それぞれの明日 ~ナターシャの悩み~
王都の住民街に建てられた教会。その一室にナターシャはいた。
ソファに座り、テーブルを挟んで、同じくソファに座った司祭と対面している。
「修道女ナターシャよ、長期に渡る任務、ご苦労でした」
司祭が話す。その言葉に、ナターシャは沈んだ顔で答えた。
「勇者様を支えることが出来ず申し訳ありません」
「構いません。神に選ばれし者が、まさか人に仇なす魔族に堕ちるとは……誰も思いませんよ」
「それでも……何かできたかもしれません」
司祭の言葉に、ナターシャはなおも後悔の念を滲ませる。
そんなナターシャに、司祭は優しく微笑んだ。
「今回のことは、しっかりと勇者を支える体制を作れなかった私達にも責任があります。貴方がそこまで気に病む必要はありません」
「ですが……」
「とはいえ、いきなり気持ちを切り替えることもできないでしょう。当分は勇者の資質を持ったものが現れることも無いですし、今は神に祈りを捧げなさい」
神に祈りを捧げるということは、修道士としての日々の務めであり、義務である。
ただ務めを全うしろ、ということは要するに、気持ちの整理が着くまで休め。という意味と同義であった。
司祭なりの優しさなのだろう。それを感じとったナターシャは司祭へと礼を言った。
「他に何かありますか?」
「……いえ、特にはありません」
「そうですか。それではこれで……あぁ、そうそう。貴方が教会を離れ、勇者を支えていたことを私は評価しています。本部への異動を推薦するつもりなので、貴方もそういう心積もりでいて下さい」
「それは……ありがとうございます」
話の終わり際に、司祭が思い出したように、ナターシャの今後について伝えた。それは、本部への異動を薦めてくれるというものだった。
王都に存在する教会は支部である。本部は遠く離れた、聖地に存在する。本部と支部では在籍する教徒の待遇は異なる。本部に所属できるのは教徒の中でも選ばれた者だけであり、他支部の者からは羨望の眼差しで見られる程、特別な存在であった。
そこに、推薦してもらえるという。それは修道女たるナターシャにとって、またとない言葉であった。
誰もが羨む申し出に、しかしナターシャは躊躇いながら礼を言った。
その後、退室を許されたナターシャは部屋を出た。
歩きながら、元居たパーティのことを思い出していた。
ナターシャは元々冒険者ではない。約二百年前に、王国を救った勇者と同じ固有スキルを持って生まれたルノアール。彼を補佐し、今代の勇者との関係を強く結ぶ。それが司祭より与えられた役割であり、勇者のパーティへ派遣された理由であった。
そして、その役割は勇者の魔族化という形で失敗に終わってしまった。ナターシャはそのことに責任を感じていた。
自分がもう少し、しっかり支えれていれば魔族に堕ちることも無かったのでは無いか。その思いがナターシャを悩ませていた。それなのに、自分は本部への異動を推薦してもらっても本当に良いのだろうか。
しかし、それを司祭に訴えるのも気が引けた。司祭が自分の行動を認めてくれて推薦すると言っているのだ。それを否定してしまっても良いのだろうか。
悩みながら歩いていると、突然ナターシャは何者かに、背後から抱きしめられた。
一瞬、驚くものの。教会の中でこのような行為に及ぶ者をナターシャは一人だけ知っている。
その予想は、続いて聞こえてきた声によって確信へと変わる。
「なっちゃん、久しぶり! 元気……じゃなさそうだね。何かあったの?」
「……先輩、急に抱きつくのは止めてください」
腕をほどいて、振り返ると。そこにはナターシャの先輩である修道女エレノアがいた。
なおも尋ねてくるエレノアに、先程の司祭との話を聞かせる。
「本部なんて凄いじゃん! なっちゃん、おめでとう!」
「ありがとうございます……」
「ん? どったの?」
歯切れ悪く答えるナターシャの態度が気になり、なおも尋ねてくるエレノアに、今の心境を伝える。
それを聞いて、エレノアは笑った
「相変わらず真面目だなぁ。そこまで深く考えなくても良いのに」
「でも、先輩――」
「『隣人に慈悲を』。大切な教義ではあるけど、自分を犠牲にするための言葉ではないよ」
エレノアが諭すように、ナターシャへと言葉を紡ぐ。
「なっちゃんはもうちょっと、自分の生きたいように生きた方が良いよ」
「……私の生きたいように、ですか?」
「そうだよ。だってなっちゃんの人生なんだから」
「私の……人生」
自分の生きたいように生きる。エレノアの言葉にナターシャは考えた。
自分のやりたいことは何なのだろうか。
「なっちゃんはどうしたいの?」
「私……私は、やはり勇者様を救えなかったのに、良い待遇を受けるのは間違っていると思います」
「良い待遇を受けても素直に受け入れられないってこと?」
「……そうなります」
「でも、本部への転属自体はしたい?」
「その気持ちがあるのは、嘘ではありません。それに司祭様が推薦してくれると……」
「司祭様のことは一旦おいとこうよ。今はなっちゃんの気持ちが大事だからさ」
エレノアはあくまで、ナターシャ自身の気持ちが大事だと言う。
「ん~、でも難しいね。……それじゃあさ、司祭様にお願いして、保留させて貰お? たぶん、なっちゃんの悩みはすぐに解決できるものじゃ無いと思うの。だからさ、まずは時間をおいて、それで気持ちの整理が着いたらその時にどうするか決めようよ」
「それは……。保留なんて、図々しすぎるのでは……」
「言うだけ言ってみようよ。それなら構わないでしょ? あたしも傍に付いていてあげるから」
エレノアに促され、ナターシャはエレノアと共に再び司祭の元へと向かった。
先程、エレノアに話した時と同じことを伝える。
司祭はそれを黙って聞いていた。
「――それで、保留したいと」
「はい……申し訳ありません」
「……分かりました。十分に悩んで、答えを出せたなら、私に言いなさい。その時に、本部への転属を望むなら、改めて貴方を推薦することにしましょう」
「っ! ……ありがとうございます」
司祭は笑って、推薦の話は保留にすると語った。
その心遣いにナターシャは感謝の気持ちを伝えると共に、頭を下げた。
エレノアと共に部屋を出る。ナターシャは部屋の外でエレノアに礼を言った。
結局、何も答えは出せていない。でも、時間は貰えた。だから、今はしっかりと悩もう。そしてもし、いつか自分を許せるようになったなら、その時は改めて司祭の言葉を受けよう。
そうだ、自分の生きたいように生きるなら、私にはもう一つやりたいことがあるんだ。彼に、今は彼女となったあの方に、謝りに行こう。最初に気付かなくて、気付いてあげれられなくごめんなさい。そう伝えたい。
気持ちの整理はついていないが、エレノアに打ち明けたことで、ナターシャは幾分、心の中が柔らいだ気持ちになっていた。悩んだ時に、相談できる相手がいることに感謝しつつ、ナターシャは神に祈りを捧げるため、礼拝堂へと向かった。
その後、十分に悩み抜いたナターシャは、司祭に推薦され、本部へと転属することとなるが。
それはまた、別のお話である。




