。
「これは慰めにならないかもしれないけど、シャーロット様は認識が偏ってしまっているところがあるわ」
「認識がですか?」
「えぇ、先に紅茶を飲んで温まりましょうか。喉だって渇いているでしょう?」
落ち着いて話ができそうだったので、ヘレンに新しく紅茶を淹れてもらう。
爽やかな茶葉の香りに、二人揃ってほう、と息をついた。
ヘレンの淹れてくれる紅茶はおいしい。
「まず、男性全員が大きな胸を好きではないことね。シャーロット様のお母様には悪いけれど、お尻が好きな人もいれば、足にしか魅力を感じない人だっているわ」
そして胸に興味のない人は、自らシャーロットへ近付いてはいかない。
すると寄ってくるのは大きな胸が好きな人だけになる。
結果、邪な男性ばかりが視界に映って、シャーロットはその他の男性を認識できず、視野狭窄に陥っていた。
これは同じ体型の母親にも言えることだろう。
「社交界デビューすれば、出会いが増えるわ。このことを意識しておけば、胸に興味のない男性も見つけられるはずよ」
(紳士的な男性が親戚にいれば、適度に視野も広がったのでしょうけど)
残念ながら話を聞く限り、シャーロットの身近には即物的な人しかいなさそうだった。
加えて、嫌なことほど記憶に残りやすい。
すぐに認識を改めるのが難しいことは、クラウディアもわかっていた。
けれど考えるきっかけは必要だ。
シャーロットが頷くのを見て、話を続ける。
「次は女性についてね。ほとんどの女性はあなたを嫌っているのではなくて、羨ましがっているのよ。今、シャーロット様は、小さな胸の人を見たら羨ましく思うでしょう?」
飴色の瞳を覗き込めば、シャーロットは力強く答えた。
「はい、羨ましいですの」
「それと同じで、胸が小さい人は、あなたが羨ましくて仕方がないのよ。わたくしだって、シャーロット様の容姿に憧れるわ」
「か、完璧なクラウディア様がですか!?」
「ふふ、完璧な人間なんていないわ。わたくしなんて、このつり目のせいで怖がられることが多いもの」
大きくて可愛いらしいシャーロット様のような目が良かったと続ければ、彼女は顔を真っ赤にして首を横に振った。
「違います! みんな怖がっているんじゃなくて、クラウディア様の美貌に緊張してるだけですの!」
力説してくれるシャーロットの頭を撫でる。
彼女がとても好意的に見てくれているのが嬉しかった。
フェルミナなら、きっと涙ながらにクラウディアへの恐怖を訴えただろう。
「シャーロット様はわたくしを励ましてくださるのね」
「当然です!」
「だったら、わたくしがシャーロット様を励ましたい気持ちも、同じだとわかってくださるかしら?」
「同じ……」
「羨ましいと、憧れるのもね。結局は無いものねだりなのだけど。揶揄したり蔑んでくる人がいないとは言わないわ。でもほとんどの人は、あなたが嫌いなのではなくて、羨ましがっているのよ」
「そうでしょうか? あたしはクラウディア様みたいに綺麗じゃないし……っ」
俯くシャーロットの顎に、人差し指を添える。
顔を上向かせると、その大きな目をじっと見つめた。
「あなたは綺麗よ、シャーロット。わたくしが保証するわ」
「く、クラウディア様……」
それにとても可愛いわ、と微笑む。
呼び捨てにしたのは、断言することでシャーロットの記憶に言葉を刻むためだ。
胸のせいで自信をなくしている彼女には、それが必要だと思った。
顎を持ち上げていた手で頬を撫で、ピンク色の髪を耳にかける。
耳の輪郭に指を這わすと、シャーロットはびくりと体を震わせて、飴色の瞳を潤ませた。
「柔らかな頬が、りんごのように真っ赤になるのも愛らしいわ。他にもたくさん素敵なところはあるけれど、今日はもう時間がないわね。後日またお誘いしても良いかしら?」
「は、はいぃっ」
「次に会うときは、シャーロット様が少しでも胸を気にしないでいられるよう、対策を考えましょう」
「えっ、あの、相談にのってくださるんですか!?」
「えぇ、もちろん。シャーロット様が悲しむ顔を、もう見たくありませんもの」
「は、はひゅ……っ」
今一度、上気した頬を撫でれば、シャーロットから空気が抜けた。
侍女に付き添われ、フラつく足で帰るのを見送る。
「大丈夫かしら?」
「クラウディア様、やり過ぎです」
「あら……?」
どうやら娼婦時代の感覚で、触りすぎていたらしい。
初心な令嬢には刺激が強すぎるとヘレンに指摘され、クラウディアは素直に反省した。
◆◆◆◆◆◆
その日の夜、クラウディアは再びラウルの訪問を受けて慌てた。
身嗜みを整えて、応接間へと急ぐ。
部屋に入る前、ヘレンにはコーヒーと甘味の用意を頼んだ。
「すみません、お待たせいたしましたわ」
「いや、こちらこそ悪い。今日のことをどうしても謝っておきたくてな」
レステーアから件の令息の報告を受け、居ても立ってもいられなくなったのだという。
ラウルの隣に座るレステーアからも頭を下げられた。
「クラウディアには、あれだけもてなしてもらったというのに……問題を起こして悪かった」
「ラウル様がお気になさることではありませんわ。それにわたくしは、当事者ではありませんから」
「あぁ、シャーロット嬢はどんな様子だ? まずは文面で謝罪させようと思うんだが」
「それがよろしいと思います。まだ彼に対する恐怖心が残っているでしょうから」
「オレにできることがあれば、何でも言ってくれ。普段は冷静なヤツなんだが、どうもシャーロット嬢を前に舞い上がったらしくてな……だとしても、ご令嬢を怖がらせるなんて言語道断だ」
ラウルは苦虫をかみつぶしたような顔になる。
女性が苦手であっても、令息の対応は彼の倫理観が許さないらしい。
「これだけラウル様が気に掛けてくださっているのですもの、シャーロット様が心を安らかにされる日は、きっと近いですわ」
「そうであることを願う。全く……」
「今はこれ以上、どうすることもできませんわ。コーヒーを用意させましたから、ぜひ飲んでいってくださいませ」
テーブルの上に、コーヒーと糖度の高い焼き菓子が並ぶ。
クリームをクッキーで挟んだそれは、ラウルの好物だった。
「ははっ、クラウディアは、オレの欲しいものがよくわかるな」
「わたくしも心労が溜まると、甘いものが食べたくなりますから」
「なるほど、似たところがあるんだな。……もしかして男が苦手だったりするか?」
「いいえ?」
まさかそういう結論に至るとは思わず、目を瞬く。
訊いてきたラウルも、極論過ぎたかと苦笑した。
「オレは女が苦手なんだ」
突然の告白だった。
ラウルらしいといえば、らしいけれど。
(こんなにも早く打ち明けられるなんて……)
口が裂けても、知っています、とは言えない。




