57.悪役令嬢は逃走する
(わたくしが思っている以上に、シルヴェスター様は不器用な方なのかしら)
一対一のお茶会では、気の抜けない相手だった。
隙を見せれば足元を掬われそうで……。
けれどその本音は、クラウディアの反応を面白がっているだけだった。
穏やかな笑顔の仮面を被られると、シルヴェスターの感情を見抜くのは難しい。
それでも時折仮面を脱いでくれるようになったし、何となく感情を察せられるようにもなってきた。
シルヴェスターは、クラウディアが偽るのを好まない――見抜いてくる――ので、最近では素で相手にすることも多い。
だから自分としても、技量を尽くしているとは言い難いけれど。
(もしかして女性の扱い方を知らないとか……ありえるかしら?)
少し考えれば、クラウディアが夢見る乙女であるか、現実を重視する性格かはわかるはずだ。
なのにシルヴェスターは外した。
まるで聞きかじった情報に踊らされるように。普段の彼なら考えられないことだ。
頭を過った可能性に、シルヴェスターを窺う。
クラウディアを抱き寄せ、なだめようとはしているものの、困っている雰囲気が如実に伝わってきて笑みが漏れた。
(そうだったわ。シルヴェスター様も、十六歳の青少年なのよね)
人生をやり直しているクラウディアが異例だった。
聡明な人が、女性慣れしているとは限らない。
今年正式なデビュタントを果たしたのは、シルヴェスターも一緒だ。
それまで同性との交流は盛んだっただろうし、王族として公の場に出る機会もあっただろう。
だからといって、女性の好み通りに振る舞えるかは別問題だ。
「わたくしを喜ばせようとしてくださったのですか」
「あぁ、だが失敗だったようだ。これでは格好がつかないな」
体を離し、正面からシルヴェスターを見上げる。
年相応の顔で気落ちしている彼を。
シルヴェスターの純朴な一面に触れられ、心が温かくなった。
フェルミナのことで荒んでいた気持ちが癒やされていく。
「お姿は格好良かったですわ」
「その分では、惚れてくれてはいなさそうだな」
「心配で、それどころじゃありませんでしたもの」
「……心配してもらえただけ、よしとするか」
クラウディアの気持ちが落ち着いたのを見て、シルヴェスターも仕切り直すことにしたようだ。
彼は一つ息を吐くと、その場で片膝をつく。
意図は、誰の目にも明かだった。
「クラウディア・リンジー公爵令嬢、私と婚約してもらえないだろうか」
屹然としたシルヴェスターの声だけが、静寂の中で響く。
いつの間にか、辺りは暗くなっていた。
もうすぐ闇の帳が完全に下り、視界は悪くなるだろう。
そんな刹那の時間だった。
光を湛えた黄金の瞳に、「落ちた」のは。
答えは決まっている。
例え、シルヴェスターが面白がって、この演目を続けているのだとしても。
だけど唇が震えた。
恋に落ちた――落ちてしまったからこそ。
自分の気持ちに気づいてしまったから。
「お断りいたします」
クラウディアはシルヴェスターに背を向け、走り去ることしかできなかった。
◆◆◆◆◆◆
あれから、どうやって帰宅したのか記憶にない。
けれど気づいたときには、自室でいつも通りヘレンにお茶を淹れてもらっていた。
「わたくしって、やはり愚かだわ」
「わたしはクラウディア様ほど賢い方を存じ上げませんが」
「それはヘレンが、わたくしの本質に気づいていないからよ」
喉を潤し、ほう、と息をつく。
自分がしでかしたことに、頭が痛い。
(何をやっているのかしら……)
あそこは素直に「はい」と返事しておけばよかった。
それでシルヴェスターは満足したはずだ。
なのに、また彼の矜持を傷つけてしまった。
シルヴェスターが物語の王子様を気取ったのは、作られた場で演劇を興じるためだ。
フェルミナの所業を察し、励まそうとしてくれたのだろう。
だからヴァージルが語った、婚約者の話を持ち出した。
口裏を合わせるために、ヴァージルから聞かされていたに違いない。
(その善意に……わたくしは……)
「ああああ! 人生をやり直しても、わたくしの根底にある愚かさは消えないの!?」




