21.悪役令嬢は混乱する
前置きのない口付けに、クラウディアは目を瞬かせるしかなかった。
「……シルヴェスター様、やり過ぎです」
唇を離して口を開くものの、頭が回らない。
心臓の鼓動が、耳の奥で大きく響いていた。
しかも驚き過ぎたせいか、すんっと表情が消える。
「流石にその反応は、男として矜持が傷付くぞ」
内心荒れ狂ってるとは言えず、無理矢理考えをひねり出す。
クラウディアは婚約者「候補」でしかない。
手を出すのはルール違反だ。
(だから、えっと、ここは……)
黄金の瞳に見つめられて落ち着かない。
けれど娼婦としての経験が、クラウディアに余裕のある笑みを作らせた。
「すみません、このような手法は好まないもので」
言外に趣向を凝らせろとダメ出しする。
駆け引きを楽しみたいのなら、わたくしのことも楽しませてください、と。
ともすれば偉そうに見える態度だが、シルヴェスターが気分を害した様子はない。
「これは失礼した。私も飽きられないよう精進せねばな」
クラウディアを解放したシルヴェスターは、エスコートを再開する。
乗り場に着くと、やはりというべきか既にフェルミナの姿はなかった。
「先に帰ってしまったようですね」
「どうする? 庭園に戻るか?」
「そうですね。フェルミナを放置したくないので、どなたかの馬車を借ります」
馴染みのご令嬢に頼れば、快く貸してくれるだろう。
踵を返し、誰なら後腐れなく済むか考える。
借りを作るにしても、憂いが残らない相手がいい。
しかしシルヴェスターが、クラウディアの進路を遮る。
「私のことを忘れていないか? 王家の馬車ならすぐに用意できるぞ」
(忘れるも何も、一番借りを作りたくない相手よ!)
「王家の馬車で帰ったら、家の者が驚きます」
「クラウディアは私の婚約者候補だ。何も問題はないはずだが?」
明らかにシルヴェスターは、貸しを作る気である。
相手の思惑がわかっていて、それに乗りたくはない。
けれど回避する方法も思いつかなかった。
「……ではお願いします」
素直に頭を下げるクラウディアに、シルヴェスターはおや、と片眉を上げる。
「もっと抵抗するかと思ったのだが」
「ご厚意はありがたくお受けします。ただ借りはなしです」
「それはないだろう」
筋が通らない、と言いたそうだ。
シルヴェスターからの圧が増すが、クラウディアも負けずに微笑む。
「代わりに楽しませてあげますわ」
「何?」
「シルヴェスター様は気になりませんか? フェルミナさんの行動が」
「ふむ……クラウディアが突き飛ばしていないなら、彼女は君を陥れようとしているのだな?」
「その通りです。だからわたくしはフェルミナさんに対抗します。女同士の戦いの幕開けですわね」
シルヴェスターの対岸で、火事を起こす。
自分に火の粉が降りかからない騒動は、娯楽になるでしょう? と。
「リンジー公爵家が揺らぐのは、望ましくないのだがな」
「わたくしだってお兄様に迷惑はかけたくありません。そしてそれはフェルミナさんも同じです」
あくまでフェルミナはクラウディアを排除したいだけで、公爵家を壊したいわけではない。
領地へ引っ込むのを避けたように、自分の不利になることはフェルミナも望まないはずだ。
「どちらにしろ、対立は避けられません。だったら特等席で楽しまれるのはいかがですか?」
クラウディアには、きまぐれな神様との約束がある。
観客が一人増えたところで、大差なかった。
「なるほど、それが馬車の対価か」
そう言って頷いたシルヴェスターは、提案をのんだように思えた。
しかし次の瞬間、クラウディアは黄金の瞳に正面から見下ろされる。
「だが、足りない。観客になりたいのなら、演劇を観ればいいだけだ」
「参加されることをお望みですか?」
「女同士の争いに首を突っ込みたいとは思わないな」
「なら……」
改めて厄介な相手だと思う。
シルヴェスターは会話の主導権を中々握らせてくれない。
「私を愛する努力をしろ。もちろん演技ではなくな」
「愛する努力、ですか?」
「そうだ。私は席に座っているだけの観客になるつもりはない。そして君たちに介入する気もない。だから君のほうから私に近付いて来い」
(舞台から、客席の前へ躍り出ろっていうこと?)
「難しいことではないだろう? 政略結婚では、どんな夫婦であれ一度は互いに歩み寄ろうとするはずだ」
シルヴェスターの真意は何だと、クラウディアは青い瞳で見つめ返す。
これも駆け引きの一部なら――。
「互いに、と言いましたよね?」
「何だ、気付いてないのか? 私はとっくにクラウディアに焦がれているぞ?」
「はい……?」
予想だにしていなかった返答に、間抜けな声が出る。
裏返った、貴族の令嬢らしくない声音に、シルヴェスターは笑った。
人形のようないつもの笑みではなく、年相応の無邪気さで。
「ふっ、少しはやり返せたようだな。馬車を手配するから、待っていろ」
呆然とするクラウディアを置いて、シルヴェスターは人を呼ぶ。
瞬く間に、王家の紋章が入った馬車が用意された。
「健闘を祈る」
「あ、はい、ありがとうございます」
見送られ、馬車が動き出したところで、ようやくクラウディアは正気を取り戻した。
「……わたくし、からかわれたのかしら?」
けれど、シルヴェスターの真意はわからずじまいだった。




