3 氷の皇太子
王都メルモンドは、想像以上に美しかった。
白い石畳がまっすぐに伸び、空には魔法灯が浮かび、鮮やかな色の屋根瓦が並ぶ。
通りには屋台が立ち並び、どこからともなく美味しそうな香りが漂う。
その光景を見た瞬間、リリナは思わず涙ぐんだ。
「文明……文明だ……!!ありがとう人類……ッ!
森でクマと友達になって生活する未来想像してたのに!!」
案内役の勇者セオドアは優しく微笑んだ。
「クマ…というものは分からないが、気に入ってくれたなら嬉しい。王宮に着いたら、住まいと仕事について陛下に相談しておこう。きっと快適な生活を保証してくれるはずだ」
「天使……いや勇者……いや、善性ランキング全国1位…!」
怪しいほど優しい。疑うという概念がリリナにはなかった。
――だが。
王宮の門をくぐった瞬間、空気が変わった。
重い沈黙、刺すような視線、張り詰めた緊張感。
勇者パーティや王宮騎士たちは、まるで壁のように自然とリリナを取り囲む。
その雰囲気に、ようやくリリナは気づく。
(この空気……あれだ。乙女ゲームで裏切りフラグ立った後のやつ……!間違いない……課金で鍛えたプレイヤー感覚が言ってる……)
そのとき、聖女レティシアが進み出た。
笑っているのに、どこか氷のように冷たい笑み。
「リリナさん。ひとつ、お尋ねします」
「は、はい……?」
レティシアの笑みが消え、鋭い視線が突き刺さる。
「――あなたも転生者でしょう?」
リリナの心臓が跳ねた。
逃げ場はもうない。
勇者セオドアを含め、王宮の騎士たちが完全に動線を塞ぐ。
そこへ、国王が重々しい声で告げる。
「聖女召喚の儀で呼ばれるはずだったのは本来ひとり。聖女の資質を持つ者のみだ。だが今回は二人召喚された。一人は正式な聖女。――もう一人は、忌まわしきヴァレンディエル帝国へ落ちた失敗作」
「失敗作!?人間扱いすらギリギリなんですけど!?」
国王は苛立った様子で続ける。
「諜報によれば、貴様はこの世界の知識を持っているらしいな」
レティシアが低く問い詰める。
「答えなさい。ユーヴェハイド・ディア・リ・ヴァレンディエルを倒す方法。弱点。精神的に崩れる要素――何でもいい」
セオドアが剣に手をかけた。
「正直に言え。あれは魔王の器だ。世界を守るため、必ず討たねばならない」
その瞬間、リリナの拳が震えた。
(……こいつら……ユヴィ様を殺すって……?)
下を向いたまま、しばらく沈黙。
そして――
「――あんた達にユーヴェハイド様の何が分かるのよ!!」
王宮に響く叫び。
「な、何……?」
「何が魔王よ!?バッカじゃないの!?馬鹿通り越して脳みそ湯豆腐なの!?」
国王の眉が跳ね上がる。
「お前……魔王に与する気か?」
リリナの怒りは止まらない。
「資料もっと読み込め!!!まだまだ尊さも背景も理解できてないクセに!!!こっちは毎日命削って推してんの!!!」
国王の額に血管が浮く。
「この背信者め……!」
「うるっさいわね!!黙って聞いてりゃ説教気取りで!お前なんか――話しかけんな!この、うすらハゲ!!」
空気が止まった。
次の瞬間、国王が絶叫した。
「ハ、ハゲ!?貴様……!!処刑だ!!即刻処刑!!!」
リリナは慌てて頭を抱え、しゃがみ込む。
「いやぁあああああ!!死んだら絶対祟るからなぁぁぁ!?ユーヴェハイド様は絶対殺させないんだからー!!」
セオドアが剣を振り下ろそうとした、その瞬間。
世界が凍った。
床も壁も、王宮騎士も、国王も、勇者も、聖女も。
全員が氷に閉ざされ、微動だにできない。
息すら凍り付き、死の恐怖が空間を支配する。
ただひとり――リリナだけが自由だった。
そして、冷たい足音が響く。
青白い魔力を纏いながら、現れたのは。
――ユーヴェハイド・ディア・リ・ヴァレンディエル。
国王にも勇者にも一瞥すらくれず、まっすぐリリナを見る。
リリナは震えながらも、瞳だけは逸らさない。
(怖い……でも……ユヴィ様を売るくらいなら……)
ユーヴェハイドが膝を折り、目線を合わせた。
「震えているのに、目は逸らさないのか」
リリナは息を吸い、弱く答える。
「……ユーヴェハイド様を売るくらいなら……死んだほうがマシです……」
ユーヴェハイドは、ほんのわずか微笑んだ。
そして、迷わずリリナを抱き上げる。
王宮全体が凍り付く中、彼は静かに告げた。
「――今回だけは見逃してやるが、覚えておけ。お前たちは今、俺のものに手を出した」
氷の皇太子の声は、絶対の支配者のそれだった。




