6 死亡フラグの宝庫
王宮の晩餐室。
磨かれた銀器と重厚な燭台が並ぶ長卓に、王とユーヴェハイド、そしてリリナの三人が座っていた。
(……一体、どういう状況!? 湯浴みの後に、この二人と共に食事!?)
リリナは緊張で肩をこわばらせ、スプーンを持つ手もぎこちない。
ユーヴェハイドは彼女の食べるペースに合わせ、時折スプーンで口元に運ぶ。
「い、いえ……自分で……食べます……っ」
だが彼は微動だにせず、逃がす気などない。
リリナが食べるまで、きっと動かないだろう。
リリナは頬を赤らめ、恐る恐る一口、二口、三口と口に運ぶ。
食べるたびに緊張が和らぐかと思えたが、体はブリキ人形のように固まっていく。
しかし食べ続けなければ、この恥ずかしい時間からは逃れられない。
覚悟を決め、リリナはもう一口――
その瞬間――
「んっ!」
口内で痛みが走る。緊張のあまり、舌を強く噛んでしまったのだ。
わずかに口端から赤い血が滴る。
リリナの血を見た瞬間、ユーヴェハイドの表情が一変する。
戦場のような鋭さが一瞬で戻る。
国王が立ち上がるよりも早く、ユーヴェハイドは勢いよく立ち上がり、後ろに控えていた料理長の胸ぐらを掴んだ。
「何を入れた!? 毒か、どの種類だ! 今すぐ言え!」
「っ、い、入れておりません! 殿下、違います!」
リリナは必死に手を振り、ユーヴェハイドの勘違いを伝える。
「ユーヴェハイド様! 違うんです! 私が舌を噛んだだけです! 毒なんて入ってません!」
「……舌を噛んだ?」
「はい、緊張してて、つい噛んでしまっただけです!」
その言葉で、ユーヴェハイドはシェフから手を離し、リリナの口元の血をナプキンで拭う。
心底心配されているのが、表情を見ているだけで痛いほど伝わる。
あの氷の皇太子の仮面が、リリナを前にすると、こうも簡単に溶けるのか――誰もが息を呑む瞬間だった。
しかしリリナがユーヴェハイドに向けた言葉は、更なる衝撃を与えた。
「ユーヴェハイド様! シェフの方は何も悪くなかったんです。だから、『ごめんなさい』してください!!」
──静寂。
料理長は唖然とし、国王も一瞬固まる。
(今、あの令嬢、殿下になんて言った?)
(ごめんなさいしろって、殿下に……?)
(メンタル化け物か!? 殺されるぞ!?)
顔面蒼白で控えた騎士や従者たちがハラハラと視線を向ける中、ユーヴェハイドはゆっくりシェフに向き直る。
「…………ごめんなさい」
「え!? あっ、い、いえっ! こちらは全然お気になさらず……っ!」
料理長は助けてくれたリリナに感動しつつも、まだ動揺が残る。
視線を向けていた者たちは、まるで雷に打たれたかのように震え上がっていた。
変なところでメンタルが強いリリナは、満足気に笑みを浮かべる。
「素敵です、ユーヴェハイド様!」
ユーヴェハイドは、そんなリリナの笑みを見て、どこか嬉しそうに微笑む。
「よし、では続きを食べよう」
「流石にもう自分で食べますっ!」
「却下だ」
晩餐室には、緊張のあとに来るほのかな笑いと温かい空気が漂った。
✼ ✼ ✼
晩餐も終盤に差し掛かり、テーブルにデザートが運ばれる。
淡いクリームのショートケーキに、フレッシュな苺がふんだんに飾られている。
リリナは好物の苺に目を丸くし、息を呑む。
「わ……わぁ……苺……こんなに……!」
小さく手を伸ばし、指先でそっと触れる。苺の赤が光に透け、瞳まで輝きを増す。
その姿はまるで小動物のように愛らしく、ユーヴェハイドの視線が一瞬で柔らかくなる。
(かわいいな……)
彼はゆっくり手を伸ばし、自分のフォークで苺をすくい、躊躇なくリリナの口元へ運ぶ。
「俺の分も食べればいい」
リリナは驚きで小さく跳ねる。
「えっ、えっ!? 私、自分のが……!」
「食べてほしい」
その断固たる態度に、リリナは頬を真っ赤にし、唇を小さく尖らせる。
目をぱちぱち瞬かせ、首を少し傾げ、まるで「本当にいいの?」と確認するかのようにユーヴェハイドを見上げる。
その無自覚な可愛さに、ユーヴェハイドは喉を鳴らし、思わず鼻先で小さく息を漏らした。
苺が口元に届くと、リリナは驚きと嬉しさで思わず目を閉じる。
小さく息をもらし、指先でフォークをそっと支え、クリームが少しついた口元を手で押さえる仕草も見せる。
「ん……美味しい……っ」
甘酸っぱさに小さく身をすくめ、頬を赤くして嬉しそうに笑う。
苺を口に運ばれるたび、ユーヴェハイドは自然と頬を緩め、幸せそうな吐息を漏らす。
その仕草一つで、周囲の空気がふわりと柔らかくなる。
シェフたちも嬉しそうに微笑む。
ユーヴェハイドは満足そうに微笑み、さらにもう一つ苺を取り、迷わず差し出す。
「これも食べろ」
リリナは恥ずかしさで少し俯きつつ、好奇心と嬉しさに目を輝かせ、小さく頷く。
苺を口に運ばれると、思わず小さな声で「んん……!」と反応し、クリームを少し口の端につけてしまう。
慌てて指でそっと拭う仕草もまた、無垢で可愛い。
侍女も国王も従者たちも、目を見開いて唖然とする。
ユーヴェハイドが、自身の好物である苺を令嬢に差し出す――しかもためらいなく、むしろ楽しげに。
(……これは……溺愛すぎる……!)
「……もう一つ、いくか」
「……は、はい……っ」
小さなやり取りに、晩餐室の空気は温かく、そして少し甘く蕩けるようだった。
✼ ✼ ✼
晩餐が終わり、デザート皿が片付けられた後、王宮の書斎で国王、ユーヴェハイド、リリナの三人が話を始める。
リリナはまだ胸の高鳴りを抑えきれず、椅子に座ったまま手を組む。
国王は柔らかい笑みを浮かべ、リリナを見つめる。
「リリナ嬢、其方がこの国で普通に暮らすには、もう一つ必要なことがある」
リリナは少し身を強張らせる。
その隣で、ユーヴェハイドは静かに口を開く。
「メルモンドでの話は聞いていた。転生者であること、お前がこちらに来た理由……すべて把握している」
リリナは思わず息を呑む。
「えっ!? 知っていたんですか!?」
国王が静かに頷く。
「既に私も把握している。其方が別の世界から来た転生者であることを」
リリナは目を大きく見開き、両手を握りしめる。
「え、えっ……!? そ、そんな……私、秘密にして平和に生きたくて……」
(これ完全に終わってない……!?)
ユーヴェハイドは微かに眉を上げ、冷静に続ける。
「転生者は、あくまでも伝説上でだが、存在していたとされる。そして全て、国家機密レベルで監視・保護の対象だ。普通に暮らすためには、国の手が必要だ」
リリナは頭を抱え、小声でつぶやく。
「やっぱりもうモフモフハッピーライフは無理……?」
国王は優しく微笑む。
「そのモフモフ?なんちゃらはよく分からぬが、リリナ嬢には、この世界のリリナ・グレイランジュとして生きて欲しい。しかし一人では危険が伴う。だからこそ、ユーヴェハイドの婚約者という建前は重要になる」
(死亡フラグには死亡フラグをってこと!?)
頭を抱えるリリナに、ユーヴェハイドが静かに視線を送る。
「建前などではなく、俺は本気だ。俺の隣にいれば、お前が危険に晒されることはない」
リリナは、推しからの過剰すぎる供給に耐えながら生き残れるのかと不安で胸が張り裂けそうになる。
しかしふと気付く。
「あ、ユーヴェハイド様とヒロインを応援して、くっつけたら良いのでは?」
(我ながらなんて素晴らしいアイデアなのかしら!? オーホッホッホ)
希望を見出して心の中で高笑いをしてみせたリリナ。
だが隣から聞こえた「………………は?」という氷の如き低い声で、自身の失態に気づく。
見える。隣を振り向かなくても見える。
恐ろしいほど冷たい瞳で見つめるユーヴェハイドの姿が。
怖くて俯くだけのリリナの耳に、ユーヴェハイドが国王に向けた声が届く。
「父上、今日のところはこれで失礼します」
「ひっ、」
その声が聞こえた直後、リリナの体はユーヴェハイドに抱き上げられた。
宙に浮いた足に体がびくっと反応し、手で必死にユーヴェハイドの腕を掴む。
心臓は早鐘のように打ち、息が詰まる感覚に陥る。
抵抗虚しく、皇太子宮の方へ連れ去られていった。




