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10.王弟殿下は溜息をつく

 部屋を満たすコーヒーの芳醇な香りに一息つく。

 自国から持ってきた豆は、上手く酸化を免れたようだ。

 ハーランド王国では紅茶が主流で、あまりコーヒーが出回っていない。そのため、長期滞在用に大量の豆を一緒に持ってきていた。

 鼻腔をくすぐる果実由来の爽やかさを堪能しながら、部屋に残った側近に視線をやる。


「オマエは自重を覚えたらどうだ?」


「シルヴェスター殿下は、寛容な方でしたね」


 他国でも男装を貫くレステーアには、天井を仰ぎたくなる。

 正装であるなら問題ないと、シルヴェスターが認めてくれたからいいものの。

 きっかけを与えた覚えがあるだけに、ラウルは責任を感じていた。


(オレが、女が苦手なのを知ってからだもんなぁ)


 今日紹介されたリンジー公爵令嬢のような、グラマラスなタイプは特に苦手だ。


 思春期を迎えた頃、ラウルの周囲には女性しかいなかった。

 発育が良かったせいもあるだろう。おかげで人一倍早く大人になることを強いられた。

 加えて桃花眼の目元が人を誘うらしく、軟派なイメージが先行していた。


(寝床に知らない女が裸でいたのは、今でもトラウマだ……)


 王位継承第一位の座も、大いに影響した。

 ラウルと既成事実を作りたがる女性は後を絶たず、思春期の彼に影を落としていった。

 色んなタイプがいたけれど、最初に裸を見た女性が豊満な体つきだったため、そのまま苦手意識にすり込まれた。

 しかし立場を考えて、ずっと苦手なのをひた隠してきた。

 はじめてバレた相手が、レステーアだった。


(それまではコイツも、シンプルなドレスを着ていたのが信じられない)


 男装の麗人としての印象が強くなり過ぎて、以前の姿が思いだせないほどだ。

 最初は私的な場所でだけだった男装は、活動範囲を広げ、今では他国にまで及んでいる。


(絶対レステーアの趣味だろ)


 むしろラウルは止めた。

 バーリ王国であっても、パーティーでドレスを着ない女性はいない。

 案の定、レステーアは好奇の目に晒されることになったが、本人はどこ吹く風だった。

 元々、頭の回転が速すぎるがために、孤立しがちだったからかもしれない。


(逆に男装してからのほうが女友達は増えたみたいだが、本当に女友達なのか……?)


 不思議なもので、最初は避けられていたレステーアも、男性グループと行動を共にすることで、女性に囲まれるようになった。

 今ではラウルといい勝負をするほどだ。

 一人掛けのソファから、胡乱げに男装の麗人を見ていると、にっこり微笑まれる。

 ちっとも嬉しくない。

 長い付き合いで、レステーアの人間性は把握していた。


(ためらいもなく笑顔で人を刺すタイプだからな、コイツは)


 どれだけ綺麗な笑顔を向けられても、気が休まらない。


「クラウディア嬢は興味深い方でしたね。ラウルは苦手なタイプでしょう?」


「そうだな……」


 言わずとも、一番苦手なタイプだ。

 気の強そうな顔に、自信に溢れた体。

 でも最初に目を引かれたのは、緩やかなクセのある長い黒髪だった。

 ラウルも髪にクセがあるので、共通項が気に留まったのかもしれない。

 そして青みがかった白いドレス。

 黒と白の対比に負けない、ボディライン。

 苦手だ。


 苦手なのに、美しかった。


 黙っていてくれたら、どれほど完璧だろうと思った。

 口を開けば、また媚びた甘い声を聞かせられるのかと憂鬱になった。

 けれど、それは杞憂で。


「まさかダンスに誘われるとは、ぼくも思いませんでした」


「オマエが失礼をしたからだろうが」


「彼女は気にしていませんでしたよ」


 レステーアには悪癖があった。

 相手の思考を読んで、答えを先回りするのだ。

 考えを読まれたほうは良い気がしないどころか、普通は気味悪がられる。

 けどクラウディアは違った。

 逆に謝ってきたぐらいだ。

 彼女はちゃんとレステーアの立場を考えて、何も指摘しなかったのに。

 あの場の落ち度は、レステーアにあった。

 だから詫びを兼ねて、ダンスに誘った。

 パーティーで唯一、他国の王族に誘われたとなれば、彼女の自尊心が満たされると思ったからだ。


「クラウディア嬢に興味がありますか?」


「バカを言え。それに彼女はシルヴェスターの婚約者候補だろうが」


 すぐに否定するも、レステーアは微笑むばかりだ。

 思考を読まれているようで気に入らない。

 クセが強い一方で、有能だから始末に負えなかった。


 ラウルがエスコートすれば、大抵の女性はしな垂れかかってくる。

 少しでも女体の感触を伝え、性欲を刺激しようとするのだ。

 それが逆効果であることを、クラウディアは知っているみたいだった。

 ラウルが不快にならない距離、接触を心得ていた。

 気付いたら早々にダンスは終わり、戸惑ったのは記憶に新しい。

 かといってレステーアを放置すれば、何をしでかすかわからないため、ラウルは気持ちを切り替えるしかなかった。


「ぼくは興味がありますよ」


「どういう意味だ?」


「彼女は目が良い。それに感知能力も高い。気位の高い公爵令嬢とは、とても思えません」


「完璧な淑女と評判らしいぞ」


 だからしっかりラウルとも距離を保ったのだろうか。


「クラウディア嬢なら納得の評価ですね。ぼくは感動しています。彼女は本当に素晴らしいですよ、ラウル」


「オマエを気味悪がらないしな」


「そうなんですっ、視線の動きや表情で、考えを読まれることをわかっているんですよ! きっと彼女自身が、鋭い観察眼をお持ちだからでしょう」


 何とはなしに水を向けただけだった。

 レステーアから、かつてない熱量が返ってきて目を瞠る。


「加えて、あの感知能力には興奮しますよ! 公爵令嬢ともなれば、逆に見られることに慣れて、人の視線には鈍くなるというのに」


 言われてみれば、蝶よ花よと育てられたにしては機微に聡い。

 クラウディアの能力は、ハーランド王国の他の令嬢と比べても、突出しているように思えた。

 単に生来のものかもしれないけれど。


「クラウディア嬢に感銘を受けたのはわかった。だが、余計なことはするなよ? オマエにだって監視の目はついてるんだぞ」


 主人を置いて、早々に王都へ出発した側近を睨む。

 そのときは国王がつけた護衛も一緒だったので、下手なことはできないだろうと出発を許可した。

 結果、レステーアは五日ほど先に着き、外交官と情報をすり合わせていたらしいが。


「わかっています。監視役に護衛を選ぶなんて、目を盗んで何か企てろと言わんばかりですよね」


「企てたが最後、サーベルの錆にされるぞ」


(兄上は、世継ぎが産まれてから人が変わった……)


 最近では疑心暗鬼になっているのではと疑うほどだ。

 今までだってラウルは、国王の意に反したことがないというのに。


 ラウルは、平和主義者だった。


 争いを何よりも忌避する。

 ラウルのように地位の高いものが争えば、決まってわりを食うのは弱者だからだ。

 当人たちだけの話では収まらなくなる。

 だから王位継承権が二位に下がり、留学を言い渡されても素直に受け入れた。


「問答無用でラウルを国外へ出して非難を浴びたから、早く問題を起こして欲しいんでしょうね」


 兄である国王からは表向きには従順を、裏では反旗を翻すことを望まれている。

 さっさと反旗を翻して処分させろというのだ。

 流石のラウルも、裏の意に沿う気はない。


「王太子殿下が成長されれば、国王も落ち着きを取り戻されるさ」


「だと良いですけどね」


 留学という形で国から追い出されたことで、レステーアを筆頭とした王弟派貴族の国王への心証は最悪だ。

 ラウルとしては彼らが暴走しないよう、神経を尖らせるしかなかった。

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