37.悪役令嬢は村を出る
「ディーさん、大丈夫!?」
「ええ、動きそうにもないし行きましょう」
自分が残った見張りを引きつけている間に、キールは馬を無事に奪取できたようだ。
最初から見張りのことは殴って昏倒させる予定だったが、先に騎乗していたキールが馬を操り同じタイミングで蹴り倒した。
見張りの体を茂みに隠し、クラウディアももう一頭に跨がる。
「この靴下、想像以上の威力ね」
「使えるでしょ? 身を守る武器がないときには重宝するよ」
見張りを殴るのに使った靴下を握り直す。
中に石を詰め込んだだけのものだが、振りかぶると女性でも威力を出せた。
「アイラは上手くやってくれたわね」
「うん、だいぶ遠くまで見張りを連れて行ってくれたよ」
「髪の色でわからないものなのね」
「薄暗いのもあって、特徴的なアイテムだけで判断しちゃったんだよ」
まだ視界はあるけれど、想像以上に色の判別ができなくなっているようだ。
おかげで先入観が功を奏した。
「キールの伊達眼鏡が役に立ったわ」
「ぼくもこんな形で使うことになるとは思わなかったけどね」
着ていた服にベレー帽、丸眼鏡も全てアイラに預けたキールは、部屋のクローゼットに用意されていた服を身に着けていた。
どこからどう見ても村の子どもにしか見えない。
馬を走らせ、完全に日が落ちる前に村を脱出する。
計画通りにことは進んでいた。
礼拝堂で起きた爆発のおかげで、村人たちはまだ厩舎の異変に気付いていない。
ボヤのあと、爆発まで起こせるかは賭けだった。
クラウディアも一緒に準備したが、案はキールのものだ。
(粉塵爆発なんて、よく知っていたわね)
可燃性の粉塵が舞うところに火種があると引火して爆発が起こる現象だ。
一般家庭でも、小麦粉などを落として粉が舞っている近くに火があると危ないとされる。
それをそのまま利用した。
朝食のあと、アイラたちに頼んで、パン用の小麦粉とロープなど必要なものを揃えてもらった。
礼拝堂で小麦粉の袋をロープでつり上げ、そのロープをドアの取っ手に引っかけて、誰かがドアを開けると小麦粉が落ちる仕組みを作った。
ランタンからロウソクを取り出し、床に並べるのも忘れない。
現象を再現できるか確証はなかったものの、礼拝堂での騒ぎを大きくできるに越したことはないのでやれるだけのことはした。
単純に中を燃やさなかったのは、延焼するのにどれだけ時間を要するかわからなかったからだ。
この、まだ辛うじて視界が保てている間に脱出することから逆算して、タイミング良く騒ぎを起こさなければならなかった。
だからまずボヤで人を引きつけた。
アイラたちには煽動役と、予定時刻より前に人が礼拝堂に入らないよう見張りをお願いした。
クラウディアもキールも厩舎にいたので、誰が礼拝堂のドアを開けたかはわかっていない。
それでも遠目に中で火が大きくなっているのが見えた。
(今のところ順調ね)
村の出入り口には、まだかがり火が焚かれていなかった。
人手が足りていないことに安心する。
(日が落ちるまでに距離を稼がないと)
村人の足となる馬は奪ったので、すぐに追い付かれることはない。
距離を稼いだあとは、徒歩ぐらいのスピードでも困らないだろう。
幌馬車の車輪の跡を頼りに、道を進む。
とにかく道に迷わないことが肝心だった。
「ああ、ぼくはなんて運が悪いんだ!」
お決まりの台詞が聞こえてきて、馬を近付ける。
キールの馬はみるみる失速していた。
そして遂には膝を折る。
「やっぱりダメだったみたい」
二頭のうち、一頭は早馬として今朝まで使われていた。
夕方まで休んだとはいえ、酷使され続けて限界に達したらしい。
「ここまでありがとう」
馬を労い、キールはクラウディアの馬に移る。
馬が疲れているのはわかっていたので、どこかで動けなくなるのは予想していた。
だから運が悪い、とは言い切れないけれど、今やキールの決まり文句が、自分を鼓舞するためのものだとクラウディアは知っている。
キールのほうが馬に慣れているので前に乗ってもらい、手綱を預けた。
(だいぶ前が見づらくなってきたわね)
幌馬車の跡を辿っていたので、林道にしては開けているとはいえ、暗くなれば道から外れてもわからない。
とっとっ、と馬が足踏みする。
「村人も明かりなしでは追い付けないでしょ」
「そうね、休めそうな場所があったらいいのだけれど」
村人の脅威が薄れたとはいえ、問題はある。
ランタンと自分たちの軽食は用意できたものの、馬の飼料がない。
夜を無事に過ごせたら、水の確保が最優先だ。
村の内側は調査が進んだが、外についてはアイラたちにもわからなかった。
そろそろ馬の歩みも止めるべきかと考えた瞬間、思いのほか近くで火が付く。
焚き火だ。
人がいる。
警戒したときには、相手もこちらの存在に気付いた。
キールが手綱を操作する。
「走って!」
だが馬の反応が鈍い。
速度を落としたので、馬も休む体勢に入っていたのだろう。
もう一頭ほどではないにしろ、疲れもあった。
ただでさえ初速は遅いものだ。
まごついている間に人が近付いてくる。
早く、早く。
焦りで動悸が激しくなる。
キールの後ろで、クラウディアは拳を作ることしかできない。
あっ、と思ったときには腕を取られていた。
「ディーさん!?」
キールの叫びを聞きながら、引きずり下ろされる。
「ちっ、言われたこともまともにできないのか、あの連中は」
どうしてこんなところにいるのか。
近付いてきた人間――男は、村の関係者だった。
クラウディアの腕を握ったまま、男が馬の腹を蹴る。
驚いた馬がいななき、上半身を振り上げた。
「うわぁっ!?」
「キール!」
視界の外へキールが投げ出される。
咄嗟に靴下を振りかぶるも、引きずり下ろされた衝撃で体に痛みが走り手元が狂った。
男に当てられはしたものの、大したダメージにはならない。
クラウディアに抵抗され、男は怒りに震える。
「こうなったら、この場で犯してやる……!」
飛んでいったキールがどうなったのかわからない。
最早抗う術はなく、腕を盾にするしかなかった。
暴力に耐えるべく本能的に体が縮こまる。
クラウディアは固く目を瞑った。




