08.悪役令嬢は追い詰められる
「シル!? ここにいて、よろしいの?」
婚約者の内定はあっても、表向きはまだ婚約者候補に過ぎない。
二人っきりでいるところを誰かに見られるのは、都合が悪かった。
それに王弟の紹介を兼ねた案内は、もういいのだろうか。
「時間はかかったが、人払いは済んでいる。バーリ王国のものたちも、それぞれ用意された部屋へ帰った」
平然と答えながら、シルヴェスターはクラウディアの隣に腰を下ろす。
彼が御者に合図を送ると、馬車は動き出した。
「もしかして待ち時間が長かったのは……」
「あぁ、私の都合だ。ヴァージルとは話がついてるから、安心していい」
「安心していいのかしら……?」
視線を下ろせば、当然のように手が握られていた。
このぐらいなら許容範囲だけれど。
意識すると、頬が熱くなる。
まだまだ初心さが抜けない我が身が悔しい。
クラウディアの視線に気付いたシルヴェスターは、軽く手を持ち上げると甲にキスを落とした。
「私は君に愛を伝えたいだけだ」
言いながらプロポーズのときのように、指の一本一本に愛を贈られる。
リップ音が聞こえると、全身に血が駆け巡った。
直視していられず、窓へ顔をそらす。
(そういえば二度目のプロポーズは、室内だったのよね)
啓示のような夢では、一度目と二度目を混同されたのだろうか。
二度目はシルヴェスターから愛されていることを知り、今までにない感動にのまれて、夢とは真逆の心地だった。
「何を考えている?」
「その、以前のことを。シルは、わたくしの指が好きなの?」
「指も好きだが、他の場所はキスを許してくれないだろう?」
「当たり前です!」
完璧な淑女になると決めてから、過度な触れ合いは禁じていた。
まだ未成熟な自分たちが、燃え上がった熱を上手く処理できると思えないからだ。
現に今だって、指先へのキスだけで、体が熱っぽい。
「頑なだな。でも顔をそらさずとも――」
顎を軽く持たれて、顔の向きを正される。
しかし目が合うなり言葉が途切れた。
鼻先が当たって、慌てて両手でシルヴェスターの口を塞ぐ。
「ダメ……っ」
「君は、そんな表情を、しておきながら、拒むのか」
どんな表情かは、クラウディアにはわからない。
けれどシルヴェスターのは、わかる。
小刻みに呼吸を挟んだ彼は、眉根を寄せ、最後は辛そうに重たい息を吐いた。
「今すぐ君を抱きたい」
「直球にもほどがありますわよ!?」
婚約者に内定してからというもの、とみにシルヴェスターは欲情を隠さなくなった。
ただ本人も反省はしているらしく、すぐに非を認める。
「……すまない、他に胸の内を伝える良い表現が浮かばなかった」
クラウディアの予想通り、上手く熱を処理できないのか、珍しくシルヴェスターが乱暴に髪をかき上げる。
手からこぼれた銀髪が、淫靡な光を散らしていた。
その合間から黄金の瞳が覗く。
もし第三者がこの場にいれば、自ら体を差し出しただろう。
苦々しい姿すら絵になるシルヴェスターに、クラウディアから提案できることは限られた。
「とりあえず前の席に移動されては?」
「嫌だ」
二人きりになると、いつも似たようなやり取りをしている気がする。
「しばらく会えなくなるというのに、離れたくはない」
飾らない言葉は、本音が吐露されていた。
ふと、顔を出した現実に、クラウディアも寂しさが募る。
「領地に行かれるのですよね」
「あぁ、短期滞在の予定だが、いかんせん往復に時間がかかる」
現地で留まるより、移動時間のほうが長いのは、シルヴェスターにとっても負担のようだ。
「頻繁に会えているわけでもありませんのに、急に寂しく感じてしまうから不思議ね」
「君もそうなのか? 私だけではなかったのだな……」
目に見えて安堵するシルヴェスターの姿に、首を傾げる。
自分だけが寂しいと思っていたのだろうか。
「わたくしだって寂しいですわ」
「うむ、今日の君はラウルに釘付けだったから、落ち込んでいるのは私だけかと思っていた」
「あれは……!」
相変わらず、シルヴェスターの勘の良さには肝を冷やされる。
どこまで心を読まれただろうか。
娼婦時代があったことを、シルヴェスターは知らない。
しかし、それでも核心を突いてくるのが、シルヴェスターだった。
「焦らなくていい、接待に徹してくれていたのだろう? レステーア嬢のことも、よく見抜いたな」
シルヴェスターには事前に、令嬢だと紹介されていたという。
浮気心はないとわかってくれていて、一先ずほっとする。
「シルの視線が厳しく感じられたのは、気のせいだったのね」
「嫉妬はしたが?」
「……」
「理解することで感情が制御できれば、私も困らないのだがな」
苦笑しながら、肩に落ちた髪の一房を撫でられる。
シルヴェスターの言う通り、感情ほど扱いが難しいものはない。
自分のことなのにままならなくて、クラウディアもどれだけベッドでバタついたことか。
共感できたからこそ、優しい接触を拒めなかった。
そして髪の流れを追う指が二の腕へ至り、皮膚の薄い部分を刺激されて、体が反応しかけたとき。
「ディアは、ラウルと面識があるのか?」
爆弾を落とされて、悲鳴を上げそうになる。
どうして相手への視線だけで、そこまで勘付けるのか。
どうして毎回的確に、気がそれた瞬間を狙えるのか訊きたい。
「あ、ありませんわっ」
「ふむ、その割りには保つ距離を心得ているようだったが」
「そのように見えまして?」
「初対面の相手なら、君はまず観察してパーソナルスペースを計ろうとするだろう? ラウルに対しては、それがなかった」
よく見ている。
しかし今のクラウディアに、気を配られていることを喜ぶ余裕はなかった。




