36.侯爵令嬢は救いを求める
夕日が、王城の応接室をルイーゼごと赤く染める。
護送されたクラウディアの現状について、トリスタンなら知っているのではないかと、会う約束を取り付けた。一番早く会えるタイミングが、王城だった。
(ディーの悪評は日に日に増しているわ。魔女だなんて、言いがかりもいいところよ)
クラウディアと親交のある者は、そんなバカなと一笑に付す。
笑えないのはフェルミナが聖女となって舞い戻ったことだ。
王族派の貴族の中には、彼女に厳しく当たっていた者も多い。
学生時代、フェルミナの企みで、クラウディアごと悪漢に襲われそうになったルイーゼは、教会の判断が理解できなかった。
(改心された、ということなんでしょうけど)
少年を庇った話は聞いている。
その慈悲深い聖女像と、クラウディアを悪し様に言うフェルミナの姿が、どうしても一致しない。ルイーゼの目には依然として、あの頃のままのフェルミナに映るのだ。
教会が間違っているとは思いたくない。
しかし、ナイジェル枢機卿の部下が問題を起こした件は、記憶に新しかった。
部下を管理する役目にあったため、事件に関与していないナイジェル枢機卿にも処罰が下ったが、実際は関与していたのでは、という話もある。
そうでなければ国外追放という処分になり得ない、というのが大方の意見だ。
(とはいえ、民衆は何も知らないものね)
平民へ公表される情報は、事実の上澄みに過ぎない。
一方的に、一部だけを知らされる。
惑わされやすくて当然だった。
「お待たせして、すみませんっ」
慌てた声と共に、トリスタンが入ってくる。
弾む息が、走って来てくれたことを物語っていた。
(無理を言ったのは、わたしですのに)
シルヴェスターの側近である彼が、忙しいのは十分承知の上だ。いくらでも待つ覚悟だった。
けれど。
(ダメ……っ)
トリスタンの顔を見た瞬間、目頭が熱くなった。
久しぶりに会えた嬉しさと安心感がない交ぜになって、押し込んでいた不安を解放させる。
気丈に振る舞おうとしても、喉は詰まる一方で。
案の定、トリスタンを心配させてしまう。
着席もせず、頭を下げるばかりだ。
「だ、大丈夫ですか? すみません、不安にさせてしまって」
「いえ、トリスタン様の、せいでは……」
途切れ途切れ答えながら、手持ちのハンカチで目元を拭う。
「逆です。ほっとして、張り詰めていたものが、緩んでしまいましたの」
陰口という寒風によって、知らずルイーゼの心も凍っていた。
トリスタンという日だまりに触れ、緊張が解けた結果が涙となって溢れてしまったのだ。
(……わたし、やっぱりトリスタン様のことが好き)
オレンジ色の瞳を見るだけで、存在を感じるだけで、癒やされる自分がいた。
その分、心配をかけてしまったことを反省する。
気合いで笑顔をつくると、甲斐あって、トリスタンの肩から力が抜けた。
「どうぞ座ってください」
「では、し、失礼します!」
身振りが悪かったのか。
緊張した面持ちで、トリスタンは前にあるソファーではなく隣に座る。
スペースはあったものの、ルイーゼが意図していなかったのもあって、限界まで端に寄って座る姿は窮屈そうだ。
予想外の接近にルイーゼも体が強張る。
(ど、どこを見たらいいのかしら)
視線を下げたら下げたで、拳一つ分ほどの足の近さが気になった。
ルイーゼが少し膝を動かせば、トリスタンの腿に当たってしまいそうだ。
(膝同士に距離があるのは、トリスタン様の足が長いからね)
身長差の裏返しともいえる。
普段より近くにいるせいか、体格の差が如実に伝わっていた。
トリスタンは膝を閉じ、肩を縮めて体を小さくしているが、それでも鍛えられた体の存在感は大きい。
自分の心音の大きさに戸惑う。
「あ、あの、クラウディア嬢のことで、おいでになったんですよね?」
どぎまぎと視線を錯綜させていたルイーゼだが、トリスタンの問いかけで背筋が伸びた。
本来の目的を思いだし、顔をトリスタンへ向ける。
「はい、ディーの、クラウディア様の現状を知りたくて、やってまいりました。リンジー公爵家に手紙を出したのですが、明確な回答を得られず……お恥ずかしながら、トリスタン様を頼らせていただいた次第です」
侯爵令嬢の立場で入手できる情報は限られている。
普段はお茶会で出た話や周囲の動きから推測するものの、相手がリンジー公爵家ともなると、その足がかりすら得られなかった。
(シルヴェスター殿下なら、必ずディーのお力になってくれるはず)
最近の陰口は、クラウディアを見捨て、聖女と距離を縮めているというのが主流だ。
二人を直に見たことのない者の戯れ言だと、ルイーゼは考えている。
まだ婚約者候補のときですら、シルヴェスターはクラウディアの危機に、剣を手に颯爽と駆け付けた。予め決められたことだったとしても、悪漢を倒した事実は変わらない。
「わたしはシルヴェスター殿下を信じております」
正面からオレンジ色の瞳を見つめる。
真摯なルイーゼに対し、トリスタンは眉根を落とした。
「現在クラウディア嬢に関することは機密事項です。何が彼女の足を引っ張るかわかりませんから」
でも、とトリスタンは声を張る。
「シルヴェスター殿下も、自分も、信徒として胸を張れる行動をしています。ルイーゼ嬢の期待は裏切りません。……ご期待に応えられず、申し訳ない限りです」
深く頭を下げるルイーゼは慌てた。
風圧で広がったトリスタンの前髪が、ドレスをかすめていく。
「頭をお上げください。無理を言っている自覚はあります」
リンジー公爵家も、迂闊に情報を出さないようにしているぐらいだ。
明確な答えを得られるとは、ルイーゼも期待していなかった。
(それでも、こうして足を運んだのは)
謝るべきなのは自分のほうだと、トリスタンへ告げる。
「ごめんなさい。トリスタン様とお会いして、不安を和らげたかったんです」
忙しいとわかっているのに止められなかった。
「クラウディア様の現状を知りたいのは本当です。困っているなら助けたい。でも、それだけではありませんわ。わたし……自分勝手な理由で、連絡を入れましたの」
振り返ってみると迷惑でしかなかったことに気付き、今度はルイーゼが頭を下げる。
自分の弱さを補うために、トリスタンを利用したのだ。
(呆れられているでしょうね)
ぐっと拳を握る。
落胆されていると思うと、心にくるものがあった。
だとしても、嘘はつきたくなかったのだ。
トリスタンの誠意に、自分も誠意を返したかった。
手の平に爪が食い込もうとしたとき、あわあわした声が耳をつんざく。
「顔を上げてくださいっ、ルイーゼ様のほうこそ何も悪くありません!」
想定外の声量に、思わず肩が弾む。
恐る恐る顔を上げると、トリスタンは忙しなく両手を動かしていた。動きが速すぎて、意味は読み取れない。
「僕は頼ってもらえて嬉しかったです! ルイーゼ様の力になりたいと、ずっと思っていましたから。成果は、あれですけど」
所在なさげに頬を掻くトリスタンを見て、先ほどまで心に重くのしかかっていたものが霧散する。
彼の言葉や仕草一つで羽根のように軽く浮く心に、ルイーゼは改めて驚いた。




