15.悪役令嬢は伯爵令嬢を庇う
真っ赤な顔に、今にも泣き出しそうな目。
何より異常なのは、バーリ王国の令息に、シャーロットが腕を掴まれていることだった。
あまりにも無礼だ。
そこに違和感が残る。
(マナーを学ぶ以前の問題よ?)
社交の場で女性を乱暴に扱うなんて、国にかかわらず御法度である。
腕を掴んでいる令息に、怒っている様子はないとしても。
彼は明らかにシャーロットの目立つ胸へと視線を注いでいた。
どうやら「令息だけ」のグループに、シャーロットを連れて行こうとしているようだ。
(ハッキリとお断りすればいいのだけど……怖くて声も出せないのかしら?)
シャーロットはずっと胸元をストールで隠している。
ならば何故、卒業パーティーとは違い、谷間が見える服を選んだのか訊きたいけれど。
あざとい、とルイーゼはシャーロットを評したものの、やはりクラウディアには不器用さが目立って見えた。
彼女の様子が、お客にサービスを強要される新人娼婦と重なって仕方ない。
クラウディアだって、いくら客でも腕を掴まれるのは嫌だった。
怖いのだ。
自分では勝てない力を目の当たりにさせられて。
中には女性を怯えさせて楽しむ悪質な客だっていた。娼館の方針で、最後には出禁になったけれど。
(新人や、気の弱い子は文句も言えない)
相手もそういう子を狙うから、どうしても発見は遅れる。
嫌な記憶が蘇りそうになって、クラウディアは持っていた扇を握り絞めた。
シャーロットたちへ近付き、存在を知らしめるよう、音を立てて扇を開く。
繊細な刺繍で表現されたバラが姿を現せば、彼らの視線はクラウディアへ集中した。
この会場の主へと。
先にルイーゼと会っていれば、扇がお揃いであることに気付いただろう。
今日クラウディアが手にしている扇は、カフェで相談にのったお礼にと、ルイーゼから贈られたものだった。
刺繍の柄は違えど、持ち手部分の蝶貝細工が同じだ。
だからだろうか、扇を手にすると、毅然としたルイーゼの姿勢が我が身に蘇る。
悠然とクラウディアは扇を煽った。
「シャーロット様はこちらにいらしたのね。いつまで待っても空いた席に来られないから、迎えに来てしまいましたわ」
空いた席、といってレステーアが抜けた席を示す。
もちろんこれは二人に介入する方便だ。
「あら、お邪魔だったかしら?」
そしてわざとらしく、シャーロットを掴む令息の手を見た。
令息はクラウディアの視線を受けて、慌てて手を離す。
「これは、シャーロット嬢をエスコートしようとしただけです」
(無礼なのは、理解しているのね)
言い訳をするところからも、自覚があるのは窺えた。
だったら最初からするなと言いたいけれど。
なおも令息は、溜息をつきながら続ける。
「最初に誘ってきたのはシャーロット嬢ですよ。だったらと、友人に紹介しようとしたのに、急に駄々をこねられてまいっていたんです」
二人の間にどんなやり取りがあったかは、流石にわからない。
けれどクラウディアは最初から、シャーロットの味方をしようと決めていた。
たとえ彼女に非があったとしても、やって良いことと悪いことがある。力業なんてもっての外だ。
一歩進んでシャーロットを背中に庇う。
すると様子を見ていたヘレンが、彼女を客室へと促した。
ラウルも異変に気付き、腰を浮かしかけたので目で制す。大ごとにはしたくない。
「そうでしたの。でも彼女が王太子殿下の婚約者候補であることは、あなたもご存じよね?」
卒業パーティーで、シルヴェスターから紹介を受けたのは、クラウディアやルイーゼだけじゃない。
紹介されていなくても、王太子の婚約者候補なんて、他国の貴族ならば真っ先に頭に入れておくべき人物だ。
国内情勢を憂慮し、王弟についてきた彼らが知らないはずがない。
「もちろん知っています。ですがシャーロット嬢は、他の男を誘うようなご令嬢ですよ?」
「それが免罪符になるとお思いなら、考え違いも甚だしいですわ」
令息の言いように嫌悪が滲む。
シャーロットが婚約者候補として相応しくないと指摘するのは、王家の判断が間違っていると言うようなものだ。
「婚約者」として至らないなら、まだわかる。
けれど彼は「婚約者候補」である彼女のことを軽視した。
(意味がわからないわ)
明かな失言だ。
それでも、クラウディアに対する令息の態度は丁寧だった。
令嬢の腕を掴むぐらい乱暴な人間なのかと思いきや、激高するでもなく理性的に接せられる。
話す内容は問題だが。
「あなたは、ハーランド王家の決定に異議があると仰いますのね」
「えっ、あ、いや……ただ、彼女はそういう女性だと、お伝えしたかっただけです。失言をお許しください」
やっぱりわからないわ、と頭を下げる令息を見ながら、クラウディアは眉根を寄せる。
シャーロットとのことを見咎めたとき、慌てて手を離したものの、今の彼は落ち着いているようだった。
普通、悪さが見つかったときは、気まずさから早くこの場を立ち去りたくなるはずだ。
しかし令息からは、そんな焦燥は見受けられない。
単に肝が据わっているだけなのか、ちぐはぐな彼の印象に首を傾げそうになったとき。
庭へ通じるドアが開いて、視線を向ける。
目が合うと、レステーアは状況を理解したのか一目散に駆け付けた。
「申し訳ありません! ご令嬢の扱いには気を付けるよう、度々注意していたんですが……罰は何なりとお申し付けください」
「いえ、どうやら誤解があったようですので、次から気を付けていただければ結構ですわ」
謝ってもらおうにも、既にシャーロットは会場をあとにしている。
それに令息とは顔を合わせたがらないかもしれない。
レステーアの登場で、令息が完全に非を認めたのもあって、この話はここまでとなった。
(何がどうなっているの……?)
この後、トラブルは起きなかったものの、クラウディアには煮え切らない思いだけが残った。
◆◆◆◆◆◆
「クラウディアお姉様ぁああっ」
「はい?」
シャーロットの様子を見に客室を訪れれば、部屋に入るなり体当たりを喰らう。
踏鞴を踏んでしまうけれど、すぐにヘレンが支えてくれた。
「ず、ずみまぜんっ、あたしのせいで、お茶会がぁ……っ」
「大丈夫だから、落ち着いて」
ひっくひっくと嗚咽を繰り返すシャーロットを宥める。
令息とは逆に、こちらは会場から離れた安心感で、箍が外れているようだった。
ソファへ誘導し、隣り合って一緒に腰を下ろす。
「すみません、あたし、あたし……っ、何か言わなくちゃって、思ったんですけど、声が、出なくて」
「大丈夫よ、そういうときだってあるわ。問題にはならなかったから安心して」
背中を撫でてあやしながら、経緯を尋ねる。
ぽつぽつと語られた内容は、クラウディアが予想していたものと相違なかった。
「コーヒーもおいしいですねってお話してただけなんですの。なのに急に腕を掴まれて、あたし、どうしたらいいかわからなくて……何かバーリ王国の方に失礼を……」
「失礼だったのは相手のほうよ。シャーロット様は何も悪くないわ」
(これじゃあ、本当にただの言いがかりね。近くにいた人に確認する必要はあるでしょうけど)
周囲にいた招待客を頭に浮かべる。
婚約者候補という立場は、所属する派閥にかかわらず目を引いた。
野次馬根性で、会話を盗み聞きしていた人は少なからずいるだろう。
「ご友人と一緒じゃなかったの?」
「一緒だったんですけど、気付いたら一人になってて……あたし、誘ってなんかいません! でも……」
「でも?」
「勘違い、されやすくて。……胸が大きいから」
シャーロットは、ぎゅっとストールを握って胸を隠す。
彼女にとってそれがコンプレックスなのは、痛いほど伝わってきた。




