05.男爵家当主は若獅子の牙を見る
「これは……っ」
首を絞められたような掠れた声が、会議室のあちらこちらで発せられる。
男爵は背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
書類には、自分の名と、バーリ王国の王弟と会った――提案を呑んだ――日付と場所が明記されていた。
加えてバーリ王国内の税率まで。
(全て筒抜けではないか!)
契約相手しか知らないはずの内容が記されていることに胃が縮む。
きっと潜り込ませているスパイからの情報だろう。
だからといってここにいる全員分を把握することは可能なのか。
ここではじめて、男爵は底知れないものを感じた。
シルヴェスターは穏やかな表情を崩さない。
「各々が持つ書類に明記された日を起点に変わったことがある。それは大きなうねりとなって、我が国に大きな損害をもたらした」
「な、何をおっしゃっているのですか」
学園の卒業に合わせておこなわれるはずだった結婚式が延期になったことを言っているなら、大袈裟にもほどがある。
「わからぬか? 私の予定通りだったならば、婚約者の発表も早々におこなわれていた」
だが、できなかった。
「さすれば他国の令嬢が、婚約者候補にと名乗り出ることもなかったろうに」
パルテ王国のニアミリア・ベンディン。
ベンディン家の当主が令嬢を送り込んできたのは記憶に新しい。
「お待ちください、むしろそのおかげでパルテ王国民の感情は収まったのではありませんか」
そうだ、もし既に婚約者が決まっていたら、感情を収める手立てはなかった。
「収まった? あれが一時しのぎでしかなかったことは周知の事実。それとも貴殿らも、かの使節団と同じように、逆賊となったサスリール辺境伯と同じように、ニアミリア嬢を王太子妃に据えたかったと申すのか?」
「そのようなことは決してありません!」
国家反逆罪に問われたサスリール辺境伯は、一族郎党処刑された。
自分たちはただ、結婚までの猶予を求めているにすぎない。
逆賊と一緒にされては困る。
困るのだが――書類を持つ手が震えた。
他国の、それも王族の便宜を図ったことは、既に押さえられているのだ。
(落ち着け。これしきのことで粛正されるわけがない)
少し私欲に走っただけの貴族を処罰していたらキリがない。
そんなことをしていたら、この国から貴族はいなくなってしまう。
「だが貴殿らはベンディン家に付け入る隙を与えた。よもやパルテ王国でおこなわれている断罪を知らないわけではあるまい?」
パルテ王国民のハーランド王国へ対する反感は、ベンディン家の工作によるものだった。
国民を煽り、戦争も辞さないとカードを切ることで、令嬢を婚約者の席に座らせようとしたのだ。
このことが明るみになり、ニアミリア嬢は婚約者候補から外された。
パルテ王国民の怒りも、今では全てベンディン家へ向いているという。
「パルテ王国の件で、我が国がどれだけの損害を被ったか、おおよそでも計算する力は貴殿らにもあろう?」
手元にある書類ほどの精度は求めぬ、とシルヴェスターは微笑む。
口が渇いていた。
喉がヒリつくのを不快に感じるが、用意されている水に手は伸びない。
(見誤った? 違う、あの時点で、ベンディン家の動きなど予想できない!)
誰もわからなかった。だからバーリ王国の王弟と手を握った。
知らなかった、予見できなかったと矜持をなげうって自分の能力の低さを認めて謙れば、パルテ王国の件で咎められることはない。
それは結果論であり、関わった事実も証拠もないからだ。
だが既に一度、自分は裏切っている。
信頼のない相手にシルヴェスターはどう動くか。
おそるおそる見上げた黄金の瞳は、仄暗い光を灯し――。
「パルテ王国の件は関係ないと貴殿らは申すだろう。しかし本当にそうなのか私にはわからぬ。ならば書面にある通り他国と繋がった事実がある以上、貴殿らの証言を信じるためにも調査する必要があろうな」
獲物をゆるりと眺めた。
「ち、調査とは、何の……」
「ふむ、他の貴族たちはどのようなものを求めるかな?」
利益が大きいほど、他者からは妬まれる。
バーリ王国の王弟とのことが国家反逆罪に問われなかったとしても、自分を蹴落とそうとしている者にとっては格好の餌だ。
議会で断罪され、金の流れを調査されることにでもなれば。
(ここに税をまともに納めている者が一人でもいるだろうか)
がめつさが祟って集められているのだ。
計上していない隠し金の一つや二つはある。
その上、調査が近年のものだけで済む保証はどこにもない。
シルヴェスターの質問を理解した者は、軒並み顔から血の気を引かせた。
「どうした、答えられる者はおらぬか」
甘さなど、どこにもない。
開口一番に発せられた言葉は、こちらの油断を招くためのものでしかなった。
効果は、重くのしかかる空気が証明している。
誰も声を発さないのを見て、ふむ、とシルヴェスターは頷く。
「これでは何を求められるかわからぬな。議会に上げるのは保留とするか」
「え……?」
何を言っているのか、すぐには理解できなかった。
急に矛を収められ、戸惑いが勝る。
「ところで婚約式にかかる費用は知っていよう? 貴殿らからも苦言が届いていたな」
話の展開が読めない。
けれど続く言葉が、調査を回避するための条件だと勘が囁く。
「中には気を回して先立って祝い金を贈ってくれた家もあるくらいだ。サヴィル侯爵家とロジャー伯爵家には懐の広さを見せ付けられた」
祝い金のことよりも、挙がった二つの名前にどよめきが起きる。
どちらも婚約者候補として知られていた名家だ。
自分たちと同じく苦言を呈していた家でもある。
令嬢たちの仲が良いと言っても、いくらでも取り繕えるものだ。政治の世界に劣らず、女たちの世界もドロドロしていることは自明の理。
選ばれなかった候補者は足を引っ張りさえすれど、前向きに祝うことなどあろうか。
しばらく信じられない気持ちに支配されてしまうが、話のメインはそこではない。
「貴殿らも、さぞ婚約式に花を添えてくれよう」
「もちろんですとも!」
否はなかった。
それでこれ以上、痛い腹を探られずに済むのなら。
問題は金額だ。
少なくては角が立つ。
皆が一斉に脳内で計算をはじめる最中、男爵の視線がシルヴェスターの上で止まった。
ぞくり、と悪寒が走る。
いつの間に日が落ちていたのか、窓の外は真っ暗だった。
室内には照明が灯され、黄金の瞳も色褪せることなく窺える。
そこには変わらない、穏やかな表情があった。
何も恐れることはないはずなのに手が震え、渡された書類の存在を思いださせる。
(……調査なんて必要なのか?)
既にこれだけの情報を掴んでいて、自分たちの懐具合を知らないなんてことがあるのか。
ふいに、会議室内で流れが変わったときの発言が脳裏に蘇る。
「書類に明記された日を起点に」とシルヴェスターは言っていなかったか。
石を呑み込んでいるような気分だった。
(バレている。とっくに調査など終わっているに違いない)
それでもことを公にしない条件が祝い金なのだ。求められている金額は。
バーリ王国の王弟から得られた利益、全て。
(これでなかったことにしようと言われている)
ふざけるな、横暴だ、様々な罵倒が頭を駆け巡る。
けれど背に腹はかえられない。
日の光の下、全てがつまびらかにされたときの損失を考えれば、男爵は折れるしかなかった。




