37.侯爵令嬢は思いを分かち合う
以前はシルヴェスターのことを思っていた。
婚約者候補でなくなった途端、心変わりした自分をどれだけ責めたことか。
そのたび、クラウディアが笑い飛ばしてくれた。
――自分が求めるものに気付いただけですわ。
以前、トリスタンとのことを相談した際に言われた言葉だ。
仮に今後、他の人を好きになっても同じだから、自分の心に正直であるべきだと教えられた。
(ディーもシルヴェスター殿下が初恋なのに、学びの多さが段違いなのよね)
とても同じ時間を過ごしているとは思えないときがある。
それだけクラウディアは真に迫っていた。
納得できるから、ルイーゼも受け入れられるのだ。
(もっと気持ちを表に出していいのかしら)
シルヴェスターの婚約者候補でなくなり、制約はなくなった。
一歩を踏み出すかどうかは、自分の勇気次第。
意を決し、口を開こうとしたところで、トリスタンが体ごとこちらを向く。
居住まいを正し、手はそれぞれ腿の上に置かれていた。
膝に彼の足が触れ、そちらへ意識が行ったとき。
「僕は、ルイーゼ嬢が好きです」
まず聞き間違いかと思った。
確認すべく顔を上げたルイーゼは、瞬時に赤面する。
髪色に負けず劣らず、頬を染めたトリスタンを見て、熱が伝播したのだ。
同じ思いを、緊張を、彼も感じているのだと知り、まるで自分が告白したような気持ちになった。
ぎゅっと目を瞑るトリスタンが勇気を振り絞っているのも、手を取るようにわかる。
「友人としてではなく、です。僕は、あなたに触れたい……そういう『好き』です」
これが都合の良い夢ではなく現実であるのを理解するのに、ルイーゼは時間を要した。
友人として立場を築いていた自負はある。
学園を卒業したあとも、顔を合わせれば、お互い笑顔になれた。
だからといって思いが同じである確証はどこにもなく。
(わたし、今、トリスタン様に告白されたの? 本当に本当?)
返事を、と口を動かすものの、声が出てきてくれない。
時間が過ぎるにつれ、目の前でトリスタンが萎れていく。
(声、わたしの声は、どこへ行ってしまったの!?)
焦りばかりが募る。
結果。
ルイーゼは、手を動かすに至った。
視線の先にあったトリスタンの右手を、両手で握る。
自分も同じ思いだと、あなたに触れたいのだと伝えるために。
途端、影が差していたトリスタンの瞳に生気が戻った。
丸く開かれた目に、輝きと艶が増す。
(熱い手……)
手の平から伝わる、大きくて硬い感触。
片手だけでも、訓練で鍛えられているのが窺える。
(体の末端がこれだけ熱いなら、中心はどれほどかしら)
時に人は、自分以上に感情を露わにしている他人を見ると、冷静さを取り戻す。
今のルイーゼがそうだった。
言葉を発せられないトリスタンを見て、余裕がないのは一緒だと状況を受けとめられた。
うるさい鼓動も、火照る体も、共有しているのだ。
愛する相手と。
ふう、とゆっくり息を吐き、まだ驚きに満ちているオレンジ色の瞳を見上げる。
「トリスタン様、わたしも、お慕いしております」
「ルイーゼ嬢……」
トリスタンの喉仏が上下する。
見つめ合う瞳が潤んでいるのもお互い様だろうか。
目が離せなかった。
最早、言葉はいらない。
一緒にいられるだけで、充足感が体に満ちていく。
どれだけ眺めていただろう。
薄く開けられたドアがノックされて、我に返る。
タイムリミットだった。トリスタンには、このあとも仕事があるのだ。
意識が現実に戻り、ルイーゼは触れていた手を慌てて放す。
「わたしったら、なんてはしたない……!」
若い男女が一室にいるだけで噂が立つというのに。
婚姻前の身分で何をしているか! と怒る父親の姿が頭に浮かんだ。
今回、トリスタンへの訪問が許されたのは、クラウディアの近況を知るためという名目があったからだ。両親でさえ、詳細を把握できていなかった。
青くなるルイーゼの指先に、トリスタンが触れる。
そのまま軽く手を持ち上げられると、甲に口付けられた。
引いた熱が、一瞬で沸点に到達する。
「我が家から、正式に婚約に関する書状を送らせていただきます」
貴族が異性に触れるとは、そういう意味だ。
だが中には、のらりくらりと婚約を成立させない令息もいる。責任を取ろうとしない者がいるから、娘を持つ親は厳しくならざるを得なかった。
(トリスタン様は、ちゃんと考えてくださっている)
真っ直ぐな人柄に惹かれ、今に至ることを再認識させられた。
とろりと翠色の瞳が溶けてしまいそうになる。
「はい、お待ちしております」
「締まらなくて面目ありません。視線誘導の仕方とか、殿下と勉強したんですけど」
「まぁ、そうですの?」
勉強した、ということは、ルイーゼの気を引くために頑張っていたと白状しているようなものだ。嬉しさから背中に羽根が生えそうだった。
またシルヴェスターと並んで座学に励んでいた姿を想像すると、自分より大きな男性がかわいく映る。
「ちゃんと場をセッティングするべきなのに……反省します」
「気になさらないでください。お気持ちを知れただけで十分ですわ。それに、とても勇気付けられました」
クラウディアのことで何より気落ちしていたのは、助けになれない自分への不甲斐なさからだった。
トリスタンに会い、対応していることが聞けて、励まされた。
目の前に愛する人がいるだけで強くなれる。
そして愛の形は違えど、クラウディアへの思いも変わらない。
(今は待つしかないのでしょう)
クラウディアを、彼女の周囲にいる人を、世の中を信じ、祈る。
きまぐれな神様のお導きは、きまぐれだ。
それでも大丈夫なように、自分たちは努力を重ねて生きている。
「わたしにできることがあれば、何でも言ってください」
「心強いお言葉をありがとうございます」
トリスタンの背中を見ると、別れの切なさがこみ上げた。
けれど、そんなことに負けてはいられない。
拳を握り、奮起する。
そんなルイーゼの元に、シルヴェスターから書状が届いたのは、翌日のことだった。




