17.悪役令嬢は顛末に首を傾げる
夕食時、クラウディアはダンスホールでの一件を、リリスから謝罪された。
「ごめんなさい、フェルにも言い聞かせたんだけど……」
部屋に引きこもってしまったフェルミナに、リリスは眉尻を下げる。
事情をリリスとヴァージルから聞いた父親も悩ましげだ。
「しばらくフェルミナは休ませよう」
「ねぇ、やっぱりわたしたちがお屋敷に来るのは、早過ぎたんじゃないかしら」
「だがフェルミナも屋敷の暮らしに憧れていただろう?」
屋敷とは言っているが、公爵家の造りは宮殿に近い。
広大な敷地を有する庭園もさることながら、生活拠点である洋館の部屋数も優に百を超える。だから気分転換にクラウディアも散歩ができた。
フェルミナに限らず、世のご令嬢たちにとって公爵家での生活は憧れの対象だ。
公爵家当主の血を引くフェルミナが、人一倍強い思い入れを抱いても不思議ではない。
(理想と現実の差が激しかったのかもしれないわね)
確かに室内の装飾や家具、食卓に並ぶ料理は豪華だ。
しかし成人前のクラウディアたちには学ぶべきことが多々あり、それらをのんびりと楽しんでいる暇はなかった。
公爵家であるがゆえに、周囲から求められるものも多い。
礼儀作法やダンスはもちろんこと、貴族としての一般知識に加え、教養を高めようとすれば時間はいくらあっても足りなかった。
娼館で学んだ知識や経験があるクラウディアだからこそ、他人に気を配れるゆとりを持てたぐらいだ。
とりあえず現時点で、フェルミナの行動はクラウディアの不利になっていない。
行動を警戒しつつも、判断は父親とリリスに任せることにした。
部屋に戻ったあとは、ヘレンと一緒に体を鍛える。
鍛えるといっても美しい体型を作るのが目的なので、室内で簡単にできるものだ。
娼婦時代は先輩娼婦たちと何が効率的かを話し合い、切磋琢磨していた。
「これで胸が垂れなくなるなんて凄いですね」
「完全に防げるわけじゃないけど、維持できる歳月は延びるわ」
肘を上げ、胸の前で合掌すると手の平を押し合う。
胸の土台を鍛えることで、乳房が垂れるのを防ぐ方法だ。
他にもお尻のラインを上げ魅力的な形にする方法など、実践によってクラウディアは生み出していた。
「どれも改良の余地はあるでしょうけどね」
「思いつくだけでも凄いです。最近何をやってるのか、よく訊かれるんですよ」
ゆくゆくは他の侍女たちにも教えていいかもしれないけれど、タダで教えるのはあまり気乗りがしない。
改良を加えているとはいえ、元々は先輩娼婦たちから教わったもので、彼女たちは仕事のために体を磨いているのである。
今は娼婦でもないクラウディアが勝手に広めるのは気が引けた。
時には人に見せられない姿になりながら、二人は体を動かし、キープする。
雑談しながらなので、飽きることはない。
一日分のノルマを終えたら、お茶休憩だ。
寝る前なので、リラックス効果のあるハーブ茶をヘレンが淹れる。
このときばかりはヘレンも椅子に座り、クラウディアとお茶を共にした。
「あとは化粧品も自分に合うものを揃えたいわね」
「エバンズ商会ですか? 調べてはもらっているんですが、大々的には売り出していないようで、入手は難しそうです」
化粧品には肌に合う、合わないがどうしても生じる。
その点も抜かりないクラウディアだが、娼婦時代に愛用していたものは、まだ売り出されていなかった。
他にも美容には何が良いかヘレンと話し合い、ほっと一息ついたところで、ドアがノックされる。
「クラウディア様、少しよろしいですかな」
控えめなノックで窺ってきたのは、老齢の執事だった。
慌てて立ち上がろうとするヘレンをクラウディアが制す。使用済みのカップが二つある時点で、一緒にお茶を飲んでいたのは明白だ。
そのまま執事に入室を促す。
「このような時間に失礼致します」
執事はヘレンに視線を向けたが、何も言わなかった。
他の者の目がないところでの、個人的な付き合いは構わないと判断されたらしい。
そもそもクラウディアとヘレンが懇意であるのは周知の事実だ。
次いで執事からは人払いを視線で求められるものの、ヘレンなら問題ないと告げる。
「フェルミナ様のことで、お耳に入れておきたいことがあります」
それは部屋に引きこもるフェルミナを、父親が訪ねたときのことだった。
リリスに庇ってもらえなかったフェルミナは、なんとクラウディアがリリスを脅して味方につけたと父親に告げ口したらしい。
目を瞠るクラウディアの前で、ヘレンの顔が恐ろしいことになる。
話す執事も、沈痛な面持ちだった。
「旦那様から私にそのような気配はあるか尋ねられ、否定致しました」
「お父様はフェルミナの言葉を信じたの?」
「いいえ、念のための確認でした。そのあと奥様にも尋ねられ、激怒されていらっしゃいました」
「お父様が?」
「奥様が、です。質問する時点で、クラウディア様だけでなく奥様のことも信用していないに等しいと、旦那様を責めておいででした」
父親としては確認に過ぎなかったが、リリスにしてみれば疑われているととったのだろう。
執事に訊くだけで止めておけば良かったのに。
「旦那様からクラウディア様にお話はないと存じますが、ご報告しておこうと思った次第です」
「ありがとう、助かるわ」
(これは完全にクロかしら?)
退室する執事を見送り、ヘレンに新しいお茶を淹れてもらう。
「あの娘は妄想癖というより、虚言癖があるのではないでしょうか」
「そうね……どうしてもわたくしを悪者にしたいようだわ」
やはりフェルミナは前と変わっていないのか。
父親はどう出るだろうとクラウディアが観察していると、事態は呆気なく終息することになる。
この告げ口で、最もショックを受けたのはリリスだった。
脅されたら人を裏切る人間だと、他でもない愛娘に思われていると知り、リリスはフェルミナを連れて屋敷を出る決意をした。
せめて領地で静養させて欲しいとリリスが父親に訴えた途端、フェルミナがコロッと態度を変え、クラウディアに謝ったことでこの話は流れることになる。
それからはフェルミナがクラウディアを悪く言うこともなくなり、公爵家には平穏が訪れた。
しかしクラウディアには、これが嵐の前の静けさに思えてならなかった。




