02.悪役令嬢は娼館へ行き着く
クラウディアを不運が襲ったのは、修道院へ馬車で送られているときだった。
野盗が現れたのだ。
狙いは彼女に定められ、そのまま貴族も利用する娼館へと売り飛ばされた。
不幸中の幸いは、先輩娼婦たちに可愛がられたことだろうか。
手つかずで売られたこともあり、元公爵令嬢であるクラウディアの「はじめて」は、過去最高額で買われた。
それでも屈辱と喪失感が消えることはなく、涙を流すクラウディアを慰めてくれたのが、先輩娼婦たちだったのだ。
公爵家にいた頃は誰にも優しくされず、泣くときはいつも一人だった。
最初こそ商売女に何がわかるのかと拒絶していたものの、先輩娼婦たちの懐の深さを知れば、心を開くまでに時間はかからなかった。
中でも元伯爵令嬢だった経験を生かして男心を巧みに操るヘレンに、クラウディアはよく懐いた。
「バカな子。まんまとハメられて、娼館送りにされるなんて」
「ヘレンは、わたくしの話を信じてくださるの?」
「だってディーは体が大きいだけの、小さな子どもだもの。相手の裏をかく行動なんてできないでしょ」
単純な性格を言い当てられて、カッと頬が熱くなる。
けれど事実だったので、反射的に口を開いたものの言い返せない。
そんなクラウディアの頭を、ヘレンは優しく撫でる。
「妹だっけ? ディーが罪を重ねるよう、彼女の手の平で上手く転がされたのね。物語でいうところの悪役令嬢に仕立て上げられたのよ」
妹を陥れるためにクラウディアが取った手段は、ことごとく悪手だった。
ヘレンはそれが妹の企みだったという。
思い返せば、いつも計画を立てるときは誰かと一緒だった。
断罪の決定打となった暴漢にフェルミナを襲わせる案も、取り巻きだった女生徒から持ちかけられたはず。
しかし罪に問われたのは、クラウディアだけで――。
「か弱い女を演じるのは、わたしたちも使う手よ。ディーも周囲も、まんまと騙されたってわけ。中々の悪女ね」
「悪女……」
「しかもディーに替わって、殿下の婚約者におさまるなんてね」
クラウディアが身を置く娼館は、貴族が利用するだけあって情報の宝庫だった。
最近では妹だったフェルミナが王太子妃になるのも秒読みだと、もっぱらの噂だ。
もしかして自分が娼館に行き着いたのも、フェルミナの手がかかっていたのではと考えた矢先だったのもあり、深い溜息が出る。
「あの性悪が、王太子妃になるだなんて信じられないわ」
「案外そういう子のほうが向いてるもんよ」
むしろ簡単に騙されるような子を妃にはできないでしょ、とヘレンは笑い飛ばす。
確かに自分は無知で愚かだった。
学園生活を思いだすたび、クラウディアは過去の自分を殴りたくなった。
このあと、先輩娼婦たちの手ほどきを受けたクラウディアは、飛ぶ鳥を落とす勢いで高級娼婦の仲間入りを果たし、娼館のナンバーワンにまで上り詰める。
けれど就寝前には、決まって自分を嘲笑する妹の凶悪な顔が浮かんだ。
今では隣国の上級貴族にまで、身請けを申し出られるというのに。
娼婦として最高級の生活をするようになっても、心の奥は鬱屈したままだった。
それをヘレンに指摘される。
「今日は降臨祭だっていうのに、辛気くさい顔ね」
「病人に言われたくないわ」
仕事柄、病と縁は切り離せない。
すっかり痩せ細ったヘレンの姿に、胸が痛むのを憎まれ口で隠す。
薄暗い部屋がより切なさを加速させた。
「お見舞いに来ておきながら、それが先輩であるお姉様に対する態度?」
ベッドから顔を覗き込んでくるヘレンに、クラウディアは苦笑を返すしかなかった。
己の心情とは裏腹に、街は朝から大賑わいだ。
唯一ある窓から通りを見下ろせば、出店やカラフルな垂れ幕が目に入り、楽団による演奏が聞こえてくる。
ヘレンも同様に視線を向け、口を開いた。
「信仰に関係なく、お祭りは平民にとって数少ない娯楽の一つよ。このために生きてる人だっているんだから」
「わたくしは楽しめそうにないわ」
祭りは国民の息抜きの場であり、為政者にとってはガス抜きの手段でもある。
娼館にきてからというもの、クラウディアはたくさんのことを学んだ。
男心をくすぐる手管はもちろんのこと、今では政治の話でも客と盛り上がれる。
降臨祭は、きまぐれな神の降臨によってもたらされる繁栄を願う祭りだ。
神はきまぐれであるがゆえに、いかなるときも信心しろというのがこの国の教えで、降臨祭では国民が一丸となって神に祈りを捧げる。
「ディーが楽しめないのは、王太子夫妻が第一子をお披露目するからでしょう?」
「わかってるなら訊かないで」
フェルミナは王太子妃になり、昨年第一子となる男児を産んだ。
今年の降臨祭では、お披露目のためのパレードがおこなわれるという。
(どこまでわたくしを惨めにすれば気が済むのかしら)
彼女との関係は、もう過去のものだと頭ではわかっている。
どれだけ娼館でもてはやされても、自分は商売女に過ぎず、かつての家族も今や遠い世界の住人だと。
「仕方ないわね。きまぐれな神様に、わたしがディーのことを祈ってあげるわ」
「どう祈るっていうの」
「ディーが笑顔になれるようによ」
ぱちりとウィンクするヘレンは、頬がこけていても女性としての美しさを失っていなかった。
改めて見れば、窓から降り注ぐ日差しがヘレンを温かく包み、まるで降臨祭に合わせて彼女を祝福しているようだ。
思わず見惚れてしまい、クラウディアはこの人には敵わないと笑う。
「あなたがいれば、祈るまでもないわ」
「っ……すっかり人を喜ばせるのが得意になっちゃって」
「売上げ一位をなめないでくださる?」
きまぐれな神様がいるなら、クラウディアこそ祈りたい。
(どうか、この素敵な先輩を連れていかないで)
代わりにわたくしが楽しませますから、彼女に穏やかな余生をお与えください――と。
国が祝賀に沸いた三日後、ヘレンはクラウディアが見守る中、静かに息を引き取った。




