50.悪役令嬢は決断する
痙攣を起こして倒れるレステーアの姿が、クラウディアの中で娼婦時代の同僚と重なった。
「ダメよ……ダメ!」
指先が冷たくなるのを感じながらも、懸命に足を動かす。
護衛騎士から戸惑いが伝わってくるが、再び遮られることはない。
すぐレステーアへ取り付く。
この間に、どれだけ時間が経っただろうか。
クラウディアには、ほんの一瞬も長く感じられた。
レステーアの痙攣はまだ手足だけだが、毒が回れば全身に及ぶのは時間の問題だった。
(四の五の言ってられないわ!)
意識をなくしたレステーアの顔に、先ほどまでの面影はない。
血の気を失い、弛緩した姿が不安を煽るが、頭を振って弱気な心を打ち消す。
しかし用意していた解毒剤を持つ手が震えるのを止められない。
(しっかりしなさい! レステーア様が助かるかは、これにかかっているのよ!)
不甲斐ない自分を叱咤する。
解毒剤の材料は、学園でラウルに訊いたものだ。
娼婦時代に教わっているので知っていたが、前置きもなく用意すれば不審がられるに決まっている。
クラウディアは、レステーアが毒で自害する可能性をラウルに示唆し、答えを得た。
それぐらいしか娼館でレステーアが話題に上がらなかった理由が、思いつかなかった。
併せて、一娼婦に過ぎないクラウディアに、何故ラウルは解毒方法を教えたのか。
最初はクラウディアの身を案じてのことだと考えていた。
同僚の娼婦が手に入れられたくらいだ、クラウディアや周囲の人間が口にしてしまう可能性は否定できない。
けれど次第に確信は薄れていった。
きっと心配もあったとは思う。
なおかつレステーアが毒で亡くなっていて、その死を悼む気持ちがラウルにあったらどうだろうか。
助けられた命を、ラウルは助けられなかったとしたら。
その後悔があったことに、クラウディアは賭けた。
今回もラウルの心情的に助けたい気持ちが勝ると踏んだのだ。
(もうっ、これではダメね)
何とかレステーアに解毒剤を飲ませようとするが上手くいかない。
埒が明かなくなって、傍にあった水差しを強引に掴んだ。
傍でシルヴェスターが何か叫んでいるが、焦りが勝って耳に入ってこない。
クラウディアは解毒剤と水を口に含むと、横たわるレステーアの顔を両手で固定した。
(お願いだから飲んで……!)
口付け、舌を使って薬をレステーアの喉へ流し込む。
ごくっと反射的に彼女の喉が動くのを感じ、顔を離すと、続けて体勢を変えた。
「生きなさい!」
レステーアの胸を両手で押し、動きが弱まっている心臓に圧をかける。
一連の行動は、医師から学んだものだった。
娼婦時代、病床に伏したヘレンを思い、いざというときの処置を習っていたのだ。
(正解なんてわからないけれど)
「生きなさい! 生きて、あなたは罪を償うの!」
死なせはしない。
普段はしない動きに、すぐに体が疲れを訴える。
伸ばした肘が曲がりそうになるのを堪えながら、必死に祈った。
「生きて! わたくしの目の前で、死なせないわよ!」
汗が顎を滴り、黒髪が頬に張り付く。
振り乱した髪に視界を遮られ不快さが増すものの、クラウディアは止まらない。
(お願い。嫌なの。もう誰かが死ぬところは見たくないのっ)
娼館は死に近い場所だった。
嫌というほど、人間は簡単に死ぬのだと実感させられた。
――あなたにとって、この世界が地獄でも。
疲れで思考が混濁してくる。
レステーアは罪人だ。
だったら地獄で生きることこそが、彼女への罰だろう。
娼館で生きた、クラウディアのように。
娼婦時代の同僚が脳裏にちらつく。
暖かい遊戯室で命を絶った彼女。
死を求める彼女に罪があったとは思えない。
けれど。
(仮にまたあなたが死のうとするなら、わたくしは止めるわ)
どれだけ罵られても。
きっと自分は、助けに入る。
この衝動は止められない。
(あなたが世界を地獄だと呪うなら、わたくしが変えてみせるから)
もう自分は娼婦ではなく、公爵令嬢なのだ。
持てる力を使い、環境を変える。世界を変える。
最初は場当たり的なことしかできないかもしれない。
それでも、誰もが生きられる世界にしたい。
(お願い、わたくしにチャンスをちょうだい)
自分勝手な願いだ。
エゴだとわかっている。
楽な道のりじゃない。後ろ指をさされることだってあるかもしれない。
否定的な考えが次々と浮かぶけれど、同時にクラウディアの胸には決意の火が灯った。
小さな火が大きくなり、炎へと姿を変える。
(決めたわ)
だから。
レステーア、あなたは。
(生きて、わたくしの独善に付き合いなさい!)
クラウディアの青い瞳が、海を見せる。
濃い青が荒々しく波立ち、あらゆるものを飲み込んでいく。
海中に届く光が水の透明度を教え、道筋を示す。
時にはエメラルドグリーンにも色を変える海は、その表情の多さで可能性を語った。
ごふっと咳き込み、レステーアが呼吸を取り戻す。
血色の戻った顔を見て、クラウディアは脱力した。
後ろに倒れそうになる背中を、シルヴェスターが支える。
「あとは医師に任せよう」
耳元で発せられる落ち着いた声音に癒やされた。
視線を上げれば、医師の姿が映る。
シルヴェスターが叫んでいたのは、医師を呼ぶためだったのかと合点がいった。
程なくして背中越しに愛しい人の心音を感じ、安らぎを覚えたクラウディアは目を閉じた。
◆◆◆◆◆◆
レステーアは急遽体調を崩したということにして、王城にある診療所へと運ばれた。
ラウルについては、あえて触れられていない。
今回の筋書きは、レステーアからクラウディアが案内を受けていたときに、シルヴェスターが訪問し、お茶会とは別に三人で話す機会が設けられた、というものになった。
全ての罪をレステーアが被っていたのもあり、バーリ王国側の令息令嬢も沈黙を守っている。
「ディアに驚かされたのは、あれで何度目だろうな」
「またそのお話ですか?」
レステーアが起きられるようになった知らせ聞いて、クラウディアは王城を訪ねていた。
豪華な応接室へ通され、シルヴェスターと落ち合う。
これからお見舞い、という名の判決を、二人でレステーアにおこなう予定だった。
クラウディアの迅速な処置のおかげで、レステーアは無事に一命を取り留めた。
しかしシルヴェスターには、ずっと引っかかっていることがあるようで。
隣に座る黄金の瞳を見上げる。
「君が、その魅惑的な唇を他人に向けるなんて、未だに信じられない」
「人命救助のためですわ。それにレステーア様は女性です」
人命救助に女性も男性もないが、こうでも言わないとシルヴェスターは追及を強めてくる。
「他の者にやらせればよかったではないか」
「説明している時間がありませんでした。一刻も争う事態だったのは、シルも納得しているでしょう?」
未練がましくシルヴェスターの白い指がクラウディアの口元に触れる。
多少無茶をした自覚はあるので、クラウディアは好きにさせた。
「何せあのときは必死だったのです。他を考えている余裕はありませんでした」
「わかっているつもりなのだがな。時折、あのときの光景が頭を過ると、レステーア嬢を殺したくなる」
「シル?」
「……今のは不謹慎だったか。君が助けた命だものな」
だが私の心情もわかって欲しい、とシルヴェスターはクラウディアへ頭をすり寄せた。
甘えられると、険しくなった目元が行き場をなくす。
仕方ありませんわね、と言動を許さざるを得なかった。
しかしシルヴェスターの唇が耳朶をなぞると、再度声音が低くなる。
「シル?」
「ダメか?」
「ダメに決まっています」
不穏な動きを見せる婚約者の手を抓り、当初の目的を果たすべく、クラウディアは立ち上がった。




