01.悪役令嬢は夢を見る
片膝をついた影が、絨毯に落ちる。
相手の眼差しに熱量を感じるのに、何故か顔は見えない。
胸に満ちるのも、ときめきではなく、もの悲しい切なさだった。
「お断りいたします」
涙が溢れそうになって、唇をかたくむすぶ。
自分でもわからない感情の波に、視界が歪んだ。
ごめんなさい。
謝罪は声にならなくて。
――いつの間にか、目が覚めていた。
「夢……?」
耳の裏に心臓があるみたいだった。
治まらない動悸に喘ぎながら身を起こす。
全身が汗でじっとりしていた。
「忘れるな、ということかしら」
シルヴェスターのプロポーズを一度断ったのは、まだ記憶に新しい。
風化させるな、という啓示かもしれない。
場所が室内に変わっていたけれど、夢に整合性を求めても仕方ないだろう。
「クラウディア様、起きておられますか?」
「えぇ、起きているわ」
ヘレンの呼びかけに答えながら、頬に張り付いた髪を拭う。
「失礼いたします。朝の支度を――どうかされましたか?」
いつもと違う雰囲気を察したのか、ヘレンが気遣わしげに眉尻を落とす。
クラウディアは余計な心配はかけまいと、すぐに首を振った。
「何でもないわ。少し夢見が悪かっただけよ」
「では顔を洗ってサッパリしましょう」
提案を笑顔で受け入れ、ヘレンが押してきたワゴンの上に洗顔用のお湯とタオルがあるのを見て、ついでに寝汗も簡単に拭いてもらう。
朝から風呂に入ることはほとんどなく、支度は毎回自室で済んだ。
「クラウディア様の肌は、さながら雪のように澄んでおられますね」
丁寧にクラウディアの背中を拭いながら、ヘレンはほう、と熱のこもった息を吐く。
ベッドの上で晒された白い肌は新たな潤いで艶めき、黒髪を束ねたことで現れた項は、黒と白の対比も相まって色気を漂わせていた。
柔肌のきめ細かさを目の当たりにし、ヘレンの力加減がより一層優しくなる。
「ヘレンたちが手入れをしてくれるおかげよ」
クラウディア自身も美容に力を入れているけれど、アロママッサージなど侍女たちに手伝ってもらうことも多い。
しかしこれでようやくシルヴェスターの隣に並べるのだから、思い人の美貌が恐ろしくもあった。
相手はこの国の王太子殿下だ、それこそプロの手によって磨かれているだろう。
だとしても。
「美容においては、公爵家が劣っているとも思えないのよね」
それこそ娼婦時代の知識を考えれば、クラウディアだってプロと遜色ない。
思わず口を出た呟きに、ヘレンも頷く。
「わたしもクラウディア様のお役に立てればと情報を集めていますけど、王城に勤める侍女の話では、さほど特別なことはおこなっていないようです」
むしろ魅力的なボディラインを保つための運動など、クラウディアのほうが先んじているという。
第一に、シルヴェスターが肌の手入れを気にしているとも思えなかった。
「それであの白磁のような肌なの? シルのポテンシャルって、どうなっているのよ……」
絹糸のような銀髪と、太陽を抱く黄金の瞳が脳裏に浮かぶ。
少年の頃はビスクドールのように愛らしく、青年となった今では見るもの全てを魅了するほど美しい彼は、生きる芸術だ。
王族の中では、シルヴェスターの姿絵が群を抜いて高値で取引されるほどだった。
しかも絵より実物のほうが良いというオマケ付きで。
「クラウディア様も負けていません! 化粧水が手に入れば、更なる高みへと至れますっ」
「ありがとう、ヘレン。ブライアンに期待するわ」
ブライアンの実家であるエバンズ商会は、娼婦時代のクラウディアに一番合う美容品を取り扱っていた。
美容品の効果は、どうしても個人の体質に左右されてしまう。
肌が乾燥しがちな人もいれば、脂質が多い人もいるからだ。
みんなが使っているからといって、それが自分に合うとは限らない。
「先日の報告では、そろそろ輸送路を確保できそうなのよね」
面識を得てからというもの、律儀にブライアンは商品の状況をクラウディアに報告していた。
あくまで報告に留まり、公爵家の力を借りようとしないところに好感が持てる。
エバンズ商会としても、独自で開発したほうが利益が出るからだろうけれど。
「わたしもクラウディア様が懇意にされるものが、どういった品なのか楽しみです。本日はご予定通り、紳士服店へ行かれるので、よろしかったですか?」
「えぇ、品物を受け取りに行くだけだから、時間はかからないわ」
「持って来させることもできますけど……」
「それだとお兄様に勘づかれてしまうでしょう?」
品物は、ヴァージルへの卒業祝いだった。
王城で催される学園の卒業パーティーに合わせて用意したものだ。
この時期にクラウディアが紳士服店のものを呼んだとなれば、理由は火を見るより明らかだろう。
「仰る通りです、配慮に欠けました。ヴァージル様も、クラウディア様の一挙一動に敏感でおられますからね」
異母妹の件があったからか、王太子殿下の婚約者という内定をもらったからか、その両方か。
口は出してこないものの、最近とみに見守られている感覚があった。
「では、本日のお召しものは――」
ヘレンが言い切る前に、別の侍女が姿を見せる。
クラウディアに断りを入れ、彼女がヘレンに耳打ちすると、動揺で目を泳がせながらヘレンは頭を下げた。
「申し訳ございません、少し外してもよろしいですか?」
「何かあったの?」
「大したことではないんですけど、その、個人的なことで……」
「こちらは手が足りているから大丈夫よ。気にしないで行ってらっしゃい」
ありがとうございます、と答えるなり、ヘレンは部屋をあとにする。
何をおいてもクラウディアを優先する彼女にしては、珍しいことだった。
気にはなるけど、個人的なことを詮索するのも野暮だ。
出かける前には戻ってきたヘレンを、クラウディアは何事もなく笑顔で迎えた。




