42.悪役令嬢は平静を装う
離れて座っていれば、こんな事態に陥らなかった。
けれどシルヴェスターは、ちらりとクラウディアを見下ろしただけで、腰に回した腕を動かそうとしない。
「どうして君はコルセットをしていない?」
「普段からつけていたら、窮屈で仕方ありませんわ」
体型を気にして薄手のコルセットをつけるご令嬢もいるけれど、クラウディアには無用の長物だった。
素でそれなのかと、シルヴェスターは熱のこもった息を吐く。
「シルヴェスター様、とりあえず腕を放していただけませんこと?」
「嫌だ……」
消え入りそうな声だった。
思いがけない声音に驚きつつも、言い募る。
「お互い、落ち着かないだけではありませんか?」
「……」
ようやく訴えを認められて、そっと腕が外される。
しかし外した腕はそのままソファに置かれ、クラウディアが身を離そうとするのを阻止した。
そこまでして触れていたいのだろうか。
(そういえば癒やしを求めておいでだったわね)
からかいたいだけじゃなかったのかと考え直す。
女性の柔らかい体に癒やされる男性は多い。
胸など最たる例で、顔を埋めたり揉みたがる客がほとんどだった。
だからといってシルヴェスターに提供できるものではなく、これぐらいの距離感なら大丈夫かと妥協する。
男として切実な様子を見せられて、幾分クラウディアにも余裕ができてきた。
「今日はお忍びの視察ではなかったのですか?」
「ここへは隠れて裏口から入った上、小売店の様子を視察しているところだ」
「……商品が婦人服からケーキに様変わりしていますけれど」
しかも用意されたケーキは明らかに売り物ではない。
クラウディアがどれだけ注文したところで、お金が請求されることはないだろう。
「カフェの個室も考えたのだが、こちらのほうが意表を突けると思ってな」
「確かに驚きましたわ」
今日のために、いったいどれだけの人が動いたのか。
店側もいい迷惑だろうに。
それでも、クラウディアのためだけに準備されたとなれば、悪い気はしない。
こういう驚かし方なら大歓迎だ。
密室で体が触れ合うのは、勘弁願いたいけれど。
「元は君の案だが、気に入ってもらえたか?」
「はい、こんな風になるなんて予想だにしていませんでしたもの」
加えて、見下ろしてくるシルヴェスターの視線が甘いのも、予想外だった。
ケーキが並べられているせいか、室内に漂う空気も甘ったるく感じる。
意識してしまうと、また落ち着かなくなりそうなので、クラウディアはそれに気づかないふりをした。
「文化祭の案もそうだが、君の見識には感心する。何がきっかけで……いや、きっかけは周知の事実か」
「改心したのはお母様がきっかけですけれど、見方が変わったのは、また別ですわ」
人生をやり直しているとは言えないので、考えながら言葉を紡ぐ。
クラウディアに大きな影響を与えた人。
壁際に立つヘレンをそっと窺う。
「血筋や地位は揺らがないものと信じておりました。しかしそれは妄信に過ぎないと気づいたのです」
愚かなおこないで、簡単に崩れ去るものだと知った。
娼館で客を取り、平民も貴族も同じ人間なのだと知った。
誰もが人生に悩み、癒やしを求めていたから。
「ならば、わたくしにできることは何かと考えるようになりましたの」
限りある中、どれだけのことができるか。
効率を求めるためには何が必要か。
娼婦時代も、やり直してからも、必死で方法を探った。
「大切な人を守るため、自分を守るために。今も試行錯誤を繰り返している最中ですわ」
「辛くならないか? 人や自分のためとはいえ、頑張り続けるのは」
「ふふっ、面倒になったり、怠けたくなるときもありますわよ。でも辛いだけじゃありませんもの」
むしろ得られるもののほうが多い。
そうでもなければ、続けられないだろう。
「それにわたくしは単純ですから、侍女に褒められるだけでやる気が出ますの」
「私には、単純には思えないが?」
「シルヴェスター様と侍女に向ける顔が、同じであるわけがないでしょう?」
「ふむ、難しいな」
「単純なほうがお好みですか?」
「いや……だが、単純な反応が欲しいときもある」
「男心は複雑ですわね」
「女心よりマシだと思うが」
難解の最たる人が、何を言うか。
「そう仰るなら、シルヴェスター様ももっと感情をお見せください」
「見せているだろう?」
「わかりにくいのです。照れて耳が赤くなったりしないのですか」
「無茶を言うな。物心ついたときから、感情が表に出ないよう教育されているのだぞ」
「……言われてみれば、わかりやすかったらハニートラップを仕掛けられますものね」
「納得するところがそこなのか」
王太子殿下ともなれば、他国からそのような刺客が送られてもおかしくない。
貴族間ですら、使われる手だ。
娼婦の中には、それを専門にする人もいる。
「権力者って大変ですわね」
「公爵令嬢が何を言っている。君だって身辺には気をつけているだろう?」
「そうでしたわ」
そして絶賛、身内に爆弾を抱え込み中だ。
フェルミナのことを考えると、どうしたものかと頭が痛くなる。
これといって打って出られる手段がなかった。




