近衛師団の任務(前編)
カノン視点です。
本編終了後から約一年後のお話となります。
「――人攫い、ですか?」
「そうだ。最近、王都内で人攫いが複数件、発生している」
俺の問いかけに、近衛師団団長のルクソードさんが重々しく答える。
俺は今、ルクソードさんの執務部屋に来ていた。俺と一緒に師匠とミレーユ、それにイグルスさんが話を聞いている。
近衛師団に入団してから数ヶ月。今日は任務があると呼ばれて来たのだが、そこで聞いたのは王都内で誘拐事件が発生しているというものだった。
「それを私達が調査するということですか?」
師匠がルクソードさんに尋ねる。その言葉にルクソードさんが頷いた。
「うん、そうだね。臣民が攫われることを陛下は良しとしていない。私達が解決するようにと仰せつかったよ」
そこで、言葉を切り。ルクソードさんは俺に向き直った。
「そこで、カノン君。君に重要な役を頼みたいと思っている」
「私に……ですか?」
「うん。今回の人攫いなんだが、狙われているのは十歳前後の子供なんだよ」
「はぁ……」
ルクソードさんがにこりと微笑む。
嫌な予感がした。
「カノン君。悪いけど、誘拐されてくれないか?」
「……はい?」
続くルクソードさんの言葉に、俺は間の抜けた声を出した。
☆
商業区の雑踏の中を進む。
大通りの道沿いに並ぶ店を眺めながら、俺は当ても無く歩いていた。
ルクソードさんが俺に頼んできたのは、誘拐事件調査のため、囮になることであった。
狙われているのは十歳前後の子供ということなので、今の俺の見た目だと、ちょうど誘拐の対象となりうるとのことだ。
そのため、普段は着ないワンピースを来て。いかにも町娘を装い。俺は王都内を練り歩いていた。
どこで誘拐が起きているのかは分かっていない。なので、調査対象は王都全域となる。貴族街は衛兵が巡回しているため、後回しにして。商業区と住民街を中心に、とりあえず目を付けられやすそうな大通りを適当に歩き、その後人気の少ない所を回る、という形でぶらつく。
今は商業区を歩いていた。
人気の少ない所を探して、大通りを逸れて裏通りに入る。
居を構える店は少ないが、露店がぽつぽつとある。人はまばらだが、ゼロではない。流石に、人の目があるところでは、誘拐には合わないだろう。犯人を誘い出そうと思ったら、もっと人がいないところを歩かないといけない。
裏通りに広げられた露店を眺めながら、人のいない路地を探していると、ふと音楽が聞こえてきた。
――笛の音?
音が気になり、聞こえてくる方へと足を伸ばす。
やがて露店に混じって、横笛を吹く男が目に入った。
敷物の上に座り、外套を羽織ったその男は、柔和な顔立ちをしていた。
元の俺と同じ年齢くらいだろうか。青年と呼べるその男は、一心に笛を吹いていた。
男の紡ぐ音楽が不思議と心に響き、俺は男の前で足を止めた。
スカートが捲れないように気をつけながらしゃがみ、耳を傾ける。
その音は、物語を奏でているように感じた。始めは明るいテンポで曲が進み。やがて、困難な状況に陥ったかのように転調する。
なんとか困難を乗り越えた先に待っているのは、哀愁の念――。
「――僕の音楽は良かったかい?」
かけられた声に我に返る。その声は目の前の青年が発したものだった。
いつの間にか、演奏は終わっていたようだ。
「はい、思わず聞き入っちゃいました」
俺が素直な感想を告げると、青年は嬉しそうにはにかんだ。
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
「もっと人の多いところで演奏しないんですか? 広場の方とか」
大通りの先に広がる広場では、青年と同じように音楽を演奏する人や、曲芸をする人など、様々な大道芸が行われている。
こんな裏通りなんかとは、はっきり言って聞き手の人数が全然違う。
どうせ演奏するなら、聞いてくれる人が多い広場の方が良いはずだ。
気になり、そのことを尋ねると、青年は曖昧に笑った。
「人混みは苦手でね。……それに、沢山の人に聞いてもらえる程、僕の音楽は良いものじゃないから」
「えっ、でも凄く良かったですよ!」
青年の言葉に驚く。少なくとも俺は青年の奏でる音に引き込まれていた。
他にも惹かれる人はいると思う。
そう思い薦めたのだが、青年は首を横に振った。
何故かは分からなかったが、無理して薦めても仕方がない。
俺はその後少し会話をしてから、誘拐事件の調査に戻るため、お金を置いて立った。
「子供からお金は貰えないよ」
「私が出したいと思って出してるので、もらってくれると嬉しいです」
青年は迷ったものの、ありがとうと言って受け取ってくれた。
その後、人気のないところを渡り歩いたが、その日は成果がなかった。
それから、囮として王都内を歩く行為は一日おきに繰り返した。
そのたび、裏通りの露店を覗く。青年は常にそこで演奏をしている訳ではないらしく、見かける日と見かけない日があった。
見かけた場合は演奏を聴き、感想を述べる。そうすると、簡単な世間話もするようになる。
青年の名前はマシュというらしい。妹と二人暮らしで、演奏をしていない時は不定期の仕事をしているそうだ。
その仕事だけでは、生活が苦しいため、演奏を行って足しにしていると言っていた。
それなら尚更広場でやった方が良いのではないかと問うと、決まってマシュは笑って誤魔化した。
そうこうしているうちに、調査が始まってから二週間が経ったが、誘拐事件に対する進展は何もなかった。
囮調査に無理があるのではないかと思っても、他に手掛かりが無いため、続けるしかない。
俺は、いつものように裏通りへと足を運び露店を覗いた。
今日は演奏している日のようだ。俺はマシュの前でしゃがむと、演奏に耳を傾けた。
違和感は数秒後にやってきた。
何だろう、いつもの演奏と違うような。
何か迷いがあるような、集中できていないような。
気になっていると、やがて演奏が終わり、マシュは横笛を口から離した。
「やあ、こんにちは。今日も来てくれたんだね……」
「こんにちは。何かあったんですか?」
暗い顔をしているマシュが気になり、尋ねる。
「いや……何でもないよ」
躊躇いがちな回答。
何でもないとは言われたが、何かを言いたげな表情をしていたので、待っていると。迷った素振りを見せながら、マシュが口を開いた。
「実は……君に聞いてほしい曲があるんだけど」
「私にですか? 聞きたいです」
聞かせたい曲か。何だろう。
聞きたいと言った後も、なお迷った素振りを見せていたマシュだったが、暫くすると決心したのか、横笛を口元に持っていき、演奏を始めた。
柔らかな調べと共に始まった曲を聴く。
不意に視界が揺れた。
同時に、猛烈な眠気が襲ってきて、目を開けていられなくなる。
「これ……は……」
眠気に必死に抗い、周りを見る。皆、一様に崩れ落ちている。
前を向く。マシュはとても悲しい目で俺を見ながら、笛を吹き続け――。
俺の意識はそこで途絶えた。




