32 決意
男の子が泣いている。親とはぐれたのか、一人でしゃがんでいる。
その背後から、ゴブリンが迫る。
ゴブリンは手に持った棍棒を掲げ、少年の小さな背中に振り降ろさんとしていた。
俺は勢いよく突っ込むと少年を抱え、慣性に逆らわずに、その場から離脱した。
「『サンダーランス』」
短い詠唱と共に。ミレーユが放った雷の中級魔術がゴブリンを貫いた。その一撃でゴブリンが絶命する。
一瞬の手際。呆然としている少年を降ろす。
「君、大丈夫? 怪我はない?」
「あ、うん。大丈夫」
俺と目が合うと、視線を外す。顔もどこかしら赤い。
勢いよく引っ張ったので、怖がっているのかもしれない。
俺はできるだけ優しく伝えようと、微笑えみながら言った。
「ここは危ないから、皆の所に逃げよう」
「う、うん……」
俺の顔を見て完全に俯いてしまった。俺、そんなに怖いのかな?
ショックを受ける。
「その子は一緒に王城まで連れて行きましょう。そっちの方が安全だから」
アイリス様が俺と少年の背中を押す。見ると、ニヤニヤと笑っていた。
「? どうしました?」
「どうもしないよ」
理由は説明してくれないまま、俺達は移動する。
俺達は今、ミレーユ、アイリス様と城へ向かっているのだが、カリストさんの心配していたとおり、街中の至る所で、魔物が現れているようだった。
数が多いところでは騎士団が対応しているが、今みたいにはぐれた魔物までは手が回っていないようで。道中、見かけた魔物は倒しながら、進んでいた。
そうして辿り着いた王城の門はいつもと異なり、閉ざされていた。
非常事態なのだから当然か。どうやって入れてもらおうかと悩んでいると、門が勝手に開き出した。
どうやら、門の上にいた見張りがアイリス様の姿を見つけたらしい。
門が開くと同時に、中から騎士が出てきて周りの警戒をしてくれる。
その間を縫って、俺たちは門の内へと入る。俺たちが通ると、再び門は閉まっていった。
「姫様、よくぞご無事で」
「陛下にも急ぎ、伝えなければ」
「お疲れでしょう。何か飲み物を用意させましょう」
「ありがとう。飲み物は今はいいわ。それより、子供を保護したの。どこか休める所へ連れて行ってあげて」
王城の中へ入ると、途端、色んな人がアイリス様の元へ寄ってきた。流石は王女様だな、と思っていると、騎士がこちらへやってきた。どうやら、保護した少年を引き取りに来たようだ。
「よく頑張ったな。ここに居れば安全だからな。さあ、私と行こう」
「えっ?」
騎士は俺に手を差し出して、言った。
沈黙が訪れる。
数秒後、左から小さな笑い声。ミレーユだ。
俺はミレーユを軽く睨むと、右隣に立っていた少年の両肩を押し、前へと一歩、歩かせた。
「保護したのは、この子です。この子を連れて行ってあげてください」
「えっ? 君は?」
「彼女は魔術師。私の仲間」
状況を掴めていない騎士に、ミレーユが説明してくれた。理解した騎士が、気まずい様子で俺に謝罪する。その後、改めて少年を連れていこうとした。
「あ、あの。名前……」
「私? カノン、だよ」
「カノン……、カノンさん、ありがとう!」
少年はお礼を言って、騎士に連れられていった。どうやら、怖がられていたわけでは無かったようだ。手を振りながら少年を見送る。
「……どうしました?」
「私はお礼、言われてない」
ふと、視線が気になり尋ねると、ミレーユがいじけていた。
その姿に苦笑し、どう励ますか考えていると。
「――カノン!」
名前を呼ばれた。この声は――。
「師匠! それに、えーと。……イグルス、さん?」
「無事そうだな。良かったよ」
「へぇ、俺の名前覚えててくれたんだ」
やってきたのは、師匠とイグルスさんだった。こんな状況でも師匠は気怠げな表情をしている。いつもと変わらない雰囲気に少し、心が安らぐ。イグルスさんは騎士団の着るものとは異なる意匠の鎧を身にまとっていた。短く挨拶を交わし、ミレーユを紹介した。
「こちら、魔術師のミレーユさんです。ここまで来るのに力を貸してもらいました」
「ミレーユ、魔術師」
「助力を感謝するよ。私はミリアム・トッド。近衛師団だよ」
「俺はイグルス・クライツフォン。同じく、近衛師団所属だ」
師匠が名前を告げた時に、ミレーユが驚きの表情を浮かべた。次いで、俺を見る。
「カノンの師匠?」
「はい、魔術師として師事しています」
「そう……納得」
ミレーユが何かに納得したようで、頷いている。わけが分からず彼女を見ていると、説明してくれた。
「カノンの戦い方が、ある人にそっくりだった」
その言葉で、全てを察する。やはりミレーユは、俺の戦い方がエルヴェとそっくりであることに疑問を持っていたようだ。
「その人と師匠が同じ。だから似てて当然」
俺は覚えていないが、どうやらミレーユに師匠のことを話したことがあったようだ。俺とエルヴェの戦い方が似ているのは、同じ師匠に教わったからと判断したのだろう。確かに、聞いたこともない反転の魔術が存在すると考えるよりも、よっぽど自然だ。
このままいけば、ミレーユに俺のことがバレることは無いのかもしれない。
だけど、それでいいのか?
ミレーユは俺自身が覚えていなかった、俺が話したことを覚えていてくれていた。
彼女は、ルノアールなんかとは違うんじゃないか。そう、思える。
「ミリアム、さん。エルヴェのことで、話があります」
「エルヴェのことでかい? あー、それは」
考えていると、ミレーユが師匠に話しかけた。俺のこと……おそらく、俺が死んだことを伝えるつもりなんだろう。ミレーユにとっては、師匠がエルヴェのことを聞いているか分からないわけだし。
エルヴェや、師匠のことを考えての行動。それはとても誠実な行為だと思う。
そんな彼女に真実を告げないのは不誠実な気がする。
――俺のことを伝えよう。
俺の方を見ながら、ミレーユの言葉に言い淀んでいる、師匠に向かって頷く。
「ミレーユさん。……そのことで、お話があります」
「話? 何?」
ミレーユが疑問の表情を浮かべる。だが、この場では流石に言えない。
俺は困って師匠を見た。
「部屋を一つ貸そう。話が終わったら、この前私と行った、団長の部屋に来て欲しい」
師匠は小さく笑って、部屋を貸してくれた。お礼を言って、ミレーユと一緒に、部屋に案内して貰う。
その部屋は小さく、椅子とテーブル、一人用のベッドが置かれているだけの簡素な部屋だった。騎士が休憩に使ったりするような部屋だろうか。
用途は分からないが、説明する場としてはちょうどいい。
扉の外に、誰も居ないことを確認し、俺はミレーユへ真実を伝えた。




