56.悪役令嬢は宣言する
貴族令嬢にとって、貞操に関する醜聞は何よりの痛手だ。
仮に身が無事でも、悪漢に襲われたとなれば憶測を呼ぶ。
貞淑が尊ばれる貴族社会において、それは死を意味した。
クラウディアが本命であるものの、フェルミナはついでと言わんばかりに、ルイーゼを巻き込むことにしたのだろう。
幸い、作られたこの場で醜聞が広がることはないけれど。
浅はかな妹の考えに、呆れるよりも血が沸騰しそうになった。
フェルミナを越える悪女になると誓った。
向こうがその気なら、やり返してやると。
けれどその下劣さを目の当たりにすると、同じにはなりたくないと思う。
どれだけ完璧な悪女になっても、フェルミナと同じカテゴリーに入れられるなら、悪女になんてなりたくない。
(ルイーゼ様は、心配して来てくださったのに……!)
ここに来なければ、ルイーゼが巻き込まれることはなかった。
だからフェルミナにとっては、あくまでついででしかないのだろうけど。
今までの標的は、クラウディアだけだった。
楽器紛失の件では周囲に迷惑をかけたものの、深く誰かが傷ついたわけじゃない。
だから改心してくれればと思ったのに。
前のクラウディアですら、狙ったのはフェルミナだけだった。
悪質な手段は、断罪されて当然だった。
けれど、フェルミナは。
必要がないのに、ルイーゼを巻き込んだ。
罪のない人を。
許せない。これは許せなかった。
怒りで視界が赤く染まる中、クラウディアは悠然と微笑む。
その気迫に、近づこうとしていた男たちの動きが止まった。
「あなたたち、わたくしが誰か知っていて?」
緩やかに波打つ黒髪を揺らしながら、小さく首を傾げる。
頬に手を添える仕草は蠱惑的だった。
惑わされた誰かが生唾を飲み込む。
哀れな男たちは知らない。
この妖艶な少女が、男たちを待っていたことを。
既に自分たちが、蜘蛛の巣にかかっていることを。
「し、知るかよ。ふんっ、強気でいられるのも……」
動揺を見せる男たちに情けはいらない。
青い瞳に炎を湛え、凜とクラウディアは宣言する。
「リンジー公爵家が長女、クラウディア・リンジーと申します。わたくしの名にかけて、わたくしは、わたくしとルイーゼ様を脅したあなた方を許しません」
背後にいる協力者を許さない。
フェルミナを、許しはしない。
想像以上に相手が大物だと気づいた男たちがたじろぐ。
しかし彼らに、退路はなかった。
「そして私も、この剣に誓い、私の婚約者を脅したそなたらを許しはしない」
男たちの後ろから、シルヴェスターが剣を握って現れる。
柄に王家の紋章が象られた剣には、見覚えがあった。
それが「握られている」ことに、クラウディアは驚く。
「シルヴェスター様!?」
何故、守られる側である彼が剣を握っているのか。
隠れているはずの護衛はどうしたのか。
問い質す前にシルヴェスターが男たちへと斬りかかり、クラウディアは息を飲む。
果敢にも立ち向かおうとするもの、距離を取ろうとするもの、逃げ場を探すもので、すぐに場は乱戦となる。
クラウディアたちのほうへ逃げ場を求めたものは、背中を見せた瞬間に切り伏せられた。
そこで垣間見えた赤色は血でなく、トリスタンの頭だと気づく。
(そうよね、シルヴェスター様が一人なわけ……だとしても、どういう状況よ!?)
一人、また一人と男たちは地に伏していった。
シルヴェスターの太刀筋に不安はなく、素人目にも手練れだとわかる。
流れるような動きは、彼の容姿と相まって演舞を見ている気にさせられた。
銀色が軌跡を描けば、屈強に見えた男たちに為す術はなく。
シルヴェスターと向き合うなり、昏倒していく。
クラウディアは手に汗握りながら、祈る思いで一部始終を見守った。
男たちの中で、立っているものがいなくなる。
体感では長く感じられた時間であったが、剣を腰に戻すシルヴェスターに息が切れた様子はない。
「ふむ、この程度か」
「ふむ、じゃありませんよ! シルが前に出てどうするんですか!」
その場にいた全員が思ったことをトリスタンが代弁する。
姿を見せた護衛の情けない表情に、クラウディアはシルヴェスターが無理を言ったのだと察した。
「クラウディア、無事か?」
「無事か、ではありません! いえ、無事ですけど!」
そもそもケガをする要素など最初からなかった。
袋小路になっているため、前もって安全を確認してからクラウディアは移動したし、木の裏や茂みには護衛を潜ませていた。
後からやって来たものを挟み撃ちにできるよう、ヴァージルと相談して人員を配置してあったのだ。
そうだ、と彼らの存在を思いだしてルイーゼを託す。
幸い、彼女の震えは止まっていた。
頬を染め、夢ごこちの表情でルイーゼはシルヴェスターを見ているが、クラウディアは彼を責めずにはいられない。
「何故、自ら危険なことを!? ケガでもしたらどうするのですか!」
「前もって用意した玄人ではなく、その場しのぎの荒くれものに、私が遅れを取るはずがない」
「もしもという場合がございます!」
確かにシルヴェスターは強かった。
休憩時に重ねられた硬い手の平の感触からも、鍛錬していることは窺えた。
けれどまさか、剣を握って現れるなんて。
「囚われのお姫様を助けるのは、王子の役目と決まっている」
「これは現実です!」
「……おかしい、女性はこのような状況に、現実でも憧れるのではないのか?」
クラウディアの反応が予想と違ったらしく、シルヴェスターは首を傾げる。
人によっては、一理あるかもしれない。
剣を握り、現れたシルヴェスターの姿は、見惚れそうになるほど格好良かった。
だとしても。
「わたくしは御身が傷つかないか、気が気ではありませんでした」
まだ動悸が治まらない。
ほぼ瞬殺に近い勝負だったとしても心配した。
抱いていた怒りが霧散するほどだ。
視線を落としたクラウディアに、温もりが触れる。
「すまない、私はまた間違ってしまったようだ」
優しく抱き寄せられ、やっと緊張が解ける。
シルヴェスターに謝られるのは、これで二度目だった。




