32.枢機卿はもの思う
日が暮れた空では、月が存在感を増していた。
人里離れた森の一画にぽつんと存在するコテージ。
基は木こり小屋だったのを、ドラグーンが買い取り改築していた。
リビングの内装には贅が尽くされ、豪華な調度品が並ぶ。
夏の間は使われない暖炉の傍には一人掛け用のソファーがあった。
赤褐色の革張りのソファーに足を組んで座っているのはナイジェルだ。
顔にいつもの優しい笑みはない。
無表情で口だけ動かす姿は、血の通わない人形のようだった。
シルヴェスターも彫像と評されることがあるが、ナイジェルからは生きている人間の血潮が一切感じられない。
「首尾はどうかね」
「万事順調に進んでいます」
床に片膝をつき、ベゼルが応対する。
「本日の仕込みで、現地の犯罪ギルドは壊滅させられるかと」
「ふむ、存外に呆気ないものよ」
現地の犯罪ギルドへ嘘の情報を流し、シルヴェスターを襲わせたのはナイジェルの手引きだった。
最近、幅を利かせているよそ者の犯罪ギルドのトップだとうそぶいたのだ。
実際はベゼルたちがそうだった。
下々の、それも最下層の人間が、シルヴェスターの姿を知るはずがない。
お忍びでの訪問を、都合良く使わせてもらったのである。
ハーランド王国の王太子が自国で襲われたとなれば、スラフィムも静観していられない。
想定通り、現地の犯罪ギルドは壊滅される運びとなった。
本来ならこれが怖くて、犯罪ギルドといえども貴族には手を出さないのだが。
他にもドラグーンの構成員に物盗りをおこなわせたが、こちらはオマケのようなものだった。
(一度目の暗殺には失敗したが、スラフィムもそう何度も運を味方にさせられぬか)
アラカネル王家の存在は前々から邪魔だった。
(統括する者がいなければ、連合王国も烏合の衆に成り下がるだろうに)
島々で独自の戦力を持っていても、一つに絞ればたかが知れている。
ハーランド王国を含め周辺国が力を持ちはじめたとき、このままでは飲み込まれて終わりだとアラカネル王家が舵を取らなければ、今頃はどこかの領地になっていただろう。
(バイキングの時代から変わらず忌々しい)
昔は昔で、沿岸の修道院がよく襲われた。
かつて修道院を飾っていた装飾品が、未だ蛮族どもの手にあると思うと腸が煮えくりかえる。
ただ思考と表情は連動せず、ずっとナイジェルは無表情のままだった。
「これを連合王国壊滅への足がかりとせよ」
「は!」
慇懃に応じ、ベゼルは辞する。
早くこの場から去りたい彼の思いは透けていた。
恐れられている自覚のあるナイジェルは動じない。
しばらく待てば、ケイラが寄越されるだろう。
身の程を弁えてはいるが、準備には人一倍時間がかかる女だった。
琥珀色の液体が注がれたグラスを煽る。
(完璧な淑女も可愛らしいものだったな)
もし子どもを持っていれば、あのぐらいの年頃だろうか。
公爵令嬢という地位にありながら、話していて嫌みなところが全くなかった。
枢機卿という立場であれど、貴族たちは高圧的な態度を隠さないものだ。
教会への寄付を何かと勘違いしているのだろう。
教会にとって貴族はお客様ではなく、生徒に過ぎないというのに。
その点をクラウディアは理解しているようだった。
極端に謙るわけでもないため、こちらも変に気遣わないで済むのも印象が良かった。
(この分だと奴隷の輸送も滞りないだろう)
ナイジェルの言う人材の輸送とは、正にそれだった。
異教徒など生きていたところで何の役にも立たない。
奴隷として酷使すれば、輸送も片道で済む。
人身売買は国際法で禁止されているが、収益の乏しい領主はいつだって安い労働力を求めていた。
職業訓練という名目で受け入れれば、生活を最低限――死なないギリギリを――保証するだけで、都合の良い働き手が手に入る。
現地の犯罪ギルドを壊滅させ、商館へ相談を持ちかけたのも全てこのためだった。
ハーランド王国の王都で、何故ドラグーンが存続していられるのか。
彼ら自身が情勢を見極めているのもあるが、一番は必要悪として認められているからだ。
他の犯罪ギルドと違い、ドラグーンは地元発祥の昔気質である。
得た利益を貧民層へ還元し、違法薬物も取り扱わない。
新興勢力が現れれば、彼らが叩く。
国として犯罪率を一定に保つのに、彼らは都合が良かった。
違法薬物の流入があれば共同戦線を張るくらいだ。
彼らがいなければ、どんな犯罪ギルドが入り込んでくるかわからない。
混乱は、治安の悪化を意味する。
国と犯罪ギルドの関係は、他国でも差がない。
だからこそナイジェルは、アラカネル連合王国の犯罪ギルドを一部とはいえ壊滅させたかった。
自分の息がかかったドラグーンを、空いた席に座らせられるからだ。
港町というのもちょうど良い。
輸送に船は欠かせない。
奴隷に限らず、物資の密輸も今後は捗るだろう。
(他の者たちも、もっと利用すれば良いものを)
案外、どこの地域でも犯罪ギルドと修道者は繋がっている。
その繋がり方に違いがあるだけだった。
修道者は宣教の一貫で、貧民街の者たちを保護する。
食事を分け与え、技術を伝授し、孤児がいれば修道者になるよう育てた。
貧民街と関わっていれば、必然的に犯罪ギルドの人間とも関係を築くことになる。
多くの修道者たちは、彼らも教徒であると認め共生を保った。
ある程度の信頼関係を築いているため、貴族と並んで修道者も犯罪ギルドに襲われない。
ナイジェルが他の修道者と違うのは、共生ではなく支配を選んだことだ。
修道院で受け入れていた貧民街の住民を人質にした。
国の支援が行き届かない彼らには修道院の助けが必要不可欠であるため、それを逆手に取ったのだ。
ドラグーンも利益を還元しているとはいえ、自分たちの手で面倒を見るわけじゃない。
現場で生活を支えているのは修道者だ。
その気になれば、いかようにもできた。
今更修道者を信用するなといったところで住民は聞き入れない。
共に生活し、困ったときに現地で助けてくれるのは修道者だからだ。
修道者の中には医療に精通する者もいる。
無料診療をおこなえば、誰もが有り難がった。
人材の豊富さは教会が大陸一だとナイジェルは自負している。
(シルヴェスター殿下といい、クラウディア嬢もタイミングが良い)
きまぐれな神のお導きか。
利用できるなら商館はどこでも良かったが、運営が安定しているに越したことはない。
加えてクラウディアは、未来の王太子妃と目されている。
奴隷など密輸の片棒を担いでいたとなれば、後々脅す材料にもなるだろう。
驚くほど順調にことが進んでいた。
(あと目障りなのはスラフィム殿下だけか)
王城に戻らず港町のホテルに滞在しているのは、こちらを誘う意図か。
ここまできてスラフィムの首まで狙うのは欲張り過ぎている自覚はあった。
(だが失敗したところで痛手にはなるまい)
ドラグーンの構成員が死ぬだけである。
仕事の失敗は彼らの落ち度にしかならない。
今後の見通しが立ったところで、ナイジェルの耳に間延びした女性の声が届いた。




