61.第一章、完
捜査官からの報告を、父親は粛々と受けとめた。
「わかった。フェルミナの籍は、リンジー公爵家から修道院へ移す」
こうしてフェルミナは、前のクラウディアと同じ沙汰が下された。
違うのはヴァージルの卒業パーティーを待たずして、学園を去ることぐらいだろう。
この決定に、フェルミナの実母であるリリスは涙をにじませたものの、異議は唱えなかった。
投獄されなかったのは、シルヴェスターの婚約者の家から犯罪者を出すわけにはいかないと、王家から配慮されたためだ。
それでも送られる修道院の暮らしは厳しいものになるという。シルヴェスターが穏やかな笑顔で言っていたので間違いない。
「道中の護衛は多めにつけてください」
「ディー、まだ懸念があるのか?」
「野盗に襲われないよう、念のためです」
心配するヴァージルを安心させるよう首を振る。
前のクラウディアを襲った野盗が、フェルミナの差し金だったのかわからない以上、無事に修道院へ入って欲しかった。
後味が悪くなるのは嫌だから。
目を閉じれば、愉悦に満ちたフェルミナの笑顔が浮かんだのは、もう昔の話。
今は視界が暗くなるだけだ。
その瞼を開ければ――。
「どうした?」
眩しい、銀色の光に目を焼かれる。
「少し、フェルミナのことを思いだしていましたの」
「昨日発ったのだったな。しかし彼女は、まだ君の中にいるのか?」
「ご安心ください。今にも消えてなくなりそうな程度です」
婚約後、シルヴェスターは嫉妬を隠そうともせず、彼の前で誰かの名前を出せば、決まって眉根を寄せた。
その嫉妬に、煩わしさより喜びを感じてしまうあたり、自分も重症だ。
「ならばいいが。しかし婚約したのに、私たちはいつまで密会せねばならないのだ」
「表向きは、まだ婚約者候補ですからね」
今日は劇場を貸し切り、舞台をカフェに替えていた。
人のいない観客席を眺めながら飲むお茶は、その規模の大きさに味がしない。
(視察を名目に、一体いくら使っているのかしら)
娼婦時代もそれなりに裕福な暮らしができていたので、クラウディアの金銭感覚も平民とは違うが、お金の換算はできるようになっていた。
オーナーだけでなく、劇場で仕事をしている一人一人に、ちゃんと日当が支払われるよう打診することを決める。
「でも婚約者期間は免除になったのでしょう?」
「あぁ、学園を卒業すれば結婚できる」
前例では、婚約者期間も慣例に従って設けられていたが、シルヴェスターの願いにより免除されることとなった。慣例を重んじる王族派から不満が出ないよう根回ししたらしい。
結局のところ、相手がクラウディアであることが功を奏し、反感は抱かれなかったようだ。
「あと二年、何事もなければいいのですけど」
「不吉なことを言うな。フェルミナ嬢の証拠のおかげで、貴族派にも釘を刺せたから大丈夫だろう」
結局のところ、フェルミナの協力者は貴族派の女生徒だった。
去り際に叫んだ通り、フェルミナは女生徒に関する証拠を握っていた。
しかしそれは女生徒も一緒で、互いが裏切り、持っていた証拠を出してくれたおかげで捜査はすぐに終わった。
(なんともお粗末な結果だけれど……あの女生徒って、前のクラウディアの取り巻きよね)
もっといえば、悪漢にフェルミナを襲わせるようけしかけた張本人。
当時のクラウディアは取り巻きに興味がなく、名前すら覚えていなかったから存在に気づけなかった。
けれど、やはり前のクラウディアはいいように操られていたのだと知る。
学園にとっての唯一の救いは、実行犯が外部の人間で、生徒ではなかったことだろうか。
それぞれが厳罰に処されたのは言うまでもない。
「ルイーゼ様に悪印象を抱かれなかったのは幸いでしたわ」
巻き込んだ挙げ句、目の前で王太子殿下を振ったのだ。
生粋の王族派で伝統を重んじるルイーゼからすれば、許しがたい所業だろうと、彼女への言い訳には頭を悩ませた。
けれど彼女の解釈は、クラウディアと違っていた。
先にシルヴェスターを叱責するクラウディアの姿を見ていたため、婚約の申し出を断ったのは、もう一人の婚約者候補であるルイーゼを重んじ、候補期間の公平性を保つためだと考えてくれていたのだ。
考えを聞いた瞬間、クラウディアこそ彼女を娶りたくなった。
(男性とは触れ合わないと誓ったけど、女性は誓っていないものね?)
シルヴェスターと思いは通じたものの、若さゆえの精力は未だ持て余していた。
といっても、シルヴェスターにバレたら不味い気がするので、実行しないが。
今だって早くも視線が痛い。
「最近ルイーゼ嬢と仲が良いようだな?」
「よきライバルですの」
「その割りには……」
「シル、わたくし思っていたことがあるのです」
黄金の瞳に剣呑さを感じ、話題を変える。
続きが気になったのか、シルヴェスターもしぶしぶ応じた。
「何だ?」
「フェルミナさんが悪女なら、わたくしは彼女を超える悪女になろうと思っておりましたの」
彼女にやり返すなら、それしかないと。
「君まで堕ちる必要はないだろう」
「シルの仰る通りです。そのことに、ようやく気づけたのです」
クラウディアがやっと辿り着いた答えを、シルヴェスターは呆気なく口にする。
勘の鋭さゆえか、単に第三者から見ればそう映るのか。
どちらにしろ、クラウディアが答えを見つけるまでには、時間がかかった。
「心のどこかで自分は悪い女だと、思い込んでいたようです」
何をもって「悪」とするのか。
それを考えもせずに、人を動かすのは「悪」だと考えていた。
「今は違うのだな」
「はい。人として至らない点はありますが、悪女にはなりたくありませんわ」
ブライアンは決して、クラウディアが「悪」だから動いてくれたのではない。
フェルミナの悪辣さを目の当たりにし、そのことにようやく気づけた。
「だからお母様の望みであった、完璧な淑女を目指そうと思うのです」
「君は既に淑女の見本として通っているが、更に上を目指すと?」
「志は高いほうが良いでしょう?」
「私としては文句のつけようがないが……」
「賛同していただけて嬉しいですわ」
言質は取りましたよ、というクラウディアに、シルヴェスターが動きを止める。
しかし頭の中では高速で思考を巡らせているのは、想像に容易かった。
「貴族社会では貞淑が尊ばれるのを、シルもご存じでしょう?」
クラウディアの言いたいことを察したシルヴェスターは、口の端を痙攣させる。
「私に、結婚するまで我慢しろというのか?」
「辛いのはわたくしも同じです」
好きな人と触れ合えないのは、クラウディアだって辛い。
けれど決めたのだ。
自分を律し、原点回帰しようと。
「ディア、ときとして男は悪女を好むものだ」
そっと伸ばされた手が、クラウディアの手に重なる。
人目に触れて恥ずかしくない接触まで、否定するつもりはない。
クラウディアは、シルヴェスターの黄金の瞳に向かって悠然と笑む。
「存じております。二年の辛抱ですわ」
それは悪女も裸足で逃げ出すような、淑女として完璧な微笑みだった。
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。




