01.悪役令嬢は離島へ赴く
青空の下、船に乗ったクラウディアは潮風に髪をさらわれていた。
時折強くなる風が耳元でゴォッと鳴く。そのたびにヘレンがさしてくれている日傘がバランスを崩した。
照りつける日差しは夏そのものだ。
海に囲まれているのと、朝は比較的に涼しいおかげで、暑さには耐えられている。
「今が冬だなんて信じられませんわ」
「ああ、国を出る前は分厚い上着を着ていたのが嘘のようだ」
隣に座るシルヴェスターが答える。
キラキラと光が乱反射する水面と同様に、銀髪が煌めいていた。
クラウディアは白のワンピースの上から萌黄色のシフォンを羽織り、シルヴェスターはスカイブルーのシャツに薄手の白いジャケットという出で立ちだった。白いジャケットには萌黄色の糸で植物が刺繍されており、婚約者の服と色が合わせられている。
視線を向かい側に移すと、トリスタンが赤髪をかき上げ、額にかいた汗を手で拭っていた。
シルヴェスターの護衛兼側近として同乗している彼は、夏服のジャケットの袖を肘までまくし上げている。学園の制服でもよくしていた着方だ。
懐かしさからクラウディアは微笑むも、当人は眉尻を落としていた。
「頭がこんがらがってきました」
「本国は冬ですのに、こちらは初夏の気候ですものね」
波乱づくしの聖女祭が終わったのも束の間、クラウディアたちはハーランド王国の南東にある島国へ赴くことになった。
南へ行くにつれて気温は高くなり、目的地付近ともなると冬の装いなどしていられない。
「これでお妃教育が終わるのだから、私はこの空のように晴れやかな気分だ」
「シルはずっと楽しそうですわよね」
「バカンスのようなものだろう?」
「さすがに気を抜き過ぎではなくて?」
季節の違いに混乱するトリスタン、お妃教育の最終段階を迎えて少し緊張気味のクラウディア、といる中で、シルヴェスターだけは終始にこやかだった。
「国際会議へ向かっておりますのに」
「国際会議とは名ばかりの、顔合わせのためのパーティーだ」
参加者のメインは、近隣諸国の次世代を担う王族で、若者が中心である。
国政を握っているとは言い難く、有様はパーティーに過ぎなかったとしても、クラウディアへの課題は、王太子の婚約者として国際会議に出席することだった。
シルヴェスターの足を引っ張らないようにと、いやが上にもクラウディアの気は引き締まる。
「ディアなら、いつも通りで問題ない。一部例外はあっても、集まるのは同世代の者が中心だ」
「ええ、参加者については一通り頭に入っていますわ」
顔なじみもいる。
ただ今まで接点がなかった東洋や南洋側からの参加者もいるため、新たに学ぶことも多かった。
「東洋の方々は、太陽の神様を唯一神と仰いでおられるのですよね?」
「そうだ。文化の違いはあれど、我々と同じく教会の教えを国教としている」
きまぐれな神様は、東洋で太陽の化身となる。
海賊のチェステアの前では、海の化身だった。
きまぐれ故、単一の姿をとられないのだ。
おかげで教義が同じ国でも、文化的な差は大きい。
学んだことをクラウディアが頭の中で復習していると、トリスタンは先に立ち寄った本島を振り返る。
「ヴァイキングにも侵攻を許さなかった難攻不落の城塞都市を有する島国。教会は良いところに支部を置きましたよね」
「中継地点として理にかなった場所なだけに、付け入る隙がないのが惜しいところだ」
ハーランド王国の南東、バーリ王国の東に位置し、温暖な気候のケントロン国。
王家の名を冠しないこの国は、教会の中継地点として有名だった。大きな聖堂もあり、ここが教会の本拠地だと勘違いしている人も多い。
迫り出した地形の関係で、ケントロン国へはバーリ王国より、ハーランド王国のほうが近かった。
現在はケントロン国の本島から、難攻不落の城塞都市がある離島へ向かっている途中である。
「大型船が停められれば良かったのだが、そこが防衛の要でもあるか」
地形上、大型船で離島へは近付けなかった。
だから他国からの訪問者は、本島で船を乗り換える必要がある。
クラウディアたちを運ぶ中型船は、一本の帆柱があり、船尾に高台が設けられていた。
船内から外側の縁まで黄色く塗装され、船体には白い線がぐるっと一周走っている。
見た目は鮮やかだが、漕ぎ手が十二人いるのもあって、乗船人数は限られた。
「浜から見た景色は穏やかでしたのに、海へ出ると雰囲気がガラッと変わりますわね」
本島と離島の間にある海峡は狭く、対岸が目視できるほどだった。
観光地としても名高い本島からの眺めは、空と海のグラデーションに占められていた。
水の透明度が高いため浅瀬では海底が窺え、珊瑚や岩の傍を泳ぐカラフルな魚たちには時間を忘れて見蕩れた。
反芻するクラウディアに、船尾の高台にいる船頭が答える。
「ここいらは浅瀬からスプーンで海底をくり抜いたみたいに、急に海底が深くなってましてね。潮流が速いのも地形が影響してるんじゃないかと言われとります」
船頭の言うとおり、出港時に見た色とりどりの魚たちは姿を消している。
代わりに深く何層にも重なった海水が紺碧を宿していた。
うんうん、とトリスタンが頷く。
「この潮流の速さが防衛にも活きてるんですよね」
地形と相まって、特に離島周辺の海域は操舵が難しいことで有名だった。
城塞都市が難攻不落である所以だ。
潮流と聞いて、クラウディアは観光資源になっているものについて船頭に訊ねる。
「渦潮が見られるのですわよね?」
「はい、干潮と満潮で潮位が変わるタイミングで見られます。潮位の差が大きい早朝か深夜が現れやすいでさぁ。けんど、暗くて見るのは難しいんで、遊覧船は昼前と夕方を狙って巡回しとります」
渦潮とは、その名のとおり、海面に渦が出現する現象である。
常時あるわけではなく、この海域では条件が満たされると発生した。
「離島にも遊泳できる浜がありますけんど、もしも沖に流された場合は、とにかく浮いてください。沈んだらどうにもなりゃしませんが、うまく潮流に乗れれば浅瀬に戻ってこられますし、天気が良けりゃ船もたくさん出てますから」
本島が教会の中継地点で、観光地でもあるおかげだった。
今も視線を巡らせば、ぽつぽつと船影が確認できる。
海を見下ろすと、船上からは日差しで煌めく表層しか窺えない。
じっと眺めていると吸い込まれそうな感覚に襲われ、クラウディアは咄嗟に黄色い船の縁を掴んだ。
(海面との距離が近いからかしら)
大型船に乗っているときには、なかったことだ。
意識的に海から視線を外し、船頭を見る。
「船には浮き袋も積んどりますんで、そう心配はいりませんよ」
羊の皮でつくられた浮き袋が、丸々とした形で中央に積まれていた。
いざというときは、これを掴んで体が沈まないようにするのだ。
トリスタンが船頭に訊ねる。
「ズボンでも代用できますよね? 訓練をしました」
「まぁ、そうなのですか?」
ズボンが浮き袋の代わりになるとは知らなかった。
腕を上下に振りながら、トリスタンが説明してくれる。
「まず裾の左右同士を縛ります。次にウエスト部分を持って筒の中へ空気が入るよう、こう、頭上から振り下ろすんです」
膨らんだら、空気が抜けないようウエスト部分をしっかり掴んでおく。縛った裾を首にかけ、膨らみが胸に来るようにしておくと楽とのこと。
船頭さんは既知のようで、首を上下に何度も振っていた。
「知っていたら、わたくしもズボンにしましたのに」
そのような利点があるなら、ワンピースにしたことが悔やまれた。
朗らかに船頭が答える。
「冷静でいることに勝ることはありません。浮き袋がなくても人間の体は浮くようにできてるんでさぁ。慌てず、全身の力を抜くだけでいいんです。これはあくまで、もしもの話。今はわしらの操舵技術を信じてください」
「ふふ、そうですわね」
自信いっぱいに胸を張る船頭の姿に笑いを誘われる。
目的地である離島へ視線を向けると、船の縁に置いていた手をそっと握られた。
微かに残る、見えない海底への不安を、気取られてしまったらしい。
「私のことも忘れないでほしいな。此度の旅では、君を一人にするつもりは毛頭ないのだから」
「もちろん頼りにしていますわ」
揺れる船上で、互いの肩が触れ、指が絡む。
言葉のない誓い。
速い潮流の上で安心できるのは、何より隣にいる人の存在が大きかった。




