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16.伯爵令嬢はお姉様に憧れる

「シャーロット! どうしてお母様の言うことが聞けないの!?」


 甲高い母親の声に肩が弾む。

 卒業パーティーへ出かける前は誤魔化せたものの、帰ってきたところで、ボートネックのドレスに着替えたことがバレてしまった。


「で、殿下は、慎ましい方を好まれると聞いたので!」


 用意していた言い訳を口にするも、母親の怒りは収まらない。


「何度言えばわかるのっ、殿方とはそういうものです! 口では貞淑を求めながら、結局は大きな胸が好きなのよ!」


 背中を丸める娘とは対照的に、ずいっと母親は大きな胸を見せ付ける。

 シャーロットの巨乳は、母親譲りだった。

 しかし考え方までは倣えない。


「リンジー公爵令嬢を見れば一目瞭然でしょう! あの美貌とスタイルだから、殿下のお側にいられるんです!」


「でもっ」


 反論は、両肩に手を置かれたことで封じられる。


「シャーロット、あなたは恵まれているのよ? リンジー公爵令嬢と対峙すれば威圧されるだろうけれど、自信を持ちなさい。あなたには彼女より優れている点があるの」


 そんなものはない、と大声で叫びたかった。

 けれど母親に萎縮してしまった心が邪魔をする。

 優しく頭を撫でられても、シャーロットは全く癒やされない。

 不快感だけが、ヘドロとなって腹の底に沈殿していった。


「くりっとした目は、殿方の保護欲をかき立てるわ。淡いピンク髪は、いつもあなたを明るく彩るし、低い身長も殿方には可愛く映るのよ? そしてこの誰にも負けない大きな胸! 胸に惹かれない殿方はいないわ! これぞ気まぐれな神様からの贈りものよ!」


 もう母親の言葉は耳に入らない。

 シャーロットは、どうすれば早く自室に帰れるかだけを考えていた。



◆◆◆◆◆◆



「殿方、殿方、お母様はそればっかり……」


 ソファの上で、お気に入りのクッションを抱える。

 誰にどう見られているかは、シャーロットもよく理解していた。


 シャーロットが姿を現せば、同世代に限らず、大人の男性まで性的な目を向けてくる。

 それを察した女性からは、憎しみを向けられる。


 もう何度、男好きだと噂されただろうか。

 嫌な記憶が蘇り、目に涙が浮かんだ。


「こんなの、全然、贈りものじゃない……っ」


 何を着ても不格好になるし、歩くだけで揶揄される。

 お茶会で笑われたことも数え切れない。

 理不尽だ。

 ただ胸が大きいだけで、どうしてこんな思いをしなきゃいけないのか。

 童顔な顔も大嫌いだった。


「せめて、クラウディアお姉様ぐらい大人びてたらなぁ」


 本棚に隠してあった絵姿を手に取る。

 描かれているのは、緩やかなクセのある黒髪を靡かせる、一人の美しい女性だった。

 家には内緒で、画家に頼んで描いてもらったものだ。

 好きな人の風貌を伝えて絵に起こす令嬢は、シャーロットに限らない。

 特にクラウディアは要望が多いらしく、画家も描き慣れていた。


「今日の白いドレスも、とっても素敵だった……挨拶、変に思われなかったかなぁ」


 「クラウディアお姉様」とは、シャーロットが勝手に呼んでいるだけで、交流が盛んなわけじゃない。

 卒業パーティーでは絵ではない本物を目の前にして、緊張してしまった。


「お母親は、まるでわかってないんですの」


 威圧されるんじゃない、凜とした美しさに魅了されるのだ。

 はじめて顔を合わせたときの、青い瞳が忘れられない。

 深い海のような青色には、慈愛が満ちていた。

 そして良くも悪くも誰もが反応する胸には、一切触れられなかった。

 話すときはじっと顔を見られて、照れたのを覚えている。

 このとき、ようやく「胸の大きな令嬢」という記号ではなく、シャーロットという個人を見てもらえた気がした。


「クラウディアお姉様が聡明なのは、周知の事実なのに」


 来期、シャーロットが入学する学園で新入生代表を務めたのは、みんな知っている。

 文化祭というイベントもクラウディアの案だったと。

 だから殿下にも認められている。

 けれど見た目にしか評価基準を持たない母親は、それを受け入れない。

 大きい胸だけで殿下を虜にできると、本気で信じている。

 母親の胸が大好きな父親も同じ考えだから、始末に負えなかった。



◆◆◆◆◆◆



「今日はなんとしてでも、王弟殿下の気を引いてくるんですよ」


 前回は王太子殿下の気を引けと言われ、うんざりする。

 シャーロットのロジャー伯爵家は貴族派に組みし、現在微妙な立場であるのは理解している。

 だから卒業パーティー前に念を押されたのは、仕方ないと思っていた。


「でも、バーリ王国の……」


「嫁ぎ先の選択肢は多いほうが良いに決まっているでしょう。それに王弟殿下は女好きで有名な方です。あなたの魅力を存分に発揮してらっしゃい! 着替えることは許しませんよ!」


 母親の指示で用意された、胸元が開いたワンピースに泣きたくなる。

 これじゃあ男好きと噂されても文句は言えない。

 気落ちするシャーロットに助け船を出してくれたのは、悩みを知ってくれている侍女だった。

 馬車に乗り込む際、そっとストールを渡してくれたのだ。


「お気を強くお持ちください。シャーロット様が可愛いのは事実ですから!」


「ありがとう……」


 励ましに勇気づけられてストールを握る。

 けれど現実は、シャーロットの心をいとも容易く打ち砕いた。


「どうかシャーロット様を、友人にも紹介させてください」


「え、あの、待ってください」


 従来とは違ったお茶会。

 立食パーティーに近い形式でおこなわれたおかげで、会場は大いに盛り上がっていた。

 クラウディアの手腕に感銘を受けつつ、シャーロットは無難な会話で場を繋ぐ。

 だけだった、はずなのに。

 庭へ通じるドアが開かれた音に、気を取られたのが悪かったのか。

 バーリ王国の令息に腕を掴まれて、頭が真っ白になる。


「あの、困ります……っ」


「どうしてですか? 友人に紹介するだけですよ」


 父親以外の男性に腕を掴まれるなんて、はじめての経験だった。

 振りほどけない力強さに、恐怖で心臓が縮む。

 令息の視線が胸に注がれているのも不安を煽った。


 バーリ王国では、普通のことなんだろうか。

 勉強した慣習にはなかった。自分が不勉強なだけ?

 強く断ったら失礼になる?

 わからない、だってよく知らない人だもの。

 ねぇ、誰か教えて。


 辺りを見回しても、返ってくるのは好奇の視線ばかりで。

 一緒にいたはずの友達は、いつの間にか離れて別の人と話している。


(お願い、誰か……っ)


 絶望で、目の前が真っ暗になる。

 完全にパニックに陥っていた。

 ただ怖かった。

 よく知らない男性に、腕を掴まれているのが。

 どうして自分ばかり、こんな目に遭うのか。

 過去のガーデンパーティーで、腰を抱かれて茂みに連れ込まれそうになった記憶が蘇る。

 そのときは、寸でで友達が気付いてくれた。

 けれど今回は気付いてくれない。


「さぁ、行きましょう」


 いや!

 叫んでも声が出ない。

 目で訴えても、誰も助けてくれない。

 どうして、どうして、どうして。

 胸が大きいだけで、蔑まれるの。


(あたしだって、こんな胸欲しくなかった……!)


 涙で視界が歪む。

 心臓が今にも破裂しそうで、周囲の音も聞こえない。

 動悸がうるさかった。

 なのに。

 空気が歓喜に震えたのを感じ、視線を向ける。


「シャーロット様はこちらにいらしたのね。いつまで待っても空いた席に来られないから、迎えに来てしまいましたわ」


 その瞬間、世界が色を取り戻した。

 たおやかに扇が煽られる。

 繊細なバラの刺繍が、彼女を表していた。

 手元では蝶貝細工が虹色にきらめき、見るものに光を与える。

 それはシャーロットにとって、他ならぬ希望の光だった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] シャーロットさん…怪しくない!素晴らしい!天使だ! 誰だシャーロットさん怪しいとか言ったのは シルヴェスターは早く帰ってこないとハーレム作品になってしまうよ…笑
[気になる点] バーリ王国の令息は自信満々に誘われたと思っていたけれどバーリ王国特有の男を誘うサインみたいな事を偶然シャーロットはしてしまったんでしょうか? もし令息が勝手に誘われたと思い込んでいたな…
[良い点] シャーロット可哀想すぎる。゜(゜´Д`゜)゜。 こんな両親だけどまともに育ってくれたのは良かったわ。 でも誰か…助けてあげて!
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