50.第七章、完
どれだけ、この日を待ちわびたことか。
大聖堂へ着き、馬車で待機する間、今までのことを反芻する。
教皇様に名前を呼ばれ、白銀の帯をかけていただいた名誉は忘れられない。
枢機卿は誰でもなれる地位ではなく、聖女となればもっとだ。
たとえ王様や王妃でも、権力だけで聖女にはなれない。
民衆に認められてこそだった。
とんとん拍子で話が進み、得られた地位を思うと、声を出して笑ってしまいそうだ。
こんなにもシナリオ通りにことが進むのかと。
機会を与えてくれた、きまぐれな神様には感謝してもしきれない。
(こんな簡単なことだったなんて)
島でのことが頭を過る。
修道院で活発に交流をするようになり、隠れて渡された手紙があった。
――鞭打ちされる少年を救えば、ここから出してやれる。
いつ、どこで、とまでは書かれていなかった、差出人不明の手紙。
町へ出て、その光景を目の当たりにするまでは信じていなかったし、少年を庇ったのも半信半疑からくる自棄だった。
結局のところ、ただ善行をすればいいだけだったのである。
少し体を張るだけで、人々が自分を持てはやしてくれた。
修道院から出られるかまではわからなかったけれど、手応えは十分にあった。
さも特別だと称賛されたときは、背筋が快感でゾクゾクした。
人に認められる甘美さは、何物にも代えがたい。
しかも彼らは気付いていなかった。
あの場で最初に行動を起こしたのは、赤毛のシスターだったことに。
讃えるなら彼女も含めるべきだが、あの場で認められたのは彼女の行動に倣った自分だけだった。
(痛い思いをしたのはわたしだから、当然といえば当然だけど)
これに味をしめ、その後も彼女を行動の指針とした。
炊き出しは心底嫌だったけれど、笑顔を忘れなかった。
おかげで島民だけでなく、修道院の中でも一目置かれるようになった。
船便を待つ中、自分に触発されて祈るシスターたちを見たときの愉悦は忘れられない。
(あはは、単純なんだから)
それでも問題児かと首を傾げたくなったほどだ。
フェルミナが在籍していた離島の修道院は、主に犯罪者を収容していた。
情状酌量の余地がある者、改心する見込みがある者だけが集められていた。
炊き出しが好きな赤毛のシスターもそうだし、他のシスターも問題を起こした貴族令嬢などだった。
ただ指導にあたる先輩シスターたちは違った。彼女たちは被害者だった。
被害者の目線で、加害者たちの更正を図っていたのである。
フェルミナに対しては、監視役も務めていた。
暮らしていく中で何となく察するものがあった。確信を持ったのは、ノリス司祭の誘いを断ったときである。
おかげで監視を欺き、島を脱出するのに一苦労があった。
赤毛のシスターに助けてもらいながら先輩シスターの目を盗み、司祭の協力を得たことで抜けだせたのだ。
そう、あの手紙の送り主はノリス司祭だった。少年もパン屋の主人も仕込みで、皆、物の見事に騙されたのだ。
それはいいとして。
(監視まで付けるなんて、恨みすぎじゃない?)
仕掛けたのは自分のほうだけれど。
普通なら、修道院送りにして終わりではないか。
しかもわざと酷いところを選んだような修道院だった。
ハンドクリームを塗れるようになっても、まだ指先は硬い。爪に関してはヤスリで整えて、見られるようになったけれど。
(あぁ、でも綺麗な手より、荒れているほうが同情してもらえるかな)
聖女となった今では、人々は勝手に夢を見てくれた。
理想を語るだけで、希望だ、光だと、賛辞を受ける。
楽勝過ぎて、これでいいのかとたまに不安になるくらいだ。
(しかも後生にまで名前が残るんだから)
仮にハーランド王国がなくなっても、教会が歴史を紡ぐ。
王族でも手が届かないものがあることを、あの離島で学んだ。
どれだけの権力と財を有していても、飢える子どもを救えないと。
あのとき、あの瞬間、少年を助けたのは紛れもなく自分だった。
シルヴェスターじゃない、クラウディアじゃない。
島の人々が聖女と称えたのも、自分。
今やシルヴェスターですら、自分には手を出せないのが痛快だった。
(ふふ、あのとき、わたしを選ばなかったことを後悔すればいいわ)
とはいえ、昔の自分はやけに遠回りをしたものだ。
対立することなんてなかった。ただ善行だけをしていれば良かった。
そうすれば離島に追いやられることもなかったのに。
(でも島での行動が今に繋がったのよね)
一人称まで矯正されたのには辟易したが、おかげで聖女として恥ずかしくない姿を見せられたから結果的には良かった。
(もう誰も、わたしを傷付けられない)
かしずく教会の騎士たちに、目を輝かせておもねってくれる修道者たち。
権威を得た事実に、頬が緩む。
もっと楽しいのは、これからクラウディアを断罪できることだ。
補佐役に任命された、黒髪に青い瞳を持つ令嬢の姿が頭に浮かぶ。
今頃、さぞ準備に勤しんでいることだろう。
奈落へ突き落とされるとも知らずに。
◆◆◆◆◆◆
馬車に同乗していたノリス司祭が動く。
「さぁ聖女様、魔女に鉄槌を下すときです」
エスコートされ、降りた先に、懐かしい顔があった。
髪から肌まで、目に付くところ全てに艶があり、この世の富を一身に受けた令嬢の姿が。
(生まれに恵まれただけの人)
本妻の子として生まれるだけで、クラウディアは自分が得られなかったものを全て得ていた。
(結局、お父様も言いくるめられたみたいだし)
自分への愛を貫いてくれなかった両親には心底がっかりしている。
(でも、まぁ、今からおこなう断罪が周知されれば、また考えは変わるでしょ)
正直に言えば、このあとの補佐役の任命式で大々的にやりたかった。
けれど横やりが入る可能性が高く、教会関係者だけがいる場での執行が決まった。
恭しくカーテシーを受けると、小気味良い。
あのクラウディアに、かしずかれているのだ。
(ああ、もっと楽しんでいたいのに)
時間は有限だった。
ゆっくりとベールを外す。
顔を見せることで、断罪から言い逃れできないことを知っていた。
「ごきげんよう、お姉様」
驚き、色を失っているクラウディアへ微笑みかける。
愉悦は最高潮に達していた。
ぐっと腹に力を入れ、平静を保つ。
すぐに終わらせては勿体ない。このときを待ち望んでいたのだ。
司祭からも逃げる気を失わせるために、最初は安心させたほうがいいと言われていた。
機会を逸しないよう、慎重に言葉を交わす。
そして手を握り、辿り着いた真実を突き付けた。
「魔女であらせられたのですね」
「え……?」
「バレていないとお思いですか? 教会が集められる情報の多さを見くびらないでください」
報告を持って来たのはノリス司祭だった。
聖女の異母姉が魔女だと知り、鬼気迫っていた。
けれど彼には確信があった。聖女になったわたしなら、乗り越えられると。
曰く、ハーランド王国が首都を移す前の、現サンセット侯爵家の土地でおこなわれていた黒魔術と関係があったとのことだった。
言われてみれば、クラウディアには不自然な点があった。
起点は、実母の死をキッカケに性格が変わったことだ。
(いざ会ってみれば、お父様から聞いていた話と違って、わたしも混乱したわ)
そのときには既に、黒魔術が使われていた。
(だから王家主催のお茶会でも、学園でも都合の良いように動けたのよ)
まるで先回りされているかのように、フェルミナの行動は裏目に出た。
一番腑に落ちたのは、学園祭を提案したときのことだ。
(わたしが先に考えていたのに!)
黒魔術を使い、クラウディアは案を盗んだのだ。
そのあとも、隠した楽器を発見された。
当時のことを思いだせば思いだすほど、確信は深まっていった。
未だにクラウディアは白を切るつもりのようだが、黒魔術の被害者である自分のことは騙せない。
お得意の口車で場を説得しようとしても無駄だ。
「黒魔術によって不当な力を得たことはわかっています。どうか、ご自分の罪から目を逸らさないでください」
視線で教会の騎士たちを動かす。
この場にいる全員が、聖女である自分の言いなりだった。
騎士に拘束されると、いよいよもってクラウディアは取り乱した。
いい気味である。
「わたくしは何もやっていないわ!」
「わたしが過去にそう言ったとき、お姉様は聞いてくださいました?」
無情に騎士へ引き渡されたことは鮮明に覚えている。
立場が逆転してさぞ悔しいことだろう。
もう逃げられない。
今ここで、魔女は聖女によって裁かれるのだ。
「悪しき魔女、クラウディア・リンジーに裁きを与えます。教会を裏切り、恐ろしき黒魔術に傾倒した罪を、我が身で償いなさい!」
一つ一つ例を挙げていったとき、見るからにクラウディアの青い瞳が揺れていた。
図星だ。
やはり魔女だったのかと、別で用意していた簡素な馬車へ引っ立てる。
教会が直訴し、ハーランド王国が素直にクラウディアを引き渡してくれればいいが、そうはならないだろう。
ことは国の威信に関わる。
肉欲に目が眩んだシルヴェスターが庇わないとも限らない。
裁くためにも、クラウディアを国外へ連れ出すのが急務だった。
「肉親を裁くことほど切ないことはないというのに、よくぞ遂行されました」
「聖女として、それ以前に修道者として、当然のことをしたまでです」
あとはノリス司祭に任せ、自分は栄えある舞台へ向かう。
大聖堂の入り口。
大衆が自分の登場を、今か今かと待ち望んでいた。
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。




