幕間-ある日の攻防
カノン視点の幕間となります。
動かずに、じっと息を潜める。
緊張から生じた汗が頬を伝う。気持ち悪さに、たまらず拭う。
俺は今、暗がりの中に身を潜めていた。
肉食獣から逃げる草食動物のように、ひたすら隠れて、外の気配を伺う。
顔を出しては駄目だ。出したら、見つかる。そうなってしまったら、俺に訪れる未来は……考えたくもない。
絶対に見つかるわけにはいかない。
再び決意した、その時。足音が聞こえた。
緊張に体が強ばる。音を立てないよう、必死に体を縮こませ、足音に集中する。
足音は徐々に近づいてきているようだ。
心臓が高鳴る。聞こえてしまうんじゃないかと思うぐらい、心音が主張している。
足音が止まった。すぐ傍だ。
身動き一つせずに、じっと待つ。
やがて、足音が再び鳴る。少しずつ、距離が離れていく。
足音が聞こえなくなった。
――行ったか?
緊張を解いた瞬間。
「――あぁ、カノン。ここにいたんだね」
頭上から声が降ってきた。同時に光が差し込む。
視界が一瞬、白に染まるも、すぐに明るさに順応する。
回復した視界に、銀髪、銀眼の美女が映る。師匠だ。
「し、師匠。どうして? さっきの足音は……」
「あれはアイシャの足音だよ」
足音について尋ねると、アイシャさんのものだと答える師匠。
くそっ。騙された。
俺に向かって師匠が手を差し出す。
「さぁ、行こうか。こんな所に居たら、余計に汚れてしまうよ」
「あ、いやぁ。そうなんですけど……。もうちょっと、ここに居たいかなぁ。とかって思ったり?」
「なんだ。狭い所が好きなのかい?」
「は、はい! そうなんです。だから……」
「なるほどねぇ。可愛い弟子の願いなら叶えてやりたいが――」
師匠が両手を伸ばし、俺を脇から持ち上げた。
有無を言わさぬ力で引っ張られる。間違いなく、身体強化の魔術を使っている。抵抗は無駄だった。
「却下だ。……あぁ、埃が付いてしまってるね。早く落としに行こう」
そう言われて。クローゼットから引っ張り出された俺は、為す術もなく師匠に連行された。
「いや、師匠。お、お風呂なら一人で入れますから」
「遠慮しなくていい。まだ女の体にも慣れてないだろう? 私が洗ってあげるから」
「ちょっ。待って。あ、アイシャさん! 助けて下さい!」
お風呂に連れて行かれる途中で出会った、アイシャさんに助けを求めるも。
「あらあら。お二人仲が良いですねぇ」
「だろう?」
「いや、アイシャさん。そうじゃなくて――」
ごゆっくり。と言われて見送られてしまった。この家に俺の味方はいなかった。
☆
「――はぁ」
ベッドの上に倒れ込みながら、ため息を吐く。
酷い目にあった。
まさか本当に、一緒に風呂に入ることになるとは……。
王城で国王様と面会したのが数日前。
その後、宿を引き払い師匠の家に居候させてもらい。今に至る。
当初は良かった。師匠は仕事に出ていたりして、夜に鉢合わせることが無かった。
だが、師匠が非番となった今日。かねてより、言われていたお風呂に誘われた。
いくら俺の見た目が少女でも、中身は男なのだ。当然、拒否したのだが。
師匠は有無を言わせず、俺を風呂場へと連れて行こうとした。何とか、隙を見て逃げ出し。
泊まらせてもらっている部屋のクローゼットに隠れたのだが。結局見つかり、連行されてしまった。
そこからのことは、思い出したくない。
師匠の裸を見ないよう、常に師匠に背を向けていた結果。されるがままにされてしまい。
頭を洗われ、体を洗われ。何か、男としての大事なものを失ってしまった気がする。
これは、駄目だ。次は絶対に逃げ切らないと。俺の精神が持たない。
だいたい師匠も師匠だ。可愛いものが好きだということは知っているが、俺は元男なのだ。
俺が男に戻った時に、一体どんな顔で俺と接するというのか。
師匠への憤りを募らせていると、扉がノックされた。
「――はい」
起き上がり、ベッドに腰掛けた状態で返事をする。扉が開き、その向こうから師匠が入ってきた。
「師匠、どうしました?」
「あぁ。カノン、その、なんだ」
尋ねると、珍しく歯切れの悪い返事が返ってきた。
どうしたことかと、続きを待っていると。
「先程は済まない」
師匠が頭を下げてきた。その光景に驚き、慌てる。
「し、師匠。何してるんですか! 頭を上げてください」
「いいや、私のやり方は良くなかった。仕事でストレスが溜まっていてね。可愛い子に癒やされたいと、つい欲望が爆発してしまった。
君の気持ちも考えないで、本当に申し訳無い」
師匠が悔いるように続ける。本当に反省し、謝ってきているのが伝わった。
師匠はこの国の近衛師団に所属している。王族直属、かつ少数精鋭。そんな部隊での仕事は、厳しいに違いない。普段の気怠げな雰囲気からは想像もつかないが、きっと、かかるストレスも尋常じゃ無いのだろう。
それなのに、俺はさっき師匠に対してどうした。疲れて帰ってきた師匠を拒絶するなんて。最低だ。
俺はさっきまでの俺自身を恥じた。
「師匠。確かに、ちょっと嫌な気持ちはありますけど。でも、それで師匠が癒やされるなら、俺は全然構わないですよ!」
「……許してくれるのかい?」
「もちろんです! というか、怒ってなんか、いないですって! だから、頭を上げてください」
「……これからも私の癒やしになってくれる?」
「はい! 任せてください」
落ち込んでいる師匠を、何とか励ます。
俺の言葉に師匠がお礼を言い、顔を上げた。
「カノン、ありがとう。――じゃあ、今日は私と一緒に寝てくれるね?」
してやったり、という表情。その顔を見て、全てを悟る。
――騙された!
一度、宣言した手前。拒否することも出来ず。
結局、俺は朝まで師匠の抱き枕になった。
明日、もう一話、勇者視点の幕間を投稿した後、本編に戻ります。




