06.伯爵は賭けに出る
トーマス伯爵は、執務室で夜を明かした。
机と向き合うのを止め、椅子の背もたれに体を預ける。
ヘッドレストに頭を置くと、天井画を眺めた。
雪が解けた大地を動物たちが駆け回り、白やピンクといった花弁に彩られながら春の訪れを祝っている。
執務室と同様に、代々受け継いでいる絵だ。
黄金の縁取りが光芒を表し、未来を指し示す。
(今こそリンジー公爵を見返すときだ)
王太子の婚約者であるクラウディアに、夜会で妻がやり込められた。
おかげで婦人方に対する影響力が陰っているものの、結局のところクラウディアは、王家に吸収される。
夜会でも、周囲はクラウディアをリンジー公爵令嬢ではなく、王太子の婚約者として見ていた。妻はそこを見誤り、引き際を間違えたのだと認識している。
(生意気なのは否めないが)
クラウディアに年長者を敬う姿勢がないことは、妻と同意見だ。
とはいえトーマス伯爵の焦点は、常に同年代であるリンジー公爵にあった。
年若くして公爵家を継ぎ、家を発展させたことは誰の目にも明らかだった。
(もっと早く実権を握っていれば、奴の良いようにはさせなかった)
縦巻きにしたブロンドに触れる。
同じ髪型をしていた父親は、陰謀に倒れた。
動いていたのが王太子の婚約者候補だった令嬢と知ったときは、天を仰いだ。
(驕りがあったのだろう)
そうでなければ、小娘に後れを取るはずがない。
父親は社交界の重鎮として、長らく座していた。
数多の修羅場をくぐり抜けてきた自負があった。
(長すぎたのだ、良くも悪くも)
誰しも老いには勝てない。
どれだけ心は若く精力的でも、感覚は鈍る。動きは衰える。
だというのに、古い感度のまま当主の座に居座り続けた。
亡くなったのは残念である。
大きな柱が消えた喪失感もあった。
けれどそれは、乗り越えるべき壁だった。
(やっと、やっと力を示せるときが来た)
変革をもたらし、今一度、王家にトーマス伯爵家の存在を知らしめる。
当主が代わり、新たな風が吹いていることを。
(このままリンジー公爵家を一強にしてなるものか)
ギッと音を立てて椅子から体を起こしたところで、来客が告げられた。
身だしなみを整え、会議室へ向かう。
窓からの日差しが眩しい。
朝一番に、古くから付き合いのある家の当主を集めていた。
(さて、どんな反応があるか)
暗褐色の厚いドアの向こう側。
来客たちは、急な招集を訝しんでいるに違いない。
その次の反応は、容易に想像できた。
自分が秘密裏に入手した情報の大きさに、驚き、悲しみ、思案する。
この荒波をどうやって乗り越えるべきか。
トーマス伯爵自身が通った道でもあった。
(こうも呆気なく体調を崩されるとは)
誰にとっても予想外だった。
何せ国王の病状については、覚悟が必要とされている。
シルヴェスターも自分と同じ喪失感を味わうことになるのを考えると、奇妙さが先に立つ。それだけ国王が倒れるには、まだ早かった。
情報は秘匿されているため、表立って確認することも、慰めることも叶わない。
(だからこそ、できることもあるのだが)
使用人がゆっくりとドアを開ける。
部屋中の視線が、トーマス伯爵に集中した。




